ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男 「海上の道」 角川ソフィア文庫

2018年05月14日 | 書評
日本民族と稲作文化を南西諸島との共通点から考察する 第7回

5) 鼠の浄土

人と鼠の関わり合いに、本書はなんと55頁を費やして蘊蓄を傾けている。農業にとって鼠の害については周知されていると思うので、くだくだしいことは言わないで、簡単にまとめておこう。よく知られた例は、肥後八代の沖にあった鼠島、鼠藏島、瀬戸内海では山口県東部の片山島、伊予の黒島、周防の大島、広島の羽山島などがある。鼠の種類は水鼠または川鼠といって泳ぎ回って魚を食べるものがあると「本草啓蒙」に出ている。野鼠・家鼠も海を渡って島々に移動したものがいるそうである。船を繋ぐ綱に伝わって船に入り積荷を食うものもいる。沖縄には麝香鼠がいるが、鹿児島や長崎にいるのは船に運ばれて移動したものだろうか。いわゆる絶海の孤島にも鼠が移動することがあるらしい。久米赤嶋にちかい胡馬、久場という孤島にもいた。鼠の移動は一匹では冒険はしないそうで、「古今著聞集」に記載されているように伊予の黒島の鼠が集団で海を渡る様は魚の大群のようであった。猟師の網に多量にかかり、漁師は殺したつもりでも大量に鼠が島に逃げ込み害をなしたという。この話は近世になって本州津軽藩領のある浦で網にかかり津軽の田畑を荒らしたということが太田蜀山人の「一話一言」に書いてある。北海道では奥尻の島に鼠の話がある。アワビや海鼠を食われて困ったという話しである。本居宣長の「玉勝間」に石見高島のネズミの話が出ている。鰤しか取れない寒村で文政の頃沖で大量の鼠が網にかかった。その後20年後に「石見の大鼠害」が発生した。藩は駆除のため鼠の買い上げに25万両も費やしたという。鼠の害は古くは奈良時代の史籍にも見える。また幕末に奄美大島で過ごした薩摩藩士が書いた「南島雑話」にはウンネジンという海からやってきた鼠のことを記している。イナゴも海からやってくるらしい。鼠の害は甚だしく、「鼠様 々 お願いですから 農作業の邪魔をしないでください」と祈願をするのである。それでもなお旧8月の甲子の日を鼠たちの物忌みの日としている。大島では鼠も一つの神様で、テルコ神の使者だと考えていた。すなわち神の世界だった。ニライカナイが海上の浄土、遠く水平線の外にある世界の名であった。太陽もまた海の浄土信仰に含まれた。例えば沖縄のオホツカクラは本土の高天原に相当するらしいが、ニライカナイの方がもっと抽象的な概念であった。テダというのは陽の神の後裔で何処にでもいる官吏もそう呼んだ。日本の各地には鼠送りの行事が多いが虫送りと似た風習であった。祭で鼠のことを公言しないでいることは忌み言葉であり、お福さんと言ったり、鼠が大黒天の家来だ思っていたいたらしい。鼠のことをヨモノと呼ぶ風習は福島県、信州、京都に見られるが、狸や猿、猫のこともヨモノと呼ぶ。東北では鼠のことをウエノアネサマ、奄美大島ではウエンチュと呼ぶ。鼠のことを畏敬し、忌みて実名を口にしないという風習が根強く沖縄には残り伝わっている。オトギョ神話はこのへんの筋を物語っている。鼠が日の神の初めの子オトギョの後裔として大いに繁殖し、この世に渡ってきて余りの害をなすため、小舟に載せてニルヤカナヤに送り返し、神の管理下に押し込めることを祈願したのである。久米島仲里間切りの祭文は暗示的であった。魂祭りは南方の島では一般に旧暦の8月であったらしい。8月踊りは祖霊供養であり、トンガの日は鼠の物忌みの日なのであった。トンガの日の行事の一つとして、名瀬間切に行われていたシチヤガマという遊びは甲子の前日に木を切って小屋を建て甘酒を造って田の神を祝った。南の島では稲の毎年の収穫をヨという。新嘗の神を送ってそれぞれの家に因縁の深い神を送るのである。鼠にどういう因縁があってこの8月先祖祭の一役関係するのか。それには田んぼの昆虫・蛙・狐・山ガラスの殺生を禁じ、ある動物の集合と去来をもって神の往来の先払いとする風習があった。山から迎える農神がそれぞれ家ごとに違っていた。鼠の日を大神の後裔として、ニルヤカナヤをもって彼らの故郷とする風俗は、移動する時期が同じで大神の同行者と見たからであろう。「鼠の浄土」という名をもってこの昔話は全国に行き渡っている。「鼠の浄土」嘘が余りに誇張されている。大話や笑い話化が著しい。もう何としても本当の話として聞くことはできなかった。舌切り雀は竹林、鼠の隠れ里は大概地の底である。そして団子ころころと鼠穴の転げ落ちる話と連動している。人がこの世の生を終わって往く静かに休息するところは、どこかあまり遠くないところにあるということを信じる人は多い。南方諸島の鼠はかの美しい海上浄土の出身と見られた。根の国を暗い冷たい地の底と考えるのは、死を忌み嫌う神道の哲学からきている。群島の住民はいつの世にどの方向からいかなる苦労をしてやってきたのか。本章では鼠と人間の群れを重ね合わせて考えた。


(つづく)

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