ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男 「海上の道」 角川ソフィア文庫

2018年05月15日 | 書評
日本民族と稲作文化を南西諸島との共通点から考察する 第8回

6) 人とズズダマ

「ヨブの涙」という名を持つこの草の実は古くから知られた、首飾りや手首飾りといった主として女の子の弄び物であった。私も幼少の時からなじんできたので良く知っている。その辺の草原のどこにでも生えていた。「ズズタマ」という名は全国どこでも、どの島でも同じであったということは、もともと広く自生分布していたことを物語るのだが、これは食用になるものではなく、実用途はなくほとんど忘れ去られている。「ズズタマ」と呼んでいるのだが、数珠玉に似ているので「ジュズダマ」と理解している人が多い。東北のイタコの数珠やアイヌの首飾りに似ているが、昔は漢方の疣取りの薬であった。こんなことを知る人ももういないだろうが漢方薬名を「ヨクイニン」と呼んだ。近い種類に「ハト麦」、「とう麦」、「朝鮮麦」など言う食用種もあるが、主たる用途は薬もしくは呪法であった。非食用種として山伏修行の数珠オニジュズダマがあった。珠を緒に貫いて首にかける風習は遠い上代から公の服装から脱落していた。今から千年余り前までは、日本は首飾りの最も普及した国だった。沖縄に神に奉仕する女流の家に勾玉管玉が伝えられ、与那国島では黒島のアンビターという貝をいろいろな木の実や草の実と混ぜて緒に通し男に贈ったという。サンゴや真珠、或は硬玉でもなかった。四国ではススタマ・スズタマ、「和名抄」にはツンタマ(豆之太末)、「新撰字鏡」にはタマツンという名がある。数珠からきた言葉では決してない。単語の外形のみによって、ものの由来を説くことは万能ではない。沖縄に仏教が渡来したのは日が浅く、念珠というものを知らなかったが、この草の実は良く知られこれを緒に貫いて首にかける風習も相当に普及している。沖縄ではシンタマ、先島ではシダマ・スダマ・チダマといった。上代以来多数の人が珍重したのは、形いろどりさまざまなさざれ石と貝殻、中でも宝貝の類であった.。沖縄の「おもろ草紙」は歌うもので神歌であるが、ツンタマの古名の由来は決して今日言うズズタマではない。歌の前後より推測するにツンヤは首飾りのことである。宝貝は琉球から中原の王朝への貢ぎ物で、1434年明の朝廷に550万個贈ったという記録がある。

(つづく)
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