ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男著 「妹の力」 角川ソフィア文庫

2018年05月21日 | 書評
我国の民間信仰・神話において、シャーマニズム(巫術)の担い手であった女性の役割を考える 第5回

6) 松王健児の物語
 昭和2年1月「民族」に掲載され、次章の「人柱と松浦佐用姫」が同誌3月に掲載されるので、この二つの論文で「マツ」「マチ」の名を冠する松王・松童・老松・小松・小町などが神の侍童または従者を意味し、ここでは直接巫女を論じてはいないが、松王伝説や松浦佐用媛伝説を伝播したものが遊行の宗教者であったであろうという点で巫祝論をなしている。松王健児(こんでい)は幸若舞の「築島」で兵庫築港の人柱に立てられた平清盛の侍童であるが、各地で橋や堤に人柱となった人が、松王丸とか松王小児の名を持つものが多い。八幡社にも松王小児を若宮に祀るものがあり、北野天満宮にも菅公の舎人の子孫と伝える松王を名乗る主典の家がある。松王は神の子、すなわち神子(巫)であり、神に仕える侍童を意味した。そしてこうした神子、巫はしばしば神のの牲として神意を和める人柱に立てられることがあった。また人柱に母と子という話しが多いのは、母あって父なき童子神として若宮が祭られるからであるという。豊後の小市朗神もこのような童子神の若宮であると同時に荒神であり、御霊であった。八幡と水神の関係は分からないという。

7) 人柱と松浦佐用姫
 人柱に立てられる児童の名に松王という名が多いことは前章で述べた。同時にお鶴とサヨという名も多い。お鶴についてはあまり言及がなく、古事記で有名な松浦佐用姫に結び付けて悲劇的な女性の名として遊行の宗教芸能者の手によって全国に広まったという点を主張している。まず松浦佐用姫伝説は水の神に供えられた人柱として語られたものが多く、この話には化粧阪、化粧池、鏡の池、かねつけ岩などに関する口碑が付帯している。人柱に立つ前に化粧したからだというが、松浦佐用姫伝説を語る者が遊行女婦の様な芸能者だったことを示唆する。すなわち当時化粧をするということは、神に仕える者以外にはせぬことであったからだ。佐用という名がどこから出たのかことについては、柳田は道祖信仰に出たと推測しているが、根拠はない。村の祭りに化粧して神の故事を演じる遊行の宗教芸能者は道祖にも奉仕しただろうことは想像できる。松浦佐用姫伝説における佐用姫=遊行女婦といつの間にか同一視が成立している。すると遊行女婦も人柱に立ったのだろうかという混乱が生じる。柳田氏の論法を吟味すると、対象の二重性から実体の関連性、そしてすり替え、そしてしりとりゲームのような循環リングで広がってゆく空想の世界を歩くようである。無限に話が紡がれてゆく感覚に酔いしれてしまうのである。佐用姫→遊行女宗教芸能者→小町→小松の平家伝説とつながる様は、著書独特の巫女論と神話伝説の起源論がつながるのである。人柱の時代→平家落人伝説と時代も大きくワープするファンタスチックな民俗学となる。

(つづく)