ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

文芸散歩 柳田国男著 「妹の力」 角川ソフィア文庫

2018年05月19日 | 書評
我国の民間信仰・神話において、シャーマニズム(巫術)の担い手であった女性の役割を考える 第3回

2) 玉依彦の問題
 本章は昭和12年7月に「南島論叢」に掲載された。「玉依彦」と言っているが、13年前に発表された「妹の力」の改訂版のような巫女論である。次の章の「玉依姫」であり「ヲナリ神」が中心である。玉依彦は玉依姫の兄であるが、神ではない。山城賀茂の神伝に詳しく玉依彦のことが書かれてている。本章で柳田国男は沖縄のヲナリと日本の田植のヲナリを比較・類似を展開した。日本の田植歌にヲナリ、ヲナリ姫、ヲナドリの言葉が見えることから、山城賀茂神社旧記の植女、養女に相当する采女やウナイの関係する言葉であろうという。石垣島では姉妹をボナリと言い、その髪の毛が航海の守護霊になるという信仰がある。この関係を賀茂神社の玉依彦と玉依姫にあてはめ、巫祝の母系相続に注意した。

3) 玉依姫考
 この章は大正6年に「巫女考」の続編として書かれた。八幡宮の御祭神である比咩(ヒメ)大神とある女神が、神意を宣る巫女であることを論証しようとするものである。巫女は玉依姫を呼ばれ、賀茂御祖神社(下鴨神社)の玉依姫、大和大神神社の活玉依姫、大宰府竈門神社の宝満菩薩などはすべて巫女を祭神にしたものであると主張した。つまり「玉依姫」は特定の固有名詞ではなく「霊の依る聖女」を意味する普通名詞と解することができるということである。神の尸(よりまし)としての巫女が各地に散在しているという論法である。この論文は八幡宮の御祭神に、大菩薩と大帯(おおたらし)命と比咩(ヒメ)大神の3神を考証することである。宇佐八幡の社殿の位置から比咩大神が託宣者であることとした。また本章では玉依姫のご神体が石である例を挙げている。

(つづく)