ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男著 「妹の力」 角川ソフィア文庫

2018年05月22日 | 書評
我国の民間信仰・神話において、シャーマニズム(巫術)の担い手であった女性の役割を考える 第6回

8) 老女化石譚
 大正5年8月の「郷土研究」に掲載された。諸国に分布する大磯の虎伝説に「虎ヶ石」と言う力石がある。その虎御前なるものが和泉式部伝説と同じく、遊行の巫女であることに注目して、巫女と石の関係を論じた。虎石伝説の例を全国数多く収集し、その念願がかなえば軽く上がり、叶わなければ重くて上がらないという石占いの痕跡ではないかという。一方諸国の霊山の山麓に、比丘尼が女人禁制を犯して登山すると山神の怒りに触れて石と化した伝説をこれまた数多く示して、霊山のいたるところに老尼や巫女の化石譚を披露する。まさに柳田国男ワールドの饒舌さである。しまいには自分もいやになって話を打ち切るのである。彼女らの一群は、熊野比丘尼の様な「道教や仏教の中間をゆく一派の女巫」であったのだろう。この章は前半の「虎石伝説」と後半の「老女化石譚」の関係は、熊野比丘尼の修行では袂に石を入れて遊行し、その重くなったところを神のお告げとして熊野社を祀ったいわれからきているのだろうとした。

9) 念仏水由来
 大正9年「新小説」に掲載された姥神伝説の論である。姥神は山姥や鬼婆などに変形され伝説化されたものが多いが、本考は山の神や道祖神をこう呼ぶと主張するものである。とくに「関の姥様」、「咳の姥様」というのは、道祖神(塞の神)が悪霊をせきとめる力を転化して、咳を止める女神としている。姥神伝説の代表的な話は、「姥ヶ淵」や「姥ヶ池」というもので、姥が怨みを抱いて入水した霊のために念仏すると、淵や池は泡立ち沸き立ってこれに答えるという話しである。姥が自分の不注意などで死なせた子供の後を追って入水したという様に、若子と姥が何時もセットになっている。姥が怨霊になって祟る神であったことと若宮信仰(荒神)と同じものであったことを示す。姥神と若宮との関係の代表例として尼子氏の由来伝説を取り上げた。神の子(天子あまこ)とそれを養育する姥との関係は山姥と金太郎のようなもので、神の胤を宿してこれを生み育てる三輪伝説の玉依姫を姥神と考えた。従って本章は現象的には「念仏水由来」であるが、その本質は「姥神考」と考えられる。「三途河(そうずか)の婆」の話は、閻魔大王とともに念仏堂に祀られながら、咳の神として民俗信仰化する根源が、姥神=道祖神で怨霊をせき止める力があるからである。

(つづく)