ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男 「毎日の言葉」 角川ソフィア文庫

2018年05月06日 | 書評
方言の比較から日常の語り言葉の語源を説く、柳田民俗学の知の所産 第13回

8) 上臈

本章は昭和21年9月「民間伝承」に掲載された文章です。女性を尊敬した言葉では、「ゴサン」、「オゴ」の類がかなり古く、他は次々に現れては消えていった。中でも「上臈」は元は漢語で文書言葉であったので、口語として普及することはかなり時間を要したが、使われる例は方言に残るばかりである。上臈という意味は、身分の高い家の夫人であるばかりでなく、労働をせず長い袖の着物を着て、化粧した女性とされるに及んで、都会や港のとんでもない女がこの名称を独占した。もはや良家の女性を呼ぶことは憚られる名称となった。「上臈」から「女郎」へ転落したのである。秋田県由利郡では妻女のことを「ジョロ」、山形県庄内地方では上流の娘のことを「ジョロハン」といった。加賀の金沢では士族の娘を「ジョウロサマ」、大分県では「オジョラサマ」は主婦、奥さま、令夫人を指した。四国讃岐高松では「オジョウロ」といえば豪家の内儀のことで、若い婦人、町の細君は「ジョウサマ」と呼んだ。千葉香取郡では普通のおかみさんは「ジョウサン」、上流婦人は「ジョウサマ」といった。その流れで「オジョウサマ」という標準語が派生した。静岡県東部・伊豆では他家の花嫁に限って「オジョウロ」といった。九州福岡、佐賀、熊本にかけて若い女性の総称として「ジョウモン」といった。石川・富山では「ジャー」、「ジャーマ」という名で母、妻女を呼ぶのが普通である。家庭内で使われる言葉で「サマ」をぞんざいに発音したようである。東北の岩手、秋田では母のことを「ジャジャ」、「ジャッチャ」と呼ぶのも同じようだ。

9) 人の名に様をつけること

本章は昭和27年5月「言語生活」に掲載された文章です。日本語独特の方角の言葉について述べています。「アオムク」、「アオムケニ」という言葉があります。同じようで微妙に違います。「アオムク」、「アオヌク」は腰をかけたまま上半身から首だけを後ろに反らすことで、「アオムケニ」、「アオムケサマニ」は上を向いて寝るということです。ここで「サマ」を入れないと意味が通じない人がいます。この「サマ」は日本語において大いに役に立つべき大切な言葉でした。はじめは主として方角の意味に使われました。「イキシナニ」、「カエリシナニ」という意味と同じです。「イキサマ」、「カエリサマニ」と書く文があります。「オモイサマ」、「イカサマ」(どう考えても)という言葉もあります。今は「ドウモ」がこの「イカサマ」の代わりをしています。「ドウモコウモ」というのは「ドサンコウサン」、「トサマコウサマ」から「サン」が抜けたのです。人の名に「サン」をつけるつけることは九州では「ドン」をつける事よりずっと少なく、「サン」は方角の意味で使います。関東で「方」へという言い方は、九州では「サマニ」、「サマヘ」というところが多い。「サマ」を方角を示す言葉として使う習わしは当方地方において有名で、どこサゆく、おらホサ来るという。「サマ」を人の敬称として付けることは、これも方角の語で、人を見つめたり指さすことを失礼とする文化があったからである。いまも「アノカタコノカタ」、「アナタ」、「ソナタ」という。敬称の順でいくと「御前」、「オマエ」、「オメエ」というのも距離感である。人を呼ぶのに「サマ」という語を添えるのは、この方向、自分が向かっている方向に居られる方ということである。最初は女性の貴人であった。次には名前を言わずに、方向だけの言葉を使う敬称ができた。「オマエ」、「オカタ」がそうである

(つづく)
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