ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男 「先祖の話」 (角川ソフィア文庫2013年新版)

2018年03月30日 | 書評
1945年3-4月東京大空襲下で書かれ、日本人の死生観の根源から霊の行方を見つめる書 第4回

3) 先祖祭1ー年の神

第15節 「めでたい日」: 日本の年中行事の最も大きいものは、正月と盆である。盆は先祖を祀るためにあることは明白であるが、正月は何を祝う日なのだろうか。祝うということは心の静かな状態をいうので、慎み深いと、人にめでたいと言われる。年頭事例として、「御無事で相変わりませず」と言い交わす。本来は家の祝を正月に持ってきたようで、一族・家来が参賀して家への忠誠を誓うのであった。家来とは家礼と書く。家の作法を守る人を「けらい」といった。
第16節 「門明け・門開き」: 年始から賀詞交歓会は公人の務めというが、元は正月は家で祝うものであった。元旦早朝に行うことは、氏神社への参拝と本家への年頭礼があった。四国中央の地方ではこれを「かど明け」と称して一家一族の厳かな作法としている。信州伊那地方では「門びらき」と呼び、注連縄や拝み松などの正月飾りは大晦日の夕方に飾るのである。年越しの御膳というのも大みそかの晩の夕膳のことで、一日の始まりであった。
第17節 「巻うち年始の起源」: 巻うち年始(一族の内の年始儀礼)と大晦日の歳末の礼がセットとなって行う地方がある。歳末には巻内で餅つきの手伝い、箸梳り、年奉公の行事がある。門松だけは一番分家の主人が来て立てるなど本家の祝い事の親密な共同作業があった。この正月の儀礼の精神は、各自の生活力を強健ならしむため、進んで本家の祭典の参加し、先祖を共にする者の感銘を新たにすることであった。
第18節 「年の神は家の神」:  正月は世を祝い身を祝い遊び楽しむだけのものではなかった。本家が正月に祀る神は何だったのだろうか。年越しの御膳、元旦の雑煮の二度、神棚に燈明をあげお神酒と神餞を供えて、その前でお目でとうを交換した。伊勢のお祓いの札や土地の氏神社のお札も神棚に上がっている。一国の宗廟を拝むというのは新しい明治以降の習慣である。古来正月は家の神を拝むのである。
第19節 「年棚と明きの方」: 正月に家々を訪れる神ははっきりしない。一般に「歳徳神」、「正月様」と呼んでいる。これらは陰陽道から出たようで、「恵方」、「吉方」、「明きの方」ともいい、棚は常設の家の神棚とは別の筋交いに年棚、年神棚、恵方棚を設ける。
第20節 「神の御やしない」: 歳神の祭壇は藁の莚の上に米俵を3,5俵を広間の神棚の下に設けた例がある。地方によって定まっていないが、大松に白紙の幣をつけて「ホダレ」、「カイダレ」という削花を添える。奥州では「拝み松」と言って表玄関に置く(門松は門の前)。門松は京都にはなかったもので、地方の武士が持ち込んだ風習でる。朝廷では門松に重きを置かない。正月の松飾りには注連縄以外に、藁を曲げて作った皿または壺を「オヤス」、「タスノゴキ」と呼ぶ。この上に供物を置く食器である。これを「親養い」というが「オヤス」が語源である。
第21節 「盆と正月との類似」: 正月迎えの松飾りは大晦日までには作ることになっている。正月行事と盆の行事には類似点が多い。盆棚盆迎えは明らかに仏事であり、正月は清浄第一のめでたい儀式である。昔は正月は盆とまる半年離れた15にちの満月の宵であった。常設の仏壇の他にあらたな歳棚を設けることは同じだが、盆には恵方という問題はなく、盆は霊が取り付きやすい場所を選ぶ。盆花取りと言って季節の花を盆棚に飾る。また盆草刈りといって山の高いところから里に下りてくる道を清掃する。正月と同じように「盆礼」、「盆義理」という訪問がある。まず先祖棚にいって丁寧なお辞儀をする作法がある。
第22節 「歳徳神の御姿」: 正月と盆の比較をする前に、「ミタマの飯」の話をしなければならないが、盆の精霊の送り迎えについて書いておく。春毎にくる年の神を商家では福の神、農家では田の神とい兎場合が多い。間違いではないが、懇ろに祀れば家が安泰というということを約束するのは先祖の霊の他にはないだろう。歳徳神は吉方明きの思想と共に陰陽師の創造なのだが、神の姿まで指示していない。天女、七福神に擬することが多い。霊の融合の思想、すなわち多くの先祖たちが一体となって、子孫末裔を助け護ろうととする信仰を考えると、年神は我々の先祖であろうと思われる。

(つづく)



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