ブログ 「ごまめの歯軋り」

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文芸散歩 柳田国男 「先祖の話」 (角川ソフィア文庫2013年新版)

2018年03月31日 | 書評
1945年3-4月東京大空襲下で書かれ、日本人の死生観の根源から霊の行方を見つめる書 第5回


4) 先祖祭2-正月と盆

第23節 「先祖祭の観念」: 正月と盆との二つの祭り、昔ははるかに近いものであった思われる。この二つが引き離された原因の一つは仏法による介入とそして神の観念が時代とともに狭くなってきたためであろうと考えられます。先祖祭についてかんがえると、先祖という観念と先祖祭の形態がまちまちであった。高野山の明遍僧正は、父の13回忌追善供養に反対し、何時までも六道の巷で流転しているのは仏法の教えに背くし、もう浄土に往生しているはずだという理由であった。仏教では念仏によって霊を早く浄土へ送ることを目的としていた。日本人の死後の観念、すなわち永久にこの国土の内にとどまって、霊は遠方へは行かないという信仰がまだ根強く持ち続けられていると柳田氏は考えている。先祖が何時までもこの国に留まるか、浄土という遠方へ行って往来はないとするかで、先祖祭りの目途と方式は違うわけである。
第24節 「先祖祭の明日」: 旧家を中心とするまきの年中行事の、正月と盆を除いた別の日に先祖祭を行う例が一番多い。家には先祖棚には忌日表のようなものがある。その日に名を唱えて鉦を鳴らす仏事を行うのは簡略に流れやすい。家が繁盛して永続していると、先祖の数も多くなると、段々と祭りかたが粗末になる。旧家では通称が同じことが多いので何代目の「吉右衛門」か明確にされてない祀り方、歴史に傑出した人物ならともかく、無名の先祖を祀る場合がほとんどで、先祖に対する情愛は薄れ、ただ法事の余禄みたいな行事に堕しやすい。
第25節 「先祖正月」: 先祖の霊を一人づつ何十年目かの忌日に祀る事は鄭重に見えて、実はゆき届かぬことが多い。子もなく分家もせずに亡くなった兄弟は大抵は無縁様になりやすい。人は亡くなってある年限を過ぎると、後は先祖様またはみたま様となって一つの霊体に融合してしまうものであるという。まきの本家において営まれる毎年の先祖祭は、祀る対象は不定のご先祖様である。普通は時正と言われた春分秋分の両日の墓所を拝みに行く習俗を「彼岸会の日」とした。仏法では「施餓鬼供養」と呼ぶ。薩摩の奄美大島諸島では、七島正月の習がある。旧正月の1か月前(新暦の正月前後)に大きな祭りを行うのである。明らかにこれは先祖祭である。「親玉祭」と呼んでいた。
第26節 「親神の社」: 親とは、目上の人を親と呼び、自分の親だけとは限らない。「オヤオヤの魂祭」である。佐渡島の内海地方では正月六日をその親神さんの年夜と称する。奄美大島の七島正月は、家々の先祖祭だけを、表向きから引き離して、温かい土地柄1か月前に繰り上げたのかもしれない。大分県鶴見崎半島では先祖祭を2月1日に行う村がある。正月を外して1か月ずらせたものであろう。
第27節 「ほとけの正月」: 近畿地方では正月6日を神年越しと呼ぶ人が多かった。この神年越しの神は年神の事で、また家々の先祖であろうと思われる。正月15日を神様の正月、16日をほとけの正月ともいう。おのおの前の日の宵を年越しと呼ぶ。正月16日をもって、先祖を拝む日としている例は極めて多い。南の徳の島でも先祖正月はこの16日である。越後東蒲原では16日を「後生はじめ」といっている。子お16日に仏正月の墓参りをする。個人の霊を「ホトケ」と呼んでいたのがまずかった。人は、故人はこの地と縁を切らず、日を決めて子孫の家と往来し家の発展を見たいと思っているという心情をもっている。
第28節 「御齋日」: 東京を江戸といった時代には、正月と盆の16日を「御齋日」といい、地獄の釜も開いて閻魔様を拝みに行く風習があったという。齋とは物忌みで穢れがないということで「御饌」が供せられ、葬式や法事の時は「おとき」の膳という。先祖祭の正月16日も「とき日」という。中国地方では三とき五節句の祭りの日がある。三ときとは正月、5月、9月の三度の16日(満月の日)のことである。1月16日は全国的にトキの日である。5阿月16日は最も重要視されるトキの日である。6月16日「かつう」、「嘉定」と呼びこれもトキの日であろう。7月16日をとき祀りとすることは関東から会津の人に見られる。8月16日はお盆である。盆には精霊送りがある。9月16日は5月と対応される。お伊勢の御齋日もこの日である。
第29節 「四月の先祖祭」: 正月と盆は春秋の彼岸と同様に1年に二度のとき祭りである。越後村上の一族では毎年四月十五日と九月二十三日に先祖祭をしている。「しんと祭」と呼ばれている。まきの家から出る世話人を「かぐら番」と称する。
第30節 「田の神と山の神」: 家の成立には、かって土地が唯一の基礎であった。田地が家督であり、先祖以来の努力がその地に注がれてきたからである。「御田の神」、「農神」、「作の神」は神道からは位置づけできない家ごとの神つまり先祖の霊であったろうと考えられる。春は山の神が里に下りてきて田の神になり、秋の終わりには山へ帰って山の神になる。多くの農村では山神祭、山の講の日に祀るのである。現在は2月と11月に行うが、東北ではトキの日の16日をもって農神、御作神の昇り降りの日としている。盆は完全に仏教の支配下に置かれたが、なお田舎では年の暮れに魂祭りが残っている。

(つづく)


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