ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 小野善康著 「成熟社会の経済学」 岩波新書

2012年10月29日 | 書評
生産力過剰の成熟社会の長期不況は、内需拡大による雇用創生が鍵 第3回

序(3)
 本書の主張は政策の分野に相当するため論敵が多い。「小野善康」を検索すると、反対論者・誹謗論者の言説に満ちている。そこで本書は論破する姿勢で構成され、問答集のようにまず反対論の論点を提示し、それに回答する形で著者の経済論が展開される。とかく論争には用いる材料の検証が必要であるが、私には資料を自分で集めるだけの力がないので、本書のいうところを論理的に追うだけである。しかし現在の民主党政権が提示する消費税増額政策を理解する上で分かりやすい解説書となっている。しかし民主党のいう消費税増税案が挫折すれば、恐らく著者のいうことは政治的立場が明確であるだけ、論敵からは曲学阿世の徒だと評価されるのだろう。小野氏はそれぐらいの覚悟を持っておられることは当然であろうが。経済学というのは私はよくは分からないのだが、ミクロ経済学で最近数式を多く使うようになっている。しかしその数式をよく見ると要因を定性的に関連付けるためであって、関数的に計算できるしろものではない。計算できるのは利子計算くらいであろうか。要因は分かったとしてもそれが全体に占める割合を数字的に決定付けることは到底不可能である。パラメータをいじくればいかようにもなる事は霞ヶ関付近のシンクタンクがよくやる手である。どれだけの重点を置くかのポイントがパラメータ化されている。アンケート調査の答えが1から5まで振ってあるのと同じである。したがって経済学者や評論家が何を言っても何を書いても、私たち素人には「一理ある」と思えるが、しかとその通りかと確認されると俄然分からなくなる。結果のとして経済統計値には無数の解釈が成り立つ。これをもって経済は人文科学というのか甚だ疑問となる。決定論でかたずかないものを科学では偶然というが、経済学では政治という。財政とはまさに政治論で、価値観の闘いであろうか。したがって経済関係の本を読むときはその著者の政治的立場を確定してから読まないと騙されることになる。とかく経済学は分からないものだが、諸説紛々で騙されるよりは、こういう立場で見て行くと世の中はこう見え、経済政策の結果はこう解釈されるくらいは分かりたいものである。その意味で一理ある説を多く拝聴することが勉強になる。
(つづく)


読書ノート 山口二郎著 「政権交代とは何だったのか」 岩波新書

2012年10月29日 | 書評
マニフェストを実行できない民主党の問題と民主政治への展望 第6回

1)民主党政権の2年間の軌跡 (3)
 政権交代には統治形式のレベルで政権の担い手が変わるということと、実体政策のレベルで配分の仕方が変わるという二つの期待があった。アメリカ大統領選で共和党と民主党の振り子のバランスがどちらに傾くか(修正)が2大政党論の期待である。戦後の55体制で自民党政治は自由主義と福祉政策を経済成長で実現してきた。その結果利益誘導政治となった。2000年になって小泉政権は規制緩和市場原理主義でこの利益誘導政策を破壊し、福祉政策を切り捨て新自由主義政策で資本側へ振り子は大きく傾いた。2009年民主党政権は内需主導経済再建と福祉政策優先(生活第一)を掲げて登場した。たしかに政権が変われる政策も変わることは実感したが、いまだに政策転換は不十分どころか政権が約束したマニフェストの実行は困難である。マニフェストは「嘘も方便」であったのだろうか。自民党利益誘導政策からの離脱は小沢という自民党体質を抱える以上難しいといわざるを得ない。小沢のいう「生活第一」と「議会民主主義」が方便なのか信念なのかまだ判断はつかない。他方菅や前原などは財政再建・成長戦略・普天間基地問題などについては自民党政権と変わるところはない。財界に対する媚びは自民党以上である。日本の民主主義の発展のためには政権交代の経験は必要である。政権交代以降の混迷と自壊の動きは、方便政党としての限界が実際に政権を取ってみて顕在化したというべきであろう。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「山寺看楓」

2012年10月29日 | 漢詩・自由詩
遠近連峰帯夕薫     遠近の連峰 夕薫を帯び

彩霞不見暮鐘聞     彩霞見えず 暮鐘を聞く

山中翠壁有丹葉     山中の翠壁に 丹葉有り

月影空虚多茜雲     月影空虚に 茜雲多し


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(韻:十二文 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)