ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 大瀧雅之著 「平成不況の本質」 岩波新書

2012年10月15日 | 書評
平成不況はデフレによるものではなく、構造改革(金融自由化)のためだ 第5回

1)マクロ経済から見る平成不況の本質 (2)

②失業率、インフレ率(消費者物価指数)、労働生産性:
 デフレと不況は本来因果関係には無い。デフレが不況を引き起こしたという経済評論家の理屈は理論に基づいていない。デフレとは物価が継続的に低下する現象である。物価が安定し所得が増えることが理想的な生活向上であるはずなのに、「経済評論家」は新興国や敗戦国家と同じように超インフレ(貨幣価値の喪失)を願っている。それは銀行や不動産会社の過剰負債が見かけ上帳消しになるからであろう。インフレ率は過去50年間一貫して減少してきた。2000年代は物価上昇はマイナスになり物価低下傾向が顕著である。このインフレ率の低下と逆相関しているかのように、高度経済成長以来50年日本の失業率は趨勢的に上昇している。1970年代失業率は1.7%だったのが2000年代には失業率は5%近くまで上昇した。日本の労働人口は⑥より現在4600万人で失業者数は330万人である。失業問題は深刻なのである。それでも日本で暴動にならないのは、欧米のような失業率10%-20%という凄まじさがなく、まだ日本社会のほうが安定しているといえる。「多様な労働」という言葉で厚労省は労働環境の不安定化を宣伝しているが、この日本の労働状況は欧米を見習う必要は全くないといえる。経済成長を景気循環の指標として重視することは、永久に「ネズミ講」が続いて欲しいという願望を示している。それでも多少は表現が「持続的成長」と柔らかになっているが、基本は経済右上がりを是とする信仰が続いている。パイが増えなければ格差が目立って社会が成り立たないという心配からきているのであろう。日本画これ以上の経済成長を達成することは長期的観点から見て好ましくない。人口減少時代に入って経済もゼロ成長に軟着陸しなければならない。むしろ所得配分の絶対不平等の緩和こそが社会安定の要である。金融資本の資産化地の暴落は有効需要とくに国内設備投資を著しく減退させ方向へ作用する。その結果余剰人員が生まれ解雇が発生するのである。企業が人材を保有している状態を「埋没費用」と呼ぶが、一度職を失うと労働者のスキルは断ち切られ、再度職を得ることは極めて難しくなる。今度生産量が増えてもスキルのない安い賃金の労働者を雇うことになり、当然労働生産性は落ちてくる。仕事についていてこそスキルは磨かれる。スキルをなくしたのは本人の怠惰にあるのではなく、解雇によって労働スキルを断ち切られたからだ。その事を②の表は物語っている。同じ一人を雇用しても昔の1人の生産性はない。マニアル仕事しか出来ない創造性のない労働者ばかりとなっているのだ。スキルの断絶は「履歴現象」といって、労働生産性は容易には回復しない。
(つづく)

文芸散歩 徳善義和著 「マルティン・ルター」 岩波新書

2012年10月15日 | 書評
キリスト教会の一元支配を改革し欧州の中世を終らせたマルティン・ルター 第9回

3)ことばが前進するー教会との闘いへ
 1518年4月(35歳)修道会はルターに神学討論を行なうように命じた。これは「ハイデルベルグ討論」と呼ばれる。 ルターは自らの神学構築に自信を持って、神学的提題と哲学的提題の2つの問題を掲げた。神学的提題は、①律法では人間は救われない、②人間の自由意志は悪を侵すだけである、③神の恵みは人間自身に絶望することから始まる、④神の恵みを得るにはキリストの十字架によってのみ与えられるを核心とした。こうしてルターは教会と全面戦争に入った。95か条の提題を時のローマ教皇レオ10世はドイツの田舎での論争ぐらいに考えていたが、一躍ルターは時の人となった。1518年から21年の4年間は教会との闘いとなった。1518年4月の「ハイデルベルグ討論」から始まり、同年10月カエタン枢機卿がアウグスブルグでルターを異端審問した。ここで大司教は教皇を頂点とするローマ・カトリック教会というシステムを根底から揺るがす主張である事を認識した。1519年(36歳)6月神学者ヨハン・エックが仕組んだ「ライプツィヒ討論」が2週間も行なわれた。エックは「ヤン・フスの火刑」を引いてルターを挑発した。教会の権威を認めない点でフスと同じでは無いかと詰問するエックに、ルターは「教会の歴史の中で、教皇も公会議も誤りを犯すことがあった」と言い切った。ルターは無誤謬神話で権威を保っていた教会に対する批難の言葉を出してしまった。こうして1521年1月教皇からついに「大破門」の教勅が発せられた。ルターの考えは選帝侯らの支持を得ていたので、高度に政治的な問題に発展し、1521年新皇帝カール5世はルターをウォルムスで開催される帝国議会に召喚し、「ウォルムス喚問」を行なった。ルターは主張の撤回を拒否し会場を後にしヴィッテンブルグへの帰途に着いた。皇帝はルターを帝国追放処分とした。ルターの身辺を心配した選帝侯らによって、帰途の途中のワルトブルグ城に匿われた。ワルトブルグ城ではルターは著作活動に専念し、そこでの最大の仕事である新約聖書のドイツ語翻訳に着手した。ルターはウルガタラテン語訳聖書、エラスムス新約聖書を基に翻訳を進め1522年(39歳)9月に選帝侯認可の形で出版された。ヴィテンブルグでは改革の努力が同僚の手によって続けられたが、カールシュタットの急進的改革は、修道院廃止や礼拝改革に突っ走り、市政は混乱状態になった。当時の世相を見ると14世紀から始まったルネッサンスは人間中心主義を理想とし、哲学の宗教からの離脱を始め、宗教からの解放を目指した文化運動となった。絵画、音楽、建築など総合的文化創造となる。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「紅灯酒家」

2012年10月15日 | 漢詩・自由詩
不抗風吹捲釣絲     風吹くに抗わず 釣糸を捲き

悠然帰路落陽遅     悠然と帰路 落陽遅し

紅灯酒旗牛羊避     紅灯の酒旗を 牛羊避け
 
黄橘農家鳥雀窺     黄橘の農家を 鳥雀窺がう


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(韻:四支 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)