ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

読書ノート 大瀧雅之著 「平成不況の本質」 岩波新書

2012年10月17日 | 書評
平成不況はデフレによるものではなく、構造改革(金融自由化)のためだ 第7回

1)マクロ経済指標から見る平成不況の本質 (4)
④名目賃金:
 名目賃金を見ると大企業の製造業や不動産・賃貸業の賃金は2000年構造改革期に10%程度減少したが、金融機関の賃金は構造改革期において少しも減っていない。これほど巨額の赤字を出して銀行が猶安泰としていられるのは、絶大な行政の保護があるからである。銀行の業務には企業の取引決済業務と投資・貸し出しを行なう与信業務からなる。取引決済業務はコンピュータシステムによる殆ど無人業務で、これだけで派巨大となった銀行は食ってゆけない。そこで大量の資金を動かして株価を上げるという財テク業務に専心する。インサイダー取引で出来上がったマーケットの値付けによって、一般投資家の金を巻き上げる悪徳商法である。だから銀行業務を取引決済業務だけに規制する「ナローバンキング」という論が出てくるのである。日本の経済成長期には名目賃金の上昇は労働生産性の向上と歩調を合わせて進行してきた。そしてインフレ率は労働生産性と相関した。つまり経済のよい循環とは、雇用の安定が労働生産性の上昇となり賃金の上昇をもたらした。それはさらに消費活動を拡大し次の雇用率を高め次の経済拡張の礎となる連鎖関係にあった。見方を変えると現在の不況はその逆の連鎖にあるといえる。現在のディスインフレ期の有効需要の不足が失業率増加をもたらし、労働生産性が低下しそれにともなって名目賃金・物価水準の抑制されていることが特徴である。
(つづく)

文芸散歩 徳善義和著 「マルティン・ルター」 岩波新書

2012年10月17日 | 書評
キリスト教会の一元支配を改革し欧州の中世を終らせたマルティン・ルター 第11回

5)ことばを受けとめるー宗教改革の悩み (1)
 ローマ・カトリック教会という巨大なシステムや熱狂主義という急進分派との戦いにルターは悩まされた。また人文主義者のエラスムス(1467―1536年)の人間理性主義にルターは一定の距離を置いていた。1524年(41歳)エラスムスは「評論 自由意志について」という本においてルターの義に対する見解をまとめて,討論を呼びかけた。人間の進歩を信じるエラスムスが信仰を強調するルータへの討論であったが、ルターは殆ど相手にしなかったようだ。ルターの改革を契機に社会全体が流動してくると、各地で要求を掲げた農民運動・一揆が起り全国化の勢いをみせた。1525年南ドイツの農民は12か条の宗教的・社会的要求を掲げた。これに対してルターは農民への「勧告」を書き、諸侯の責任を指摘し、農民には平和的解決を呼びかけた。農民が暴動化してゆくためルターはついに農民を批難し、諸侯に暴徒の鎮圧を求めた。これがドイツ農民戦争となって農民の虐殺に繋がった。このため南ドイツでは宗教改革への支持を失った。南ドイツにはルター改革は浸透しなかった。またユダヤ人問題についても、いずれはキリスト教に集約されるはずだと考え,頑迷なユダヤ人を批難したことが、400年後にはナチスの反ユダヤ主義に利用されるはめとなった。これらはルターの限界であると同時に歴史の皮肉でもある。宗教改革者としてのほかにルターには神学者として研究と教育にも力を注いだ。1534年(51歳)旧約聖書のドイツ語訳が刊行された。ドイツ語訳新約・旧約聖書の普及とともに、期せずしてザクセン地方のドイツ語が全ドイツに普及して標準化されていったのである。ルターは標準ドイツ語の誕生にも一役買ったのである。ルターの宗教改革的発見は聖書を掟の書とは見ないで、神学的には「律法」と「福音」の2通りのことばで人間に語りかけているとみるのである。ルターは受動的な受け入れ(他力本願)を強調したといえる。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「深 秋」

2012年10月17日 | 漢詩・自由詩
西風切切入秋衣     西風切切と 秋衣に入り

空院凄涼獨掩扉     空院凄涼 獨り扉を掩う

樹下東籬黄葉満     樹下東籬に 黄葉満ち
 
遠山高閣白雲飛     遠山高閣に 白雲飛ぶ


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(韻:五微 七言絶句平起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)