ブログ 「ごまめの歯軋り」

読書子のための、政治・経済・社会・文化・科学・生命の議論の場

文芸散歩 徳善義和著 「マルティン・ルター」 岩波新書

2012年10月07日 | 書評
キリスト教会の一元支配を改革し欧州の中世を終らせたマルティン・ルター 第1回

序(1)
 キリスト教の教義には迂遠にして無関心な私がコメントできるわけでもないが、マルティン・ルターの宗教改革の歴史的意義は西洋史で習った。本書がルターの評伝であると云うことで途端に興味が湧いた。特に最近読んだ本で、マックス・ヴェーバー著「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」(岩波文庫 1989年改版)が禁欲的プロテスタンティズムの天職倫理が勤勉と資本蓄積をもたらしたというくだりがあって、プロテスタンティズムに興味を持っていた。そのプロテスタンティズムの祖マルティン・ルターの生涯について全く知らなかったのを恥じて本書を手にした次第である。現在のキリスト教会は大きく4つの世界があるといわれる。ローマ・カトリック教会、ギリシャ正教会、プロテスタント派教会(ルーター派、カルヴィン派など改革派)、英国国教会である。特に複雑に分派が見られる改革派は英国でも清教徒(ピューリタン)がアメリカに移民した。この教徒が興した国の資本主義精神にヴェーバーが注目したのだ。改革派の複雑な分派は日本でいうと全学連・全共闘の学生運動の分派の如く麻の様に乱れている。宗教社会学者のヴェーバーは「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」のなかでキリスト教諸派の社会学的解析を試みているが、私の興味には無いので省略する。私はプロテスタンティズムの教義が進歩的だと肩入れするわけではなく、ローマ・カトリック教会やギリシャ正教会を反動団体だと決め付ける見解をとる者ではない。ましてキリスト教とイスラム教に見られる原理主義を批難するわけではない。私には縁遠い世界の事で、宗教の教義とは別の政治的・人文文化的な歴史のほうに意味を求める主義である。
(つづく)

読書ノート 徳田雄洋著 「震災と情報」 岩波新書

2012年10月07日 | 書評
震災で情報はどう伝えられたか、情報空白から身を守るために 第9回

4)最初の1ヶ月ーどんな説明がなされたか (2)
 飯館村は原発から40Kmの距離にありながら放射線量は毎時2,3ミリシーベルト、高いところで10ミリシーベルトを超えた。3月15日福島県放射線健康リスクアドバイザーの長崎大学高村教授、さらに4月1日には同じく長崎大学の山下教授が、4月10日には近畿大学の杉浦教授が講演会にやって来てひたすら安全を強調して帰った。しかし3月28日京都大学の今村助教授らは独自調査を行なって、飯館村は危険であり避難の必要性を説いた。御用学者の安全宣言にもかかわらず、4月11日官房長官は年間20ミリシーベルトを超す恐れがある地域を「計画的避難地域」として認定し、4月22日飯館村を含む5市町村を対象に避難を指示した。4月22日原発から半径20Km圏内を罰則を伴う「警戒区域」に指定した。20-30Km圏内は「緊急時避難準備区域」と指定された。低レベルの放射線の人体への影響はいろいろ議論されており、化学物質の毒性評価のもとである「閾値無害説」は「比例的影響説」、そしてその亜流である「非比例的影響説」などがあって結論は出るべくもないが、3月29日食品安全性委員会は「食品中の放射性セシウムによる年間5ミリシーベルトの内部被爆は緊急時の対応基準とすることは妥当である」という見解を発表した。通常の被爆量は(外部+内部)被爆基準を1ミリシーベルト/年とし、緊急時は20ミリシーベルトを採用している。したがって食品由来内部被爆基準を5ミリシーベルト/年に引き上げることである。栄養士と放射線測定士が毎日の食事を記録しない限り実効性を持たない議論である。
(つづく)

筑波子 月次絶句集 「中秋夕陽」

2012年10月07日 | 漢詩・自由詩
雲物凄涼看夕陽     雲物凄涼 夕陽を看る

明星数点一天霜     明星数点 一天の霜

紅衣落盡西風起     紅衣落ち盡くし 西風起こり
 
紫艶半開秋意長     紫艶半ば開いて 秋意長し


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(韻:七陽 七言絶句仄起式  平音は○、仄音は●、韻は◎)
(平仄規則は2・4不同、2・6対、1・3・5不論、4字目孤平不許、下三連不許、同字相侵)