アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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歴史的汚点隠ぺいする「石原慎太郎評」

2022年02月12日 | 人権・民主主義

 石原慎太郎元都知事の死去(1日)にあたってのメディア報道は、NHKをはじめ、「石原賛美」に終始しました。この状況に対し、ジャーナリストの乗松聡子氏はこう指摘しています。

「故人がヘイトスピーチ常習者、レイシスト、ミソジニストであったことの証拠は枚挙にいとまがない。報道各社がここを過小評価することは歴史改ざんとも言え、外国籍の人たち、障がいを持つ人たち、性的少数者などマイノリティーの命を危険にさらす社会が続くことを容認することにもなる」(6日付琉球新報)

 この指摘は、報道各社だけでなく、メディアに「石原評」を寄せた「識者」についても該当します。私が読んだ限りで見過ごせないのは、中島岳志東京工業大教授(週刊「金曜日」編集委員)の論稿(3日付沖縄タイムスなど=共同)です。

 中島氏は、「彼(石原)の人生は、戦後日本と密接に重なる」とし、「(石原は)新たな戦後的価値の創造者になるには、何が必要なのかを追求」し、「その答えを「肉体の実感」に求め」た。しかしそれは、「一層の虚脱感が襲った」。「そんな石原が手ごたえある存在として見いだしたのが、国家だった。政治という現実的な活動と直接かかわることで、虚脱感の克服を目指した」と、石原氏が「政治家」に転身した動機を解釈します。

 石原氏の都知事としての「業績」について中島氏は、「カラス退治」などを挙げ、それは「「潔癖」的な政策」だとし、「ここに退廃や虚無を拒絶し、肉体的健康を戦後的価値と見なした彼の特質が現れている」と断定。それが「障害者に対する差別発言などを生み出す温床にもなった」といいます。そして論稿をこう結びます。

「それでも戦後の大衆は、そんな石原を面白がり支持し続けた。彼の生涯は、まさに戦後日本人の無意識的願望を背負ったものだったのだろう。石原への批判は、戦後日本を生きてきた私たちへの批判となって跳ね返ってくる」

 中島氏が石原氏の「文学」をどう評価するかはもちろん自由です。しかし、「政治家」としての石原氏の言動を論評する場合は、客観的な事実に基づいて行う必要があります。

 中島氏は「政治家」としての石原氏を評するにあたり、「障害者に対する差別発言」があったことはひとこと触れていますが、石原氏の思想・人格を最も端的に現した発言を完全に欠落させています。それは石原氏が知事に就任した翌年の2000年4月9日、陸上自衛隊練馬駐屯地の式典で行った次の発言です。

今日の東京を見ますと、不法入国した多くの三国人、外国人が凶悪な犯罪を繰り返している

 「三国人」とは朝鮮人を指す差別用語です。これほど悪質なヘイク・ヘイトスピーチ、差別発言はありません。乗松氏が「ヘイトスピーチ常習者、レイシスト」と断じるゆえんです。

 中島氏はなぜこの発言を無視したのでしょうか。この民族差別発言は、障害者差別と違い、「肉体的健康を戦後的価値と見なした」とする独自解釈では説明できません。中島氏は石原氏のこの民族差別をどう解釈するのでしょうか。

 確かに、「面白が」って石原氏を「支持し続けた」人たちもいたでしょう。しかしそれを「戦後の大衆」と不特定多数に拡大するのは暴論です。心底石原氏を嫌悪し批判した「大衆」も少なくないでしょう。

 とりわけ、「石原への批判は、戦後日本を生きてきた私たちへの批判となって跳ね返ってくる」という結論は黙過できません。これは、石原氏と「戦後日本を生きてきた私たち」を一体化させるものですが、なぜそう言えるのか論拠は不明確です。「戦後日本を生きてきた」者の一人として、石原氏と一体化させようとする論に身震いするような嫌悪感を持ちます。

 重大なのは、「私たちへの批判となって跳ね返ってくる」という結論が、石原氏への批判を抑止する役割を果たしていることです。
 石原氏が「政治家」(都知事・国会議員)として繰り返した差別発言は、歴史に批判され記録されるべき重大汚点です。そして彼を4回も都知事に当選させ、参院全国区のトップ当選はじめ何度も国会議員に当選させたことは、日本の有権者の歴史的恥辱です。

 そうした石原氏への批判と有権者としての日本人の自省を抑止する論調は、歴史的汚点の隠ぺいに加担するものと言わざるをえません。


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