アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

日曜日記183・遠藤周作と良寛

2022年02月06日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨年末、NHK「こころの時代」で何度か遠藤周作(1923~1996)の遺作『深い河』が取り上げられた。遠藤はこの執筆中に、ジョン・ヒックの『宗教多元主義』(1990年)を読み、深く共鳴した。遠藤は敬虔なキリスト教徒だったが、仏教も大事にしていた。

 とりわけ、良寛(1758~1831)の辞世の句「裏をみせ表をみせて散るもみじ」に象徴される「自然」な生き方に共感していたという。遠藤の最期の言葉は、「死は終わりではない」だった。

 改めて良寛の生き方に興味を持ち、以前、拾い読みしていた『風の良寛』(中野孝次著、文春文庫2004年)を読み直した。

 良寛は新潟県・出雲崎の名主の家に生まれたが、それを棄て約20年、全国を修行行脚した。越後に帰ってきたのは39歳。以後、越後の山中の小さな庵で生涯を過ごした。

 そこには炉もなく、便所もない。あるのは鍋とすり鉢と欠けた茶碗だけ。病弱でしばしば病魔に襲われたが、厳寒の越後の山中で、薄い布団にくるまって、独りで耐えた。

 病気になった時の心細さは想像に難くない。良寛は74歳で没するまで、あらゆる誘いを断って、この庵で人生をまっとうした。

 中野孝次はそんな良寛の生き方をこう記述している。

「現代人は…人為によって自然を克服することをまず考え、それは可能であるかのように思い込んでいる。…良寛の時代の人々は、自然に対してはまずそれを受け入れることを考えたのであった。自然を受け入れ、堪えがたくとも堪え、自然と融和して生きる。良寛という人はそれを哲学として原理化していたのだ」

 なんというストイックな壮絶な生き方だろう。「自然と融和して生きる」とはかくも厳しいものなのか。

 ところがである。良寛は70歳にして恋におちた。
 相手は弟子でもある貞心尼。相思相愛だった。このとき貞心尼は30歳。年の差40歳だ。

 福島に住む貞心尼との間で盛んに文通し、和歌を交換し合った。貞心尼は時に越後の良寛を訪ねた。良寛の死期が迫ると、庵に住み込み、付きっ切りで看病した。

 雪深い山中の粗末な庵で35年間、寒さと病と孤独に耐えた生涯だったが、最期の3年余は、貞心尼の愛に包まれ、その手の中でこの世を去った。
 なんと幸福な人生だろうか。

 自然を受け入れ、自然に融合して生きた良寛の人生。貞心尼との出会いも、相思相愛も、「自然」の一環だったのではなかったか。自然に敬意を持って生きれば、自然(人知を超えた偉大な何ものか)は、素晴らしい「ギフト」を与えてくれるのではないだろうか。

 良寛の生き方、貞心尼との珠玉の月日は、これからの「ウイズ・キャンサー」の生活に励ましと希望を与えてくれる気がする。


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