アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
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自衛隊の「大東亜戦争」記述と「尊皇攘夷」思想

2024年04月16日 | 自衛隊・日米安保
   

 陸上自衛隊第32普通科連隊(さいたま市)が5日公式SNSに「大東亜戦争最大の激戦地硫黄島」と投稿したことが8日朝の報道で発覚して問題になったことから、自衛隊は同日午後、この記述を削除しました(写真左は削除前、中は削除後)。

「大東亜戦争」の記述はなぜ問題なのか。それを最も的確に報じたのは、(私が見た限り)韓国のハンギョレ新聞でした。

大東亜戦争という用語は、太平洋戦争のA級戦犯である東条英機内閣時代の1941年、公式な表現として閣議決定された。この表現は、日本の主張した「欧米の帝国主義からアジアの植民地を解放し、大東亜共栄圏を築いてアジアの自立を目指す」とする「大東亜共栄圏構想」から来たものだ。敗戦後、日本を占領した連合軍総司令部(GHQ)は、公文書などでもこの用語の使用を禁止した」(9日付ハンギョレ新聞デジタル日本語版)

 「大東亜」という用語が公式文書に登場したのは、東条内閣の閣議決定よりさらに1年前の第2次近衛文麿内閣にさかのぼります。

「1940年7月に成立した第二次近衛内閣は、同盟国ドイツのヨーロッパ戦線での快進撃という新情勢の展開に促され、組閣直後に「基本国策要綱」を閣議決定した。そこでは「大東亜新秩序の建設」が打ち出され、新たな中国支配構想を提唱した」(纐纈厚著『侵略戦争』ちくま新書1999年)

 「大東亜(戦争・共栄圏・新秩序)」が、帝国日本のアジア侵略・植民地支配を象徴する言葉であったことは明白です。

 さらに留意すべきは、「大東亜共栄圏」思想は天皇崇拝と密接な関係にあることです。

「大東亜戦争の目的は、アジア人が共存共栄する「大東亜共栄圏」の建設だとされました。ここに至っても、尊皇攘夷の思想が焼き直されているわけです。現実はもちろん違います。世界大恐慌のあと…東アジアだけでは資源が足りない。とくに石油がありません。そこで「東亜」を「大東亜」に拡大し、東南アジアや南アジアまでを占領し、ブロック経済をつくらなければならないと考えた。これが「大東亜共栄圏」の現実でしょう」(片山杜秀・慶応大教授、島薗進・東京大名誉教授との対談集『近代天皇論』集英社新書2017年)

 「大東亜共栄圏」思想は、幕末から明治維新にかけて天皇制政府を樹立・強化するための思想だった「尊皇攘夷」の焼き直しだという指摘です。
 さらにそれは、現在の自民党政権と無関係ではありません。

 前掲書で片山氏と対談した島薗進氏は、安倍晋三首相(当時)が2016年のG7サミットで各国首脳を伊勢神宮に参拝させた(写真右)ことについてこう指摘しています。

尊皇攘夷で育まれ、日露戦争勝利で膨張した対外優越意識が、伊勢志摩でよみがえってしまったところがありますね。戦前に回帰するように、現在の政権もなんとかして伊勢神宮に国家的な地位を与えようとしているわけです」(前掲、片山氏・島薗氏対談集)

 自衛隊は最近、陸自隊員や海自隊員の参拝、元将官の初の宮司就任など、靖国神社との接近を強めています(3月19日のブログ参照)。そして今度は「大東亜戦争」。
 それらは無関係なようで根は1つです。根底にあるのは「尊皇攘夷」思想―天皇崇拝と対外優越意識・アジア人民蔑視であり、行き着く先は侵略戦争・植民地支配肯定です。

 こうした自衛隊の体質が、「軍拡(安保)3文書」による日米安保条約(軍事同盟)のかつてない深化の中で表面化してきているところに、現在の情勢の危険性が端的に表れています。
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