アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

Nスぺ・下山事件-朝鮮戦争準備の米国陰謀

2024年04月01日 | 日米安保・軍事同盟と政治・社会
   

 3月30日のNHKスペシャルは、「戦後最大の未解決事件」といわれる下山事件(1949年7月5日、当時の国鉄総裁・下山定則氏が都内で「轢死体」で発見)の真相に、新たな未公開資料などで迫りました。注目されたのは以下の内容です(写真は同番組から)。

 国鉄は当時、GHQから10万人の人員削減を迫られており、下山総裁は労働組合との交渉の前面に立っていた。そんな中で事件は起こった。

 自殺説と他殺説に分かれたが、鑑定の結果などから捜査は他殺の線で進められた。その中で、李中煥という韓国人が浮上した。李はソ連が裏で糸を引いた犯行だと供述した。しかし、実は李はソ連とアメリカの二重スパイだった。

 布施健検事正を中心に進められていた捜査は核心に迫る手前で、アメリカの指示によって打ち切られ、やがて時効となった。

 李はGHQ配下の諜報組織・東京神奈川CICに属し、同じ諜報組織・キャノン機関のジャック・キャノン少佐、ビクター・マツイに情報を流していた(写真中)。李は1950年プサンに強制送還され、以後消息を断った。

 アメリカの反共工作の実態を突き止めた記者がいた。読売新聞(当時)の鑓水徹だ。鑓水は右翼の大物・児玉誉士夫から情報を得ていた。
 児玉によれば、アメリカは当時朝鮮戦争の準備をしており、その際はアメリカが国鉄を自由に使えるよう水面下で要求していた。それを下山総裁は拒んでいた。だから下山は殺された(写真左)。

 鑓水はそうした真相を報じようとする。しかしその直前、「家族の命と正義とどちらを選ぶ」と脅され、報道を断念した。鑓水はまもなく記者を辞めた。

 実際、朝鮮戦争開始(1950年6月25日)から2週間で、でアメリカ・米軍は国鉄の客車7324両、貨車・5208両を自由に使った。

 吉田茂首相(当時)はダレス米駐日大使との会談で、「下山事件は一人の韓国人(李)が引き起こしたものだ」と公言した(写真右)。そして朝鮮戦争開始の翌年、吉田はサンフランシスコ「講和」条約と日米安保条約に調印した(1951年9月8日)。

 以上が主な注目点です。驚くべき真相ですが、重要なのはこれがけっして75年前の過去の問題ではないことです。

 CIA(米中央情報局)などによるアメリカの諜報・謀略活動は現在も世界各地で行われているのは周知の事実。もちろん日本においても。朝鮮(韓国)人を諜報に利用し、首相の吉田(麻生太郎の祖父)が公然と犯行責任をなすりつけた根底には民族差別があります。

 下山総裁暗殺の動機だったと児玉が語っていた朝鮮戦争はまだ終わっておらず(1953年7月休戦協定)、今も朝鮮半島、東アジアの緊張の根源になっています。

 なによりも、アメリカは自国の戦略・利益のためにはあらゆる手段を使って日本を利用しようとする。対米従属の軍事同盟である日米安保条約はまさにこうした経過の中、下山総裁暗殺という謀略の結果、調印されたものです。

 そして今、アメリカは中国を念頭に戦争準備を強め、日米安保条約によって、米軍と自衛隊が有事の際に、沖縄はじめ日本の基地・空港・港湾を自由に使える体制づくりに躍起になっています。かつて朝鮮戦争前夜に国鉄を利用しようとしたように。

 そうした日米軍事同盟=安保条約の危険性について、日本のメディアは沈黙を続けています。けっして「家族の命」で脅されているわけでもないのに。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする