17日投票の沖縄・宮古島市長選挙は、「オール沖縄」勢力(社民、社大、共産、立民)と保守の一部が共闘した座喜味一幸氏が当選しました。地元紙はこれを、「「オール沖縄」連敗脱す 浦添、うるま市長選へ弾み」(18日付琉球新報)、「「オール沖縄」立て直し好機」(同沖縄タイムス)と、いずれも「オール沖縄」にとって追い風であると論評しました。果たしてその評価は妥当でしょうか。
今回の投票率は65・64%で、前回(2017年)を2・59㌽下回り、これまでの同市長選で最低でした(第1回=2005年は85・86%)。その主要な原因が、「前回最大の争点となった陸上自衛隊配備問題は、両候補とも容認したため論戦は深まらなかった」(同琉球新報)ことにあるのは明らかでしょう。
今回の宮古島市長選は、有権者から「自衛隊配備反対」の選択を奪い、したがってどちらが当選しても「自衛隊配備」に市長選のお墨付きが与えられたと政府・防衛省に強弁させる余地を作ったという二重の犯罪的役割を果たしたと言えます。その一翼を担った「オール沖縄」の責任は改めて重く問われなければなりません(12日のブログ参照)。
座喜味氏の当選は、「オール沖縄」の今後にとってどういう意味を持つでしょうか。
座喜味氏は自衛隊配備問題について、「国や県、賛成・反対双方の市民が議論できる連絡協議会を設置して解決に当たる」(同琉球新報)としています。しかし、国はもちろん、県(玉城デニー知事)も配備を容認しているのですから、「連絡協議会」なるものが多数の力で反対派市民を抑え込む場になることは必定です。
しかし、「オール沖縄」勢力の中には自衛隊配備に「反対」している人たちが現に存在しています。「共産をはじめとする(座喜味氏)支持者の一部は「反対」を訴えており、内部で亀裂が生じる可能性も残る」(同琉球新報)と見るのが自然です。もし「亀裂が生じ」ないとすれば、それは共産党などが「自衛隊配備反対」の旗を名実ともに降ろす場合でしょう。
沖縄タイムスは、「保革相乗りで当選した座喜味氏が…保革を超えた新たな政治スタイルを築くことができるか、手腕が試される」(18日付社説)と「保革を超えた政治スタイル」なるものに期待しています。しかし、座喜味氏を支える「オール沖縄」が亀裂なく存続するためには、前述の通り、「自衛隊配備反対」勢力が「容認」(あるいは黙認)に転じるほかないのですから、「保革を超えた政治」とは結局、「保守」=自民党路線に沿った政治ということになります。
実は「オール沖縄」の「保革相乗り」は今回に始まったことではありません。そもそも自民党県連幹事長を務め、生涯自民党籍を離脱しなかった翁長雄志氏を知事に担いだこと自体、すなわち「オール沖縄」自体が「保革相乗り」なのです。
結果、「辺野古埋め立て承認撤回」は翁長知事によって4年間引き延ばされ、取り返しのつかない事態を招きました。そしていま、自衛隊配備問題でも「反対」の声が打ち消されようとしています。
「オール沖縄」とは、米軍基地建設に続いて自衛隊配備でも、結局自民党政権の路線に吸収されていく革新つぶしに他ならないのです。そのことが今回の宮古島市長選で改めて証明されたのではないでしょうか。
これが果たして沖縄県民の望む方向でしょうか。
折しも同じ18日付沖縄タイムスの「論壇」に、次のような論稿が載りました。
「(沖縄は)米国従属の日本に従属して防波堤となるか? 否、「米軍基地、自衛隊基地がない素晴らしい沖縄」。復帰前に目指した未来に向かい努力する以外ない。理由は簡単、「命どぅ宝」だからだ」(那覇市・与那覇恵子さん)
これこそ、多くの沖縄県民、そして「日本国民」の願いであり、進むべき方向ではないでしょうか。
米戦略による戦争の前線基地となる在日米軍基地と自衛隊基地に反対する平和・民主勢力は、「保革相乗り」という名の自民党路線にほかならない「オール沖縄」の虚構から今こそ脱却し、「米軍基地全面撤去」「自衛隊配備反対」の旗の下に再結集すべきではないでしょうか。