核兵器禁止条約が22日発効しました。それを社説(主張)で取り上げた日本のメディアは(読売、産経を除き)、一様に日本政府が同条約を批准していないことを批判し、「核保有国と非保有国の橋渡し役を」などと主張しました。同時に、もう1つの共通した特徴がありました。それは、日米安保条約(軍事同盟)に一言もふれていないことです。
そんな中で唯一(私が見た限り)、核兵器禁止条約と日米同盟の関係に言及したのは、秋山信将・一橋大学大学院法学研究科教授でした。秋山氏はこう述べました。
「日本が核兵器禁止条約に入った場合、理論上は日米同盟を維持することは可能ですが、核保有国を相手にしなければいけない場合、核抜きで日本の防衛を担うことが可能だろうか。日本は「核兵器禁止条約に加入するか」「日米同盟を維持するか」という選択肢のどちらかを選ばざるを得ない」(22日のNHKらうんど中国「核兵器禁止条約発効 ヒロシマの思いは」写真右)
秋山氏はどちらの選択肢を選ぶべきかは明言していませんが、“だから日米同盟は必要なのだ”というニュアンスがうかがえます。私はもちろん、逆の意味で、この発言に注目します。
日本が核兵器禁止条約を批准しないのは、日米安保条約=軍事同盟があるからです。核兵器禁止条約と日米安保条約は二律背反です。まさに、「核兵器禁止条約」か「日米安保条約=日米同盟」かの選択が問われているのです。
にもかかわらず、日米安保条約を肯定・支持しながら、それには言及せず、核兵器禁止条約の重要性を説き加入を主張する日本のメディアは、しんぶん赤旗も含め、偽善・欺瞞のかたまりと言わねばなりません。秋山氏のようにはっきり問いかけるべきなのです。「核兵器禁止条約=核兵器廃絶」か「日米安保条約=軍事同盟」なのか、その選択が今問われている、と。
メディアだけではありません。政府を批判して核兵器禁止条約の批准を切望している被爆者団体はじめ平和市民団体からも、「日米安保条約廃棄」の声は聞こえてきません。どうしたことでしょうか。日本政府が日米安保=軍事同盟を堅持したままで、核兵器禁止条約に加入することがあり得ると考えているのでしょうか。「橋渡し役」への期待の声も少なくありませんが、核超大国のアメリカと従属的軍事同盟を結んでいながら中立的な「橋渡し役」などできるはずがないのは自明ではないでしょうか。
日米安保条約を廃棄しない限り、核兵器禁止条約の批准はじめ核廃絶運動は前進しません。日本は一日も早く“日米安保タブー”を打破しなければなりません。「現状に甘んじず、あえて高い理想を掲げることが、社会を変える力となる。このことは歴史が証明している。核兵器禁止も、決してあきらめてはなるまい」(23日付東京新聞社説)といいますが、甘んじてならないのは、日米安保・軍事同盟にどっぷり漬かりそれを問い直そうともしない思考停止に陥っている「現状」です。
政府・自民党、基本政策で自民党と変わらない諸政党、体制順応のメディアに、直ちに日米安保条約廃棄の立場に立つことを求めようとは思いません。しかし、少なくとも核兵器禁止条約を支持し、日本も加入すべきだと考える人々、被爆者団体、市民団体は、一日も早く“日米安保タブー”から脱却すべきです。そして、「核兵器禁止条約加入」の要求を、「日米安保条約=軍事同盟廃棄」の主張と一体化させるべきです。それこそがが「社会を変える力」になるのではないでしょうか。