アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「沖縄」「朝鮮半島」―「当事者」はだれか?

2017年04月25日 | 沖縄と基地

     

 安倍政権は今日(25日)、ついに辺野古埋立の護岸工事を強行しました。また、今日は北朝鮮の「朝鮮人民軍創建記念日」で、朝鮮半島の情勢も一触即発です。
 「沖縄」や「朝鮮半島」のこうした事態の、「当事者」はいったいだれでしょうか?

 21日付の沖縄タイムスで、平安名純代・米国特約記者は「沖縄基地、日米国民の問題 当事者意識持ち行動必要」の見出しのコラム(「想い風」)で、こう指摘しています。
 「在沖米軍基地を巡る問題は『沖縄の問題』ではなく、『沖縄が押しつけられてきた問題』だ。これを解決するには、沖縄に基地を押しつけてきた日本国民と米国民が『われわれの問題』と認識し、行動する必要がある

 平安名記者の指摘から、16日付の沖縄タイムス、琉球新報の両紙に載った(共同配信)、作家の辺見庸、目取真俊両氏の対談が想起されました。「沖縄の基地問題の根底に潜むものは何なのか」がテーマです。全文が一読に値しますが、特に印象深かった個所を抜き出します。

 目取真 沖縄の経済は基地で成り立っていると思いたい意識構造がヤマトゥにある。県民は基地で食べていると思えば、基地を押し付けているやましさを解消できるから。

 辺見 状況は基底部から変わってきていて、憲法9条を擁護する人も、それを行動化しない。9条賛成で日米安全保障条約容認も「あり」になった。ホンド(「本土」-引用者)の立ち回りは論理の破綻であるとともに、倫理の根源にも触れる。端的に言うと、ホンドの視線には卑劣なものがある。沖縄からみたらもっと卑怯さを感じると思う。

 目取真 「九条の会」の組織が全国各地にできているが、日米安保条約には踏み込まない。意図的に平和運動の軸を安保条約反対から9条擁護にずらしていった気がする。沖縄が抱える状況とは乖離している。安保条約の問題を抜きにした9条擁護は欺瞞だと思う。

 辺見 そこですね。安保条約を事実上容認し、かつ反戦平和の側にも立ちたい人びとが多い。あまりに虫がよすぎる。しかし、安保条約肯定は、沖縄の巨大な米軍基地を是認することです。一方、沖縄の基地の県外そして国内移設を訴えている人びともいる。善意は疑わないけれど、県外移設論は安保条約そのものの本質を突いてはいない。

 目取真 (「沖縄の抗議行動には若い世代の参加が少ないとも感じる」という司会者=共同通信編集委員に対し)逆に聞きたいが、たとえば関東近県で若者の抵抗運動、政治運動がどれだけあるのか。…辺野古では、そういう人(「年金生活者」やアルバイトー引用者)が運動を維持し、20年も続いている。今の日本にこれほど長く続いている市民運動がいくつあるのか。辺野古へ来て座り込みすることはできなくても、ヤマトゥでも日米安保条約に反対することはできる。それぞれの場でやればいい。安保条約の上で暮らす全ての人が当事者。責任を負っている。

 「沖縄の基地問題」、いいえ、「沖縄に基地を押しつけている問題」で、私たちヤマト(ホンド)の人間は間違いなく「当事者」です。そのことの意味を、「辺野古」が重大局面を迎えている今こそ、あらためて肝に銘じる必要があります。自戒を込めて痛感します。

 「沖縄」だけではありません。そもそも朝鮮半島の南北分断は、帝国日本の(あるいはもっと昔からの)朝鮮侵略が発端です。現在の緊迫した状況を作り出している直接の原因である朝鮮戦争でも、日本はアメリカと一体となって(後方支援や軍事行動への部分参加など)事実上参戦しました。そしていま、安倍首相のトランプ大統領への賛辞や、空母カールビンソンを中止とする「空母打撃群」と海上自衛隊の共同「訓練」によって、日本は文字通り米軍と一体になって北朝鮮に圧力をかけています。
 「朝鮮半島」の事態に対し、日本は、私たち日本人は、間違いなく「当事者」です。

 こうして「沖縄の基地」や「朝鮮半島の緊張」に対して私たち日本人が「当事者」である根源が、いずれも日米安保条約(日米軍事同盟)であることは言うまでもありません。

 日米安保条約を(事実上)容認した「9条擁護」は、論理と倫理の破綻であり卑劣だという辺見氏の言葉、そして、「安保条約の上で暮らす全ての人が当事者」という目取真氏の言葉を、深く受け止めたいと思います。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする