アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

沖縄「慰霊の日」ー未明にうごめく自衛隊

2016年06月23日 | 沖縄と基地

    

 今日6月23日は沖縄「慰霊の日」。平和祈念公園で式典が行われるほか、同じ摩文仁の丘にある「平和の礎」(写真左)や「魂魄之塔」(写真中)に、朝早くから県民が手を合わせ、平和への誓いを新たにします。

 その「慰霊の日」、まだ夜が明けきらない中、摩文仁の丘のひときわ高いところにそびえる「黎明之塔」(写真右)に、軍服に身を包んだ一群が訪れ、花束を置き、手を合わせる異様な光景が展開されることを知っている人は、そう多くはないでしょう。軍服の主たちは、陸上自衛隊第15旅団の幹部たちです。

 「黎明之塔」に祀られているのは、沖縄守備軍(第32軍)の司令官・牛島満中将と参謀長・長勇中将。
 牛島司令官と長参謀長は、アメリカ軍の総攻撃に対し、首里を逃れて南部へ撤退し、「最後まで敢闘し悠久の大義に生くべし」と自分らが死んだあとも戦い続けることを命じて自決するなど、沖縄戦で住民を苦しめ犠牲者を増やした張本人です。

 そもそも「慰霊の日」は牛島、長が自決して「旧日本軍の組織的な戦闘が終わった」とされる日です(実際は牛島、長の自決は6月22日というのが定説)。こんな日を「慰霊の日」とすることがそもそも適切なのかという問題もあります。

 その「慰霊の日」に自衛隊が「黎明之塔」の前で「慰霊祭」を行うようになったのは、2004年からで、今年で13回目です。

 沖縄戦の住民犠牲の責任が問われるべき日本帝国陸軍の司令官、参謀長の「慰霊祭」を、沖縄駐屯の自衛隊が組織ぐるみで行う。きわめて異常・重大で、けっして容認できるものではありません。

 沖縄県平和委員会と沖縄県統一連は今月8日、陸上自衛隊第15旅団に対し、「自衛隊による慰霊祭の中止を求める」申し入れを行いました。
 その中で、陸自による牛島司令官、長参謀長の「慰霊祭」の問題点をこう指摘しています。
 ① 沖縄戦は県民を守るための戦闘であったと史実を改ざんする
 ② アジア・太平洋侵略戦争と覇権主義を正当化する
 ③ ポツダム宣言と日本国憲法を侮辱する
 ④ 「日本国憲法及び法令を遵守」するという自衛隊法施行規則第39条に違反する

 さらに「中止申し入れ」はこう強調しています。
 「戦前・戦中の軍部のように、自衛隊が国政に存在感を示してきたこの間の状況に私たちは強い警戒感を抱かざるを得ない。沖縄では与那国町に続き、宮古島市、石垣市への展開も目論まれており、地方自治への影響力も懸念される。かつての軍部の手法と酷似している

 平和委員会らの申し入れに対し、陸自は「個人の意思で行っている」(12日付沖縄タイムス)と強弁し、今年も「慰霊祭」を強行しました。

 陸自の「慰霊祭」が始まった2004年とはどういう年だったでしょうか。
 前年の2003年3月にイラク戦争が始まり、それを受けて同年6月、有事法制3法が成立しました。そして翌04年2月、陸上自衛隊が初の海外派兵としてイラクへ派遣されたのです。
 こうして自衛隊が、従来の枠を超え、アメリカの従属部隊として海外で活動する重大な画期となったまさにその年に、牛島司令官、長参謀長の「慰霊祭」が始まったのです。

 平和委員会らの「申し入れ」が指摘する通り、日米新ガイドラインの「島しょ防衛」戦略に基づいて与那国、宮古島、石垣島への陸自配備が強行されようとしている今年、陸自による「慰霊祭」は特別に重大な政治的意味を持つと言わねばなりません。

 沖縄の中でもけっして十分な注意が払われているとは思えない自衛隊配備問題。「慰霊の日」を契機に、沖縄でも「本土」でも、「自衛隊配備強化反対」の声を広げていきたいものです。

 


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