アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

広島から沖縄へ―小冊子が問う「平和とは?」

2014年05月27日 | 国家と戦争

PhotoPhoto_2 「福山ばら祭」の一環として、「一箱古本市」が17日、市内の繁華街でありました。
 古本市自体は出店も少なく、期待外れでしたが、1冊、興味深い本を見つけました。

 「ヒロシマ モナムール」と題したB6版41㌻の小冊子(500円)です。表紙に「広島に住み、広島を愛するひとの、平和な瞬間と想い」とあります。

 出版したのは「しおまち書房」という、自費出版(リトルプレス)やコンテンツ制作など「『言葉と表現』を設計する小さな事務所」(同冊子)。
 編集者の久保浩志さん(46、写真左)は、こう記しています。「この本には声高な主張はありませんが、さまざまな影を今でも落とし続ける惨禍があった『広島』という街で、普通に過ごしていることの大切さを、再認識して、発信したかったのです」

 6歳から69歳までの広島在住者が、「日常生活の中で『平和』を感じる瞬間」をダンボール・アートで描いたものが紹介されています。
 「平和」とは? 「みんなを あいする こと」(6歳、女性)、「すきなものを もつこと」(69歳、男性)

 この中に、久保さん自身が描いたアートがあります。右の写真です。「あたりまえに きづくこと」。その説明文を読んで驚きました。この花と蝶の場所は、なんと沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」の庭だというのです。

 久保さんは「3・11」をきっかけに初めて沖縄を訪れることを思い立ちました。2泊3日、レンタカーで読谷の戦跡から摩文仁へ。「資料館」に展示された遺品に衝撃を受けました。

 「資料館を出ました。夏の沖縄です。晴天がまぶしい。そして、目の前に美しい花壇がありました。近づくと、偶然にも、つがいの蝶が飛んでいました。花壇のある場所の地下、ほの暗い洞窟で命を落として行った生徒たち。こんな美しい景色を彼女たちは見ることができなかったのだろう・・・ふと思いました。すべての人が日常の中にじぶんの大切な風景を見つけ、それをいとおしく思うなら、きっと争うことの意味はなくなる。そのことを願ってやみません」(同冊子)

 花壇の静かさは、けっして沖縄の「日常」ではありません。沖縄は「あたりまえ」の状態には置かれていません。
 でも、「3・11」で沖縄を初めて訪れ、戦跡をめぐり、花壇の下に眠る「ひめゆり学徒隊」に想いを馳せた久保さんに、同じく「3・11」を契機に沖縄移住を決めた者として、親近感と尊敬の念を禁じえませんでした。

 「平和とは何か?」。それをキーワードに、広島と沖縄を結ぼうとしている人が、ここにもいたのです。

 <注目のニュース>

 歴史的な「樋口判決」

 関西電力大飯原発運転差し止め判決(21日、福井地裁、樋口英明裁判長)の意義については改めて言うまでもありませんが、判決文自体の格調の高さは特筆すべきです。例えば--。

 「原発の稼働は法的には電気を生み出す一手段である経済活動の自由に属し、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきだ。
 自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広範囲に奪われる事態を招く可能性があるのは、原発事故以外に想定しにくい。
 原子力発電技術の危険性の本質と被害の大きさは、福島原発事故で明らかになった。
 具体的危険性が万が一でもあるかが判断の対象とされるべきで、福島原発事故後に、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するのに等しい」

 原発問題にとどまらず、憲法とは何か、司法とは何かを考えさせる、画期的な判決文です。
 かつて自衛隊を違憲と断じた歴史的な「伊達判決」のように、「樋口判決」として歴史に残すべきです。
 まだ読んでいない人は22日付各紙掲載の要旨をぜひ。


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