アリの一言 

天皇制、朝鮮半島、沖縄の現実と歴史などから、
  人権・平和・民主主義・生き方を考える。
   

「しまくとぅば」と学校教育

2013年09月17日 | 日記・エッセイ・コラム

PhotoPhoto_2 シンポジウムはとかく淡々とした進行になりがちですが、珍しく壇上の隣り合った2人がマイクを奪い合うような白熱の議論を展開したシンポがありました。14日那覇市内で行われた「深く掘れ わったーしまくとぅばぬ泉(私のしま言葉の泉)」と題するシンポです。議論をたたかわせたのは狩俣繁久氏(琉球大教授=左写真の右)と比嘉豊光氏(写真家・琉球弧を記録する会代表=同左)。”論争”のテーマは、しまくとぅばを学校でどう教えるか、です。
 
那覇市は今月、市内全小中学校の児童・生徒に配布する学習用小冊子「使って遊ぼうしまくとぅば-ちかてぃあしばなしまくとぅば」を3万4千冊(小1~4用1万5千冊、小5~中3用1万9千冊)作製しました(写真右)。その監修を行ったのが狩俣氏です。冊子はフルカラー70ページ。学校や家庭の日常場面での会話や沖縄の伝統行事をしまくとぅばと日本語で説明し、巻末には辞書までついているというすぐれもの。私もこれで勉強したいと思うほどです。
 比嘉氏はこの冊子をとりあげ、「子どもに教える前に親に教えるのが先決ではないか」「日本語混じりの教科書でしまくとぅばが身に着くのか」(※うちなーぐちだったので正確でないかもしれませんが)と“批判”。対して狩俣氏は、「これは教科書ではなくあくまでも読本。きっかけづくりにすぎない」「子どもたちの第1言語は日本語。日本語なしに方言は教えられない」と“反論”し
ました。
 両氏とももちろんしまくとぅば普及の熱い思いは同じ。それでも公の席で議論になるほど、学校でしまくとぅばをどう教えればいいかは試行錯誤、手探り状態です。
 
狩俣氏は冊子の「おわりに」でこう述べています。「地域ごとにちがう“しまくとぅば”の学習は、多文化理解、多言語教育の基礎をつくります。しまくとぅばの学習を通して、ことなる価値観をもった人を尊重し、グローバルな視点をもった子どもたちをそだてるために、この本を役立ててください」。学校におけるしまくとぅば教育の本質がここにあるのではないでしょうか。こんな理念で作られた冊子が小・中学校の児童・生徒に配られるだけでも、素晴らしいことです。

※訂正:15日付琉球新報に沖縄芝居の平良進さん・とみさん夫婦の話が掲載されました。それによって15日の私の「日記」(沖縄芝居と沖縄語)が2つの点で不正確だったことが分かりました。正しくは次の通りです。①沖縄芝居の言葉は、首里言葉と那覇言葉の中間をとった芝居語である②もともと沖縄芝居は台本なしで行われたが、今は台本があり、必要である。--勉強になりました。

 <きのうの注目記事>(16日付琉球新報2面)

 ☆<ワシントン発…… 米の大規模駐留不要 日本、周辺国の信頼獲得を
   エリザベス・ホフマン氏に聞く>
「米外交史について書いた著書『アメリカン・アンパイア』(3月)で日本やドイツに駐留する米軍の大幅削減を提言したエリザベス・ホフマン米サンディエゴ州立大教授(歴史学)がこのほど琉球新報のインタビューに応じた。米国が経済的に最も豊かだったのは、米軍が大規模な海外駐留を始める前の1890年だった事実を挙げ、米国の国力維持に軍隊の大規模な海外駐留は必要ないと述べた。…(問)在日米軍は沖縄に集中し、県民との軋轢が続いている。(答)『日本における沖縄の基地負担割合の議論より、米軍を本国に引き揚げるべきだと強調したい。米軍は冷戦後もヨーロッパと太平洋での二正面作戦に備えようとしているが、財政難に直面しており、米国は同盟国が自力で国を守るよう促して、平和構築を後押しする時期に来ている』」
 ※スローガンで言えば、「基地は本土へ」ではなく、「基地はアメリカへ(撤去へ)」と主張すべきだということでしょう。同感です。


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