あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

天皇陛下萬歳、萬歳、萬歳

2021年02月02日 12時13分38秒 | 天皇陛下萬歳 (處刑)


天皇陛下萬歳、萬歳、萬歳

昭和十一年七月十二日
香田清貞大尉以下十五名
死刑執行前に於ける情況

« 1・・言渡時に於ける精神状態態度  2・・言渡時に於ける発言  3・・刑架前に於ける発言 »


香田清貞 
1・・厳正にして落付き居れり 
2・・国家安泰を御願ひ致します。刑務所に居る間一同精神的歓待を受け有難う御座いました。 
3・・なし


安藤大尉

1・・稍落付きを欠く
2・・別に御座いませんが松陰神社の御守を身に着けて射たれたいと思ひます。
     家族の者が安心致します。
3・・秩父宮殿下万歳


竹嶌繼夫

1・・厳正にして落付き居れり。
2・・色々有難う御座いました。死んで護国の神になり 最後迄御奉公致します。
3・・なし


對馬勝雄

1・・稍々落付きを欠く。
2・・別に御座いません。刑務所にある雑誌を家族に見せて頂き度いと思ひます。
3・・なし


栗原安秀

1・・落付居れり。
2・・昨夜は有難う御座いました。
3・・霊魂永へに存す。栗原死すとも維新は死せず。


中橋基明

1・・稍落付きを欠く
2・・陛下に対し決して弓を引いたのではありません。
3・・なし


丹生誠忠

1・・腕組を為し顔面蒼白にして昂奮の状著し。
2・・ありません。
3・・死体をよろしく頼みます


坂井直

1・・厳正にして落付き居れり。
2・・天皇陛下の万歳を唱へさせて頂きます。色々御世話になりました。
3・・なし


田中勝

1・・微笑す。落付き居れり。
2・・ありませんた
3・・なし


中島莞爾

1・・稍々落付きを欠く。
2・・別にありません。
3・・なし


安田 優 
1・・顔面紅潮し稍々興奮の状あり。
2・・陛下は絶対であります。
3・・和歌 ( 不明 ) を詠ひたる后特権階級者の反省と自重を願ふ。


高橋太郎
1・・厳正にして落付居れり。
2・・元気で行きます。
3・・なし


林八郎

1・・顔面 ( 口辺 ) 痙攣し興奮の状あり。
2・・大日本帝国の万歳を祈る。
3・・なし


澁川善助

1・・微笑す。落付居れり。
2・・面会の時申してありますから。色々御世話になりました。
3・・皆で天皇陛下万歳を唱へませう。天皇陛下万歳、皇国万歳。


水上源一

1・・微笑す。極めて落付居れり。
2・・遺言は兄さんに書きました。長々御世話になりました。
3・・国民は絶対皇軍を信頼して居るのだ。其信頼を裏切るな。
     露西亜に負けてはいけない。日本は破壊されます。

備考
一、香田清貞以下十五名何れも天皇陛下万歳を奉唱す。
一、発射弾数は中橋三発、
     對馬、栗原 各二発、
     他は一発にして絶命す。


昭和十一年七月十二日早朝、
東京世田谷の松平定暁大尉の自宅と、
青山の日本青年館にそれぞれ陸軍省差廻しの乗用車が迎えに到着した。
松平大尉は秩父宮と同期の陸士第三十四期生、
当時、世田谷の野砲第一聯隊の中隊長であり、前日、師団命令によって、
この日の叛乱軍将校処刑のために用意された射撃班の総指揮官であった。
また、日本青年館の方は、前日、同じように師団命令によって佐倉から上京待機していた
第三十七期生の山之口甫大尉と、少候四期生の山田大尉であった。
二人はともに佐倉の歩兵第五十七聯隊の中隊長であった。
当時、第一師団はこの年の四月末から逐次満洲に移駐して、いわば留守隊であった。
三名の大尉が代々木の陸軍衛戍刑務所に到着したのは、大体午前六時半頃である。
射撃隊総指揮官が松平大尉で第一班の射撃指揮を担当、
第二班が山之口大尉、第三班が山田大尉であった。




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その日はどんよりとした曇り日で、風はなかった。
代々木陸軍衛戍刑務所の西北の隅に設けられた処刑場は、
煉瓦塀を前面にして五つの壕が掘られてあり、
各壕の奥深くには十字架が立てられてあった。
射撃位置は、その十字架から一直線に約十メートル離れて、
ちょうど煉瓦塀と向きあうように銃架がおかれ、
その上には二挺の三八式歩兵銃が固定されてあった。
午前七時、第一回の処刑者である香田、安藤、栗原、對馬、竹嶌の五名が、
香田大尉を先頭に刑場に到着した。
彼らはカーキ色の夏外被を着用、それぞれ目隠しをされ、両腕を看守に支えられていた。
処刑の立会者は刑務所関係者が所長以下数名、射撃関係者は三班にわかれて、
それぞれ各班に指揮官の大尉が一名、射手として中、少尉五名がついた。
他に衛生部員として若干名がおかれた。

『 天皇陛下の万歳を三唱しよう 』
香田大尉が叫ぶように発言した 。
それに答えて  天皇陛下万歳 の 三唱が刑場をゆるがすように響いた
万歳が終わると、彼らは定められた壕に、それぞれ両腕を支えられて進んだ。
十字架の前に南に向けて ( 煉瓦塀を背にして ) 正座させられると、
同時に看守が頭部と両腕を十字架にしっかりとしばりつけた。
『 しっかりしばってくれ 』
と 小声で看守に頼む者もあった。
彼らは笑顔さえみせていたのである。
息づまる一瞬、射撃指揮官 ( 松平大尉 ) は 刑務所長の指示に従い、
手の合図をもって発射を号令した。
射手の引鉄にかけられた指は一斉に引かれた。
照準点は前額部であった。
命中と同時に鮮血が噴き出した。
待機していた衛生部員は各人のところへ走り寄って絶命を確認する。
絶命には各人によって若干の鎖があったが、数分間が必要であった。
屍体は担架で後方の屍体処理場に運ばれ、丁重に処置された。
・・・山之口大尉の手記



その日、昭和十一年七月十二日の朝、
陸軍省さし回しの自動車が、青山の宿舎に私を迎えにきた。
処刑場は代々木原演習場の南、陸軍衛戍刑務所の中。
七時少し前に私はそこに着いた。
空は雲がたれこめていたが、風はなかった。
刑務所の西北の隅に設けられた処刑場には北側の煉瓦塀に沿って、五つの濠が掘られてあった。
そして、それぞれの濠の奥には、真新しい木の十字架が立てられてある。
射撃位置は、十字架から十メートル位前で、そこに煉瓦塀と向きあうような銃架が置かれ、
上に二梃の三八年式歩兵小銃が置かれてあった。
処刑の立会者は刑務所関係者が所長以下十二、三名。
射撃関係は被処刑者同様、三班にわかれ、各班に指揮官の大尉が一名、射手の中、少尉が五名ずつ付いた。
ほかに衛生部員その他の関係者が若干名。
午前七時
第一回の処刑者である香田、安藤、栗原、對馬、竹嶌の五名が、
香田大尉を先頭に、看守に両側から腕を支えられるようにして現れた。
彼らはカーキ色の夏外被を着用、目隠しをされていたが、夏草を踏んで歩む足どりはしっかりしていた。
煉瓦塀の向こうの練兵場の軽機関銃の音だけが、雲にこだまするように響いていた。
香田は陸士三十七期生で 私と同期、安藤は一期下の三十八期。
同じ第一師団の将校である。度々顔を合わせていたし、顔を合わせれば挨拶もした。
他の指揮官や射手も同じ第一師団の各部隊から集められた者ばかり。
みな、個人的に知っている者が一人や二人は、処刑者の中にいたに違いない。
私は、事件前から、香田や安藤、村中などが、どういう考えを持っているのかは知っていた。
しかし、同期生といえば同じカマの飯をくった、いわば仲間同然。
まことに辛い立場であった。
皆、私と同じ気持ちであったのだろう。
顔をこわばらせ、唇を噛みしめている。
突然、香田が、
「 天皇陛下万歳を三唱しよう!」
と 叫ぶようにいった。
五人がいっせいに
「 天皇陛下万歳!」
を 唱えた。
安藤だけがつづけて
「 秩父宮殿下万歳!」
と、しぼり出すような声で叫んだ。
彼らは看守たちにうながされ、定められた濠に進んだ。
十字架の前に ( 煉瓦塀に背を向けて ) 正座させられ、
さらし木綿で、頭部と両腕を、十字架にしばりつけられた。
そのとき、垂かが
「 しっかりしばってくれ 」
と 小声で看守に頼んだのが聞えた。
蒲の軽機関銃の音は、あいかわらず続いていた。
射手の目標は処刑者の額の布につけられた黒点であった。
皆が息をのむ一瞬、
所長の合図を受けた射撃指揮官の手が振り下ろされた。
と、同時に五つの銃口が火を吹き、処刑者の額から、鮮血がほとばしった。
被弾しながらも、栗原は押し出すように何かを言った。
指揮官の合図で、第二弾が栗原に発射された。
待機していた衛生部員が、絶命確認のため走り寄るのが、高速度撮影のフィルムを見るように思えた。
絶命まで数分かかった。
屍体は、担架で、後方の屍体処理場へ運ばれていった。
第二回は、丹生、坂井、中橋、田中、中島の五人、射撃の指揮官は私である。
準備は前と同じに進み、
午前八時少し前、
私は胸の中で 《 許せ!》 と 叫びつつ、合図の腕を振るった。
第三回は、安田、高橋、林、渋川、水上。
処刑時間は 八時半比でった。
処刑が終わり、気抜けした気持ちで控室に戻った時、
青年会館か どこかの牧師が、射撃関係者一人ひとりに、感想を聴いてまわった。
私が尋ねられたとき、
私は、
「 彼らは武人だった。
昔の武士のように、彼らが自決の方法を与えられていたなら、
やはり喜んで 自らの命を断ったであろう 」
と いうような意味のことを言ったように記憶する。
人物往来/S・40・2
当時歩兵五十七聯隊大尉 山之口甫 著
代々木原頭に銃声空しく  から
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万歳三唱が終わると、
栗原中尉だけが、何を思ったか突然

秩父宮殿下万歳 と叫び、栗原死すとも維新は死せず、と絶叫しました。
私は射撃隊の最右翼、つまり歩いて来る彼らの最も近い所におりましたので、
今でもはっきりと覚えています。
その瞬間、二番目にいた安藤大尉はギクリとして立止まったようでしたが、
あの時の栗原の絶叫は、実に劇的なシーンでした。
・・・松平大尉の回想


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昭和十二年八月一九日
死刑執行直前に於ける受刑者の言


村中孝次

長い間御世話になりました。
署長殿より看守長、看守の方々に宜しく申して下さい。
大変御世話になりました。


磯部淺一

御蔭様で元気であります。
大変御厄介になりました。
アバズレ者で我儘を申して御迷惑を掛けましたが、
所長殿は一番良く私の気持を知ってるでしよう。
所長殿より職員一同に宜しく申して下さい。
尚、西春、新井、沢田、畑 各法務官殿に宜しく申して下さい。
之は妻の髪の毛ですが、
処刑の際所持することと棺の中へ入れることを許して下さい。


北輝二郎
( 北一輝
大変に御世話になりました。
感謝の外はありません。
所長殿より皆様に宜しく申して下さい。
地方などに比較して全く貴族的の御取扱を受けたことは忘るることは出来ません。
「 刑架前に於て看守に対し 」
座るのですか、之は結構ですね。
耶蘇や佐倉宗吾のやうに立つてやるのはいけませんね。


西田税

大変御世話になりました。
殊に病気の為非常に御迷惑を掛けました。
入院中、所長殿には夜となく昼となく忙しい間を度々御見舞
( 主として勤務監督なるも見舞と見て感謝す ) に 来て下さりまして感謝の外ありません。
現下険悪なる情勢の中の御勤務で御骨折ですが、折角気を付けて御自愛を祈ります。
皆様にも宜敷。
「 刑架前に於て看守に対し 」
死体の処置を宜しく御願ひします。
以上
・・二・二六事件秘録 (一) から
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叛乱将校達を反逆者として処刑したとき、
大元帥陛下の帥い給う皇軍 ( すなわち天皇の軍隊 ) は亡んだのである
彼らの銃殺のために撃つたあの銃声は、
実は皇軍精神の崩壊を知らしめる響きであつたのである
しかも、その銃には菊の御紋章が入っているのである
大元帥陛下の御紋章の入っている銃で、
刑死の瞬間まで尊皇絶対を信念とした人々を、
極度の憎しみで射殺したのである
・・・橋本徹馬