あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

長恨のわかれ 貴様らのまいた種は實るぞ!

2021年02月08日 11時59分39秒 | 天皇陛下萬歳 (處刑)


長恨のわかれ
貴様らのまいた種は実るぞ!

中橋基明 
中橋中尉の監房と直通になった。
まず手を振ってあいさつをした。
中橋が右隣の竹島中尉に知らせたらしく、
竹島中尉が格子と格子との間から両手を出して合掌しているその手が、
 約一分間ぐらいかすかに見えた。
坂井直
左隣の坂井中尉から、大きな声がとんできた。
「 大蔵さーん、坂井は永久に陸軍歩兵中尉だぞ、
 死んでからも東京の上空を回りつづけるぞ 」
 
香田清貞
つづいて香田大尉の声が聞こえた。
「 大蔵ッ、わかるか ッ・・・・・・」
「 わかるぞッ、貴様らの蒔いた種は決して枯れることはない、必ず芽をふくから安心しろッ 」
私もたまりかねて大きな声を上げた。
「 後をたのむぞッ 」
「 ヨーシ引き受けた。安心してあとをふり返らず、まっすぐ前を向いて笑って死んでゆけッ 」
わたしの両頬には、涙がポロポロ流れた。
安田 優 
「大蔵さーん、安田だッ、いろいろ書いておいたから、あとで受け取って下さい」
安田少尉の声が、右端の方からきこえた。
そのころ方々のガラス窓が開けられたとみえて、各人各様の話し声が飛び交わされていた。
間もなく「万歳」 「万歳」の叫び声がどよめいた。
私は、出征兵士を送っているような錯覚におちいった。
気がつくと代々木練兵場の方から小銃、軽機関銃などの空砲の音がひっきりなしに聞こえてくる。
この日は風のないどんよりした日であった。
万歳の声がひとしきり続いて、やがて静かになると、空砲の音は いよいよ激しくなった。
私はたまりかねて、「北先生、お経を上げて下さい」 と、お願いした。
五つ六つ離れた監房にきこえるくらい大きな声であった。
北一輝 
「 これで維新は成ったなァ―。君、お経はいらないよ、
 すべての神仏がお迎えにきておられるから、ボクのお経は必要ないよ 」
北一輝のドスの聞いた返事が返ってきた。
だが、
「 お経は必要ない 」
 と いった口の下から、その踊経がはじまった。
最初は小さな声がすすり泣くようであったが、その声もだんだん大きくなっていった。
その声は、はんぶん泣きながらの踊経であった。

実弾、三たび耳を裂く
私は、部屋のまん中の茣蓙の上に半跏して瞑目合掌をつづけてた。
激しい空砲音が相変 わらずつづいていた。
そのうちバリバリッという実包の音が、かすかながらきき分けられた。
「 殺られた 」
私はおもわず叫んだ。
しばらくすると、再び「万歳」「万歳」の声が湧き上がった。
私は不思議な気がした。
漠然とではあるが、十七名いっぺんに処刑されるものとばかり思っていた。
考えてみると十七名同時に処刑し得る場所はないのだ。
何回かに分けて実施するのだなァと思った。
第一回の処刑のあと、
私自身血の気がなくなったような気分で、
がっくりきていたのに、
わけて処刑するのだと思いなおしてみると、
再び緊張をとり戻した。
代々木の原の空砲音がしばらく小止みになっていたのに、
再びはげしくなってきていた。
第二回も第一回のときと同じように、その銃殺の瞬間が感じられた。
しばらくして三たび「万歳」の声が起こってきた。
「 大蔵さん、さようなら・・・」
安田少尉の声が朗らかにきこえた。
私は返事をすることができ なかった。
午前七時ごろから始められた処刑は、午前九時ごろには終わっていた。
みななつかしい人たちばかりである。
かず限りない思い出にひたりながら、私は終日茫然として過ごした。
翌日、私はさっそく予審官に呼び出された。
「 君、後事を託されたそうだな 」
「 ハイ、託されました・・・」 と、私は昨日のことを詳細に話した。
予審官は両眼に涙を浮かべていた。
この後事を託されたということが、
私の刑期に大きな影響を与えたことがあとでわかった。

そのあと、私は江藤中尉と二人で入浴を許された。
久しぶりの入浴である。
浴場にきて見ると高い壁にくっつけて、
物見やぐらの方向に五つの壕が掘ってあった。

東京陸軍衛戍刑務所 

多くの血を吸ったであろう土が生々しかった。
私は六名、六名、五名と計十七名が
三回にわたって処刑されたとばかり思っていた。
それなのに壕は五つしかない。
おかしいなと不思議に思った。
六つあるべき壕が五つしかないとは、私は自分の眼を疑った。
よく眼をすえて数えてみたが、やはり五つしかない。
一つの壕の中で二人同時に処刑ということは絶対あり得ないことだ。
この奇妙な算術は、入浴しながらも不思議な疑問として、私の脳裡を離れなかった。・・・

イメージ画像 昭和四十九年 ( 1974 年 )
この渋谷宇田川町の陸軍衛戍刑務所は、いまの渋谷区役所となっている。
その西北隅が刑場として使用されたところだ。


昭和四十年二月二十六日
遺族で組織した仏心会の河野司代表 ( 河野壽大尉の実兄 ) の発心で
「 二・二六事件記念慰霊像 」
が刑場跡に建立されたが
実際の刑場はその
慰霊像に向かって左十メートルぐらいのところから、
へいにそって五つの壕が
約二十メートルぐらいのところに掘られていたことになる



大蔵栄一  

二・二六事件の挽歌 から