あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

昭和11年7月12日 (五) 安藤輝三大尉

2021年01月27日 14時13分12秒 | 天皇陛下萬歳 (處刑)


安藤大尉 

秩父宮殿下万歳
・・安藤輝三・・・死刑執行直前、刑架前での発言

「 安藤輝三、遺族は生前面会の際、
輝三は決して死ぬものではないと言ひ残したりとて、生きたる人を引きとる気持ちで接しおれり。
一、父上よ、母上よ、心安らかにませ、輝三は死にません。
一、兄よ輝三は死にません。
幼き頃の思出が胸に迫る、の揮毫を持帰り、自宅着後、暗に当局の警戒を断り、
憲兵警察に相当反感をいだき居る模様
・・特高刑事の報告

「 国体を護らんとして逆賊の名 万斛の恨涙も涸れぬ  ああ天は  輝三 」
「 さような 万斛の恨みは御察し下され度し  断じて死する能はざるなり  御多幸を祈る
  昭和十一年七月十一日  安藤輝三 」・・同期生に宛てて
「 我はただ万斛の恨と共に  鬼となりて生く
  昭和十一年七月十一日  旧中隊長 安藤輝三 」・・旧部下に宛てて
『 このなかの ああ天は の天は、
天地の天の意味もあろうが、前後の分の調子、あの頃の獄中の雰囲気から考えて、
天皇の天の意味も充分含まれていることを、僕は感じている 。
天皇絶対、吾々は天皇の股肱であると子供の頃からたたき込まれていた当時の青年将校の口からは、
たとえ 口が裂けても言えない言葉であった。
磯部にしろ、安藤にしろ それを敢て踏み越えて書いた意味は大きい 』
・・菅波三郎

元大尉安藤輝三妻の実父静岡市茶町 佐野鎰蔵は、
六日夜 東京在住中の娘孝子 ( 安藤の妻 ) より
「未だ面会許可通知はありません故 面会は絶望かも知れませんが、
明日喪服携行上上京して下さい 」
との 電話を受け、七日午後零時八分静岡駅発上京せるが次の如く語れり
「 既に本人も此の結果を覚悟してやったことであり、今更驚きません。
私共はべつに世間から白眼視されることもなく、却って皆さんが同情して呉れている様に思ひます。
只 娘が案外健気にやって居て呉れるのが一番安心です。
近く こちらに引取りたいと思って居ります。
満洲で戦死したと思へば 充分諦めがつきます 」


「 家族は極めて冷静にして
輝三は幼少より忠君愛国の志篤く 今度の事件も国を憂ふるの余り行動した事であるが
国法を犯し 陛下の宸襟を悩まし奉り 下万民を騒がせました罪は諒として居ります。
今更 輝三の死に対し 軍人の家族らしくない振舞は致しません。
本人は面会の折 妻に対し
「 自分は 殺されても魂は此の世に残り 維新詔書の渙発を見ているのであるから
其の渙発のある迄は埋葬はするな。当分の間は家に帰らない 」
と 洩らして居りますので葬式はしない考えで居ります。
・・・父栄次郎

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十一日には赤飯、メロンが出、
 彼等の獄舎からは夜もすがら読経、放歌、吟詠、絶叫の声が流れ 珍しく自由でにぎやかだった。
反乱の汚名を着て死んでゆく彼等は誠に気の毒だ、
何とか救う方法はないのか、
国が疲弊し民百姓が苦しみにあえぐ事態にあっても為政者の責任は追求されず、
蹶起した我々だけが処断の対象となった。
国政が正常であったなら二・二六事件など起らずに済んだであろう。
今彼等は限られた今晩だけの生命の中に何を考え 何を祈っているのか、
一同の胸中を思えば痛哭 これに過るものはない。

七月十二日の朝が白々とやってきた。
窓外は深い霧が立ちこめ何も見えない、巡視にきた看守を見ると新しい制服に変っていた。
午前七時以降 四号棟から覆面をした将校が五人間宛 三回に分けて出ていった。
代々木原の隅にある狐塚の方向で日曜だというのに空包が盛んに鳴っていた。
私は房内でジッと耳をすましていると、
遠くの方から 「バンザーイ!!」 の声が聞え
同時に  ブスッ!!ブスッ!! という実包音が
響き処刑執行の様子がくみとれた。

私はやり場のない悲しみに包まれて思わず合掌した。
安藤大尉が行かれたのは第一組でガラス戸越しに私らに向って拝んだ。
監視も泣いていた。
( 伊高、あとをたのむぞ ) と 目で語って行かれた。
ガラス越しに見送る安藤大尉の姿、それが今生の見納めとなったのである。
悪夢のような七月十二日の朝方のひととき、
今もあの光景が歴然としてうかび、 生涯忘れることはない。
獄舎の思い出は消えず
歩兵第三聯隊第十中隊 
軍曹 伊高花吉 著 雪未だ降りやまず(続二・二六事件と郷土兵) から 

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蒸し暑い。
しかし、東京渋谷の宇田川町の衛戍刑務所では最後の数時間、
どれほど湿気があっても暑苦しくても、
この国を守れ、お前たちは、朕が股肱なるぞ
との信念に燃え、
天皇が世々伝えられた天壌無窮のご計画を守るべく立ち上がった青年将校たちは、
逆賊の汚名のもと、死にゆくのである。
処刑に促されて牢屋を出る瞬間まで、
天皇陛下をおもい、日本国の行く末をおもい、親をおもい、妻や子をおもい、、
廊下を歩いて刑場に赴くのである。
小伝馬町の牢屋だから、廊下を挟んで、向こうが見える。
中庭も見える。
みんな大声で自分たちの上官の名を叫んだ。
精一杯大きな声で叫んでいた。
窓ガラスで見えない牢屋では、刑務官を怒鳴り散らし、窓を開けさせた。
宇田川町の衛戍刑務所は、大きな涙声が こだましていた。

北島軍曹の話
「安藤さーーん」
「安藤大尉どのーー。」
「中隊長殿ーーー」
すると、
刑場に赴く廊下から、
安藤大尉が、するりと、中庭に歩いてきた。
安藤大尉は、獄中の人たちに向かって、
この度は、皆様に大変ご迷惑をおかけしました。
こころからお詫び申し上げます。
安藤、心より感謝しております。
と いわれたと。 
外では、空砲の演習が始まっている。
そして、天皇陛下万歳の声がして、実弾のピューンという発砲音が聞こえた。
・・・今泉章利氏・2017年7月12日のブログから