あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

香田清貞大尉の奥さんの手料理のチキンライスはうまかった

2021年01月04日 10時53分11秒 | 天皇陛下萬歳 (處刑)


黒崎貞明
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同志の処刑

蹶起将校にとっては最期の七月十二日がやってきた。

この前日の夕刻、南側の棟から変化が起こりはじめた。
私たちの夕食は普通のものであったが
 六角格子を通して見える南側の夕食はいつもとちがう様子であった。
看守の表情もいつもとちがって こわばっている。
「どうもおかしい。処刑が決まったのではないか」
と 直感した。
突然、南の方から士官学校の校歌が聞こえてきた。
やがてそれが拡がって監房全体の斉唱となった。
まさしくそれは同志への訣別の合唱であった。
そして校歌から 君が代にかわり、最後は 海ゆかば となった。
私はいつの間にか直立して唱和していたが、すぐに涙声となり、そして涙だけになった。
看守は困ったような顔をしていたが、
せめて合唱ぐらいは 最後の餞別 という思いやりから注意は受けなかった。
合唱のあと最後の晩餐が始まったらしい。
監房の電灯はいつもと違って明るかった。
向こう側の房には村中さんと磯部さんが並んでみえた。
その両側の人びともなにか一心に書きつづっている様子である。
おそらく遺書であろう。
私達の側の房では、ただこれを見守るばかりであった。
ただひたすら最後の夜の安からんことを祈るのみであった。

私は、酬いられることなく 万斛の涙をもって死んでいくであろう
同志の一人びとりに想いをはせいていた。

昭和九年の正月、
早期決行をうながすため東京の各先輩同志を歴訪した時のことが浮かんでくる。
「よし。やろう。
捨て石は多数いらぬ。
今、革新の必要を叫んで死ぬことは、犬死にになるとは思わぬ」
と、唯一人賛成してくれたのが栗原中尉。

「天の時、地の利、時の勢いというものがある。犬死にをしてくれるな」
と、涙声とともに諫めてくれたのは安藤大尉。

「少なくない同志が次々と捨て石になってバラバラになったら、
われわれの希求する革新は、ただ狂人の夢となるばかりだ。
なるほど、明治の維新も幾百幾千の狂人の屍の上に成り立ったことはみとめる。
しかしそれは討幕の旗印を京都から得たからだ。
現在の日本は曲がりなりにも聖明のもとに法治国として存在し、幕府はないのだ。
この時にわれわれの微忠を示すことは至難のことである。
険悪な国防情勢のなかで、
一刻も速やかに皇国の真姿を顕現せんと願うわれわれの赤心は、
貴公らに決してひけはとらぬ。
死ぬときは一緒だ。
俺は理屈に弱い。
が不退転の決意は誰にも劣らぬと思っている。
今のところは、原隊にかえってよい兵を練成してくれ」
と、抱きしめてくれた村中大尉。

人間の安藤、理論の村中といわれた
この二人に説得された私たちは、遂に決行をあきらめた。

その夜は北さんの配慮で、大蔵さんに連れられて神楽坂の料亭で痛飲した。
そして翌日、市川や明石とともにスゴスゴ原隊に帰ったのだった。
・・・
香田清貞大尉の奥さんの手料理のチキンライスはうまかった。

渋川善助さんと握手した時の手は温かった。

想い出はつきなかった。

それにしても、私たちを諫めていた先輩たちが、
やむにやまれず、
天皇の赤子として天皇の聖明をおまもりするために
革新への突撃を敢行したのに、
今その天皇の命令によって処刑されようとしているのだ。
一体これはどうなっているのだ。
私は狂わんばかりの憤激をおさえることができなかった。

明けて七月十二日。
太陽は暑い光を投げていた。
今その下では、その灼熱にも負けない赤誠の情熱を燃やし続けてきた青年たちが、
命を果てようとしているのだ。
再び士官学校の校歌と 海ゆかば の合唱が流れてきた。
いよいよ刑場に向うときが迫ったのであろう。
こうした最後の極限に達したときにうたわれるのは 君が代 でなくて 海ゆかば であった。
折からの隣の代々木練兵場 (現在のNHK) では演習が始まったらしく、
軽機関銃の射撃音が高く響いてきた。
おそらくこれからはじまる処刑の発射音をまぎらすためのものであろうことは、
私たちにも推測することができた。
時計ももっていない私たちにはそれが何時頃であったかわからない。
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東京陸軍衛戍刑務所                   映画の 一シーン  
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やがて五人づつ、目だけをあけた白覆面をつけ、
袴をはいた人々が、私たちの監房の前を通って行く。
多分、北さんや西田さんに向かって 「お先に」 と挨拶されたのであろう。
ちょっと覆面の垂れをあげてはすぎていく。
いずれもしっかりした足どりであった。
なかには微笑しながら挨拶する人もある。
私もこれが最後の見おさめと、くいいるように見つめながらお別れの挨拶をした。
二組目にいた同期生の田中勝と、三組目の安田優の二人は、
はっきりと私に向かって 「 死ぬなよ。あとを頼むぞ 」 と強い口調で叫んだ。
涙があふれたが声はでなかった。
それにしても同志の顔はどうだ。
すこしも悲しそうではなく、むしろホッとしているようにも感じられる。
断ちきり難いこの世への想いもかずかずあろうというのに。
ことに田中は新婚早々の妻を残して参加したのだ。
安田は昨年の暮れ、砲江学校に入学するため内地に帰るというので、錦州で悲憤慷慨しながら飲みあかした仲だ。
満洲での戦死を覚悟して後事を託した安田に、今は逆に後事を託されたのだ。
ただ ニャッ とこちらを向いて笑って去った栗原中尉の顔は今でも忘れることができない。
はるかに響く小銃、軽機の射撃音と喚声のあいだに、
天皇陛下万歳 
という叫びと、
栗原さんの声と思われる詩吟が聞こえてきた。
そしてブスッという 弱装薬を使った銃殺用の射撃音。
それが幾たびか聞こえて、やがて静かになった。
ひとつ置いた隣りの北さんの房からは、ひときわ高い読経が流れてきた。
ただ瞑目して刑場の方向に向かって正座した私は、怒髪天を衝いていた。
ようやく我にかえって暑さを感じたとき、蝉の声だけが聞こえた。

冷たい汗が腰まで流れていた。

恋闕 黒崎貞明 著    から
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村中孝次