「一日を一年と思えば 」 と いう言葉は、
夢破れ、死んでも死にきれない男が、
自らを得心させるため ようやく辿りついた平安・慰めともみえる。
「 お前のことを考えたら、おれ、死にきれねえ 」
そう 言われて、
夫人はもやもやと胸にわだかまり つかえていたものが一瞬に消える思いであったという。
死にきれないほど思われている女の悲しい充足感が、
ひたひたと夫人の胸をみたした。
同時に 「 この人を失いたくない 」 という烈しい思いが、胸から迸ほとばしり出た。
しかし 一審即決上告なしの裁判で既に夫の運命は定まっている。
余命いくばくもない。
冷厳な現実がまさに夫と妻を永遠に引離そうとしている。
握りあった手の確かなぬくもりも、明日はない。
身悶えするようなせつない時間のうちに、別れの瞬間が来た。
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七月十二日朝、
ついに処刑の通知が届いた。
陸軍衛戍刑務所へ赴いて夫の遺骸をひきとる。
妊娠中の躰にさわるから、死顔は見ないほうがいいと、家族が立塞がったが、
人垣の後ろで 背伸びしたら、柩の中の夫の顔が見えた。
長い拘禁生活で陽灼けもとれて、眠っているような血色をしていた。
繃帯で巻かれた眉間のあたりに、桃色の血が滲んでいる。
ああ、ここに射たれたのだと思った。
隣では 安田少尉の遺族が、デスマスクをとる用意をしていた。
出来るものなら夫のデスマスクをとりたいと思ったが、
火葬場へ行く時間を急ぐ刑務所側の意向のもとでは果たせなかった。
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久子
決して自らを殺すな
神は許さぬぞ
久子 二は最后だよ 三は何時でも
久子
ふるさとの
浜辺にうつす
影二つ
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田中勝には、思いつめた夫人の自殺への懸念が幾許かあったのであろう。
たとえ生れてくる子が女の児であってもいい、
どうか死なずに無事生きのびてくれと、田中は必至の熱禱ねっとうを捧げたのであろう。
「 二は最后だよ 三は何時でも 」 には、
夫婦だけが知る特別の意味がこめられているという。
故郷の早靹はやともの瀬戸の浜辺で、婚約時代の二人は何を語りあったのだろうか。
死を前にして、田中勝は降伏な思い出のひとときに浸り得たようである。
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夫の遺品として刑務所から渡されたなかには、食べ残しの菓子の包みもあった。
「 差入れが多くて食べきれない。父も母も妻も、菓子が好きだから、来たらやって下さい 」
と 夫が託したものであった。
処刑の翌日、
夫の遺骨を抱いて下関へ帰り、実家に身を寄せた久子さんは、
十月十二日、夫の予言通りの男の児を産んだ。
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澤地久枝著 妻たちの二・二六事件 から