あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

前夜

2019年01月25日 09時54分17秒 | 前夜

わたくしはあの事件の起きますことを、二月二十三日に知ったのでございます。
西田の留守に磯部さんが見えまして、
「 奥さん、いよいよ二十六日にやります。
西田さんが反対なさったらお命を頂戴してもやるつもりです。
とめないで下さい 」
と おっしゃったのです。
その夜、西田が帰って参りましてから磯部さんの伝言をつたえました。
「 あなたの立場はどうなのですか 」
「 今まではとめてきたけれど、今度はとめられない。黙認する 」
西田はかつて見ないきびしい表情をしておりました。
言葉が途切れて音の絶えた部屋で夫とふたり、
緊張して、じんじん耳鳴りの聞こえてくるようなひとときでございました。
容易ならない企てでございます。
わたくしどもは、子供もなく、どんな事態が起こりましても、
自分ひとりの責任で生きて参ればよろしいのでございますが、
結婚後年経ぬ若い奥様たちや小さいお子たち、親御さんたち、
事件のあとの家族の境遇をあれこれ想像いたしますと、
ひとりの女として胸苦しさに耐えられないほどでございました。
それから二十六日まで、苦しい辛い迷いに悩み抜きました。
露顕して未遂に終わってくれればいい。
あれだけ思いつめているのだから、成功させてあげたい。
わたくしが然るべき筋へ密告しなくてはいけないのじゃないだろうか。
この三つの考えの堂々めぐりで、死ぬような思いをいたしました。
・・・
西田はつ 回顧 西田税 2 二・二六事件 「 あなたの立場はどうなのですか 」 

・ 西田税 「 今迄はとめてきたけれど、今度はとめられない。 黙認する 」 
・ 西田税 1 「 私は諸君と今迄の関係上自己一身の事は捨てます 」 
・ 西田税、栗原安秀 ・ 二月十八日の会見 『 今度コソハ中止シナイ 』 
・ 西田税、安藤輝三 ・ 二月二十日の会見 『 貴方ヲ殺シテデモ前進スル 』
・ 西田税、澁川善助 ・ 暁拂前 『 君ハ決シテ彼等ノ仲間へ飛込ンデ行ツテハナラヌ 』
西田税、村中孝次 ・ 二月二十ニ日の会見 『 貴方モ一緒ニ蹶起シタラ何ウデスカ 』 
・ 西田税 (一) 「 貴方から意見を聞かうとは思はぬ 」

西田ハ時機ニ
非ズト考ヘ居ルト同時ニ
自分ノ意見ヲ兎ヤ角言フヨリモ同志ノ將校等ニ一切從ツテ行コウト言フ決心ノ様ニ見エマシタ。
初メ五 ・一五事件ノ起キル一ケ月半程前ニ私ハ或ル豫感デ
西田ガ危險ナ渦中ニ
在ルト言フ事ヲ感ジマシテ
西田ヲ呼ビ 「 君ハ何ヲシテ居ルノカ知ラナイガ 今ヤツテイル事カラ身ヲ引イタラヨカロウ 」
ト堅ク戒メタ事ガアリマス。
夫レガ五 ・一五事件トナツテ現ワレタ時 他ノ反對威力ノ西田ヲ邪魔者ニ考ヘテイル
小サキ私心ト相俟ッテ西田ヲ狙撃シ何年間ニ亘ツテ西田ヲ裏切者宣傳ヲシタノデアリマス。
西田トシマシテハ私ノ手當ニヨツテイチ命ヲ助カツタト言フ深イ感謝ガ
有ル、
一面ニ年少気鋭ノ性格カラ此ノ侮辱に堪ヘラレン風デアリマシタ。
今回ノ時モ既ニ私ガ西田ニ前回ノ如ク圏外ニアル様ニト勧告シタ所デ
西田ハ其ノ勧告ニ從フ心持モ見ヘマセン、
今回コソハ同志ト共ニ生死ヲ共ニシヨウト堅イ決心ガ意外ニ認メラレテ居リマシタ。
從テ私ハ西田ニモ關係將校ニモ中止方ヲ勧告シマセンデシタ。
・・・北一輝


・ 「 貴様が止めなくて一体誰が止めるんだ 」 
・ 北一輝 1 「 是はもう大勢である 押へることも何うする事も出来ない 」 

・ 西田税 (二) 「万感交々で私としては思ひ切って止めさせた方が良かったと思ひます  」 


前夜
目次
クリック して頁を読む

山口一太郎大尉 壮丁父兄に訓示 
・ 
山下奉文の慫慂 「 岡田なんか打斬るんだ 」 
・ 
竜土軒の激論 

・ 香田清貞大尉の参加 
・ 池田俊彦少尉 「 私も参加します 」 

二十二日の早朝、
再び安藤を訪ねて決心を促したら、
磯部安心して呉れ、
俺はヤル、
ほんとに安心して呉れ

と 例の如くに簡単に返事をして呉れた。
本日の午後四時には、
野中大尉の宅で村中と余と三人会ふ事になってゐるので、
定刻に四谷の野中宅に行く。
村中は既に来てゐた。
野中大尉は自筆の決意書を示して呉れた。
立派なものだ。
大丈夫の意気、筆端に燃える様だ。
この文章を示しながら 野中大尉曰く、
「今吾々が不義を打たなかたならば、吾々に天誅が下ります」 と。
嗚呼 何たる崇厳な決意ぞ。
村中も余と同感らしかった。
野中大尉の決意書は村中が之を骨子として、所謂 蹶起趣意書 を作ったのだ。
原文は野中氏の人格、個性がハッキリとした所の大文章であった。
・・・第十 「 戒厳令を布いて斬るのだなあ 」 

斯くて 興津の西園寺公望襲撃は中止された 

・ 命令 「 柳下中尉は週番司令の代理となり 営内の指揮に任ずべし 」 


野中大尉 「 同志として参加してもらいたい 」

その夜 ( 2 5 日 ) 九時頃
鈴木少尉 ( 週番士官に服務 ) の指示で、
下士官全員は少尉と共に第七中隊長の部屋に集合した。

部屋の中には七中隊の下士官も集まっていて私たちが入るとすぐ扉をピタリと閉めた。
すでに話が進んでいたらしく机の上には洋菓子と共にガリ版の印刷物があった。
野中大尉は私たちを見ると一寸顔をくずし、
「 十中隊もきてくれたか 」 といってすぐ切り出した。

話の内容は
相澤事件の真意、昭和維新の構想、蹶起の時期、
といったやはり私が予想していたことの具体的解説とその決意であった。
「 今述べたことをこれから実行する。そこで貴君等の賛否を伺いたい 」
大尉の顔がひきしまり、目が光った。
私たちは蹶起が正しいことなのか邪であるのか考えたが判断がつかず、しばし声なく数分間の沈黙が流れた。
やがて私は、
「 賛成します 」 と答えた。
すると他の下士官も追随して賛意を示したので、
それを聞いた野中大尉は、
「 賛成してくれたか、それでは細部について述べるが、まさか裏切ることはあるまいな 」
といいながら全員の顔を机上に集めて地図を拡げた。

以下 大尉の話は核心に触れていった。
出動部隊名、兵力、各部隊の襲撃目標、そして中隊における非常呼集の時刻、
兵の起こし方、装備、携行品等、こと細かく説明が続いた。
第十中隊は第三、第七中隊と共に警視庁を襲撃することを確認したとき何か体が引締まる思いがした。
・・・
下士官の赤誠 1 「私は賛成します 」 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
村中孝次 蹶起ノ趣意書ヲ閲讀ス。
磯部、山本亦是ニ見入ル。
中ニ 「 我等絶體臣道ヲ行ク遺族ヲシテ餓ニ泣カシム勿レ 」 ノ一文アリ。
コレ他ナシ。
首魁タル村中ノ心事ハ佐久間艇長ノ心事ナリ。
艇長海底ニ於テ最后ノ遺書中ニ曰ク
「 謹ミテ陛下ニ申ス。遺族ヲシテ餓ニ泣カシムルコトナカランコトヲ 」。( 取意 )
コノ心事ナリ、深事ナリ。
村中ノ心中、同志千數百ノ遺族ノ將來ニ思ヒ及シ二十二ノ文字トシテ、ニジミ出デタルナリ。
慈ヒハ丈夫ノ心ナリ。骨肉ノ恩愛、古來丈夫ノ涙ナリ。女々シト笑フナカレ。
古來大義滅親ノ行ニ、骨肉恩愛ノ涙ナキ丈夫ヤアル。
コレ天性ナリ。
止ムニ止マレヌ皇臣ノ忠魂ハ、骨肉恩愛ノキヅナヲ斷ツテ、決死絶體ノ臣道ヲ奉行スルナリ。
磯部、村中、山本 小首ヲ傾ケ、沈思深考ス二十二文字ナリ。
三人議シテコレヲ削ル。二人亦同意先後ナレ、
アア、今ニ至リテコノ一文ヲ知ルハ、予一人ナリ。
四人幽明境ヲ異ニシテ既ニナシ。遺族今ヤ如何。

・・・ 
山本又 『 我等絶體臣道ヲ行ク遺族ヲシテ餓ニ泣カシム勿レ 』