新井 勲 中尉
初年兵が入営したので、軍隊はその教育で忙しかった。
わたくしは第十中隊の中隊長が歩兵学校に派遣されたので、
昨年末から中隊長代理として、その全てを預る身となった。
なお 近く華北から帰って来る第九中隊の初年兵も、隷下に置かれたので、わたくしは人一倍忙しかった。
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北平から帰還して間もなく、わたくしは麻布二本松附近に家庭を持ったが、帰宅はともすれば遅れ勝ちであった。
相澤公判は世人の注目を浴びつつ、次第に進められていた。
雪の多いこの年は寒さも特に厳しく、気候そのものも何か変調を来していた。
今日もたそがれ時を急ぎながら帰途につくと、
六本木の四辻の方から、栗原中尉が見るからに殺気立った格好で歩いて来るのと、
道でバッタリぶつかった。
かれはわたくしより二期先輩である。
顔は女のような優さ男だが、織田信長みたいに疳 かん が強かった。
頭もよい 鼻ッ端の強い人間である。
「 おい、いよいよやらなけりゃいかんぞ。精力づけに大和田の鰻を食って来たところさ 」
栗原らしい云い方である。
「 栗原さん、余りガタガタしないことにしましょうや 」
わたくしはその日はサッサと別れたが、
翌日安藤に、
「 歩一がガタガタしているから、われわれは、歩三の態度を一応表明して置く必要がありますぜ 」
と、夕刻行われる竜土軒の会合に、われわれの態度を申入れることにした。
・・リンク → ・・・渋川善助 「 あなたは禅を知らないからです 」
竜土軒の玄関を這入り、撞球場を左に見て階段を上ると、二階は二十畳ほどの洋間になっている。
この大広間の横にも六畳ほどの部屋があったが、
会合の場合は両方ともわれわれが使うことになっていた。
憲兵隊でもこの会合を臭いと睨み、手が廻っている気配はあったが、流石に傍聴には来なかった。
公判そのものの披露は誰か聞かせても差支えないもので、事実参会者には何の制限もなかった。
この日の参会者は十数名で、左官級の者も一人いたが、他は皆尉官級である。
主として歩一、歩三だが近く近歩三の将校も一名まじっていた。
渋川は羽織袴の和服だが、村中、磯部は背広で、あとは皆カーキ色の軍服である。
例の如く渋川が主となりその日の公判廷の模様を物語り、時々記憶の不確実な点を村中 、磯部 に訊していた。
そして 「 それから後は証拠調べに入るようです 」 と最後を結んで散会となった。
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今日こそはと待ち構えたわたくしと安藤は、足音の乱れる中を、まだ椅子から立たなかった。
渋川が急いで帰りかけるので、わたくしが呼留めると、
「 いや、わたくしは失礼します。話があったらどうぞ 」
と眼で村中や磯部を指した。
その時は気づかなかったが、直接行動は村中や磯部があたるという、これはかれらの計画であった。
村中もわれわれの意図を察知したのか、
「 一寸話があるんだが、あっちで話そう 」 と 四人は六畳の小部屋に移った。
六尺テーブルを中に置き、北側を安藤とわたくし、南側に村中と磯部が座についた。
白いテーブルクロスの真中には、花のない花瓶があった。
扉を閉めても、隣の大広間では物を片づける音が盛んにする。
「 安藤、どうだ 」
村中がいきなり先手を打って切込んで来た。
問題は云わずとも知れた直接行動についてである。
かれは額の広い、色白で小柄な男であった。
「 時期尚早と思います 」
安藤が答えた。
一期先輩の村中には、かれは依然先輩としての礼をとっている。
「 何いッ。時期尚早、そんなことがあるものか。
一刻も早くやらなけりゃ、国際危機に対処できるか。歩三がそんな始末だから困るんだ。
歩一は士気が揚がっているのに・・・・」
村中はテーブルを叩かんばかりであった。
「 栗原は何時でもガタガタしているんです。今に始まった事ではなんいだから・・・・」
「 栗原ばかりではない。外の者も真剣だ 」
今迄黙っていた磯部が初めて口を開いた。
かれは安藤と同期の仲で、身体のがっしりした、朴訥のなかに精悍の気溢れた男である。
人を人とも思わぬ風があるが、理論家ではない。
「 歩一がどうであろうとも、歩三は歩三の態度があると思うんだ 」
安藤が誰に答えるともなくつぶやいた。
四辺は静まって、時々西風の渡る音がする。
明るい電燈の下では、四人の者が相対している。
遠くに響く夜巡りの拍子木も、部屋の空気を、何かそぐわぬものにした。
暫く沈黙が続いた。
「 では何時やればいいんだ。今を措いて何時いい機会があると云うんだ 」
村中がまた攻勢に出た。
「 相澤公判を利用するなら、それも一つの機会でしょうが・・・・。
しかしわれわれのやらぬは、それに拘ってはいかんと思うんです 」
安藤はともすれば受太刀である。
「 拘らないってどうなればいいんだ 」
磯部が横合から語気鋭く詰寄った。
安藤はチラと磯部を顧たが、村中にむかい 諄々と説き出した。
「 聞く所によると、侍従武官長の本庄さんも歩一の山口さんには、手を焼いているそうです 」
山口とは本庄侍従武官長の女婿で、急進派の一人である。
かれ自身直接行動への参加はしないが、側面的に活潑に活動し、
過日入営式の父兄にやった演説が、問題になった人である。 ・・・山口一太郎大尉 壮丁父兄に訓示
「 侍従武官長がこの有様なら、陛下が何と思って居られるか、
よく考えなければならぬと思うんです・・・・」
みなまで云わせず、村中が遮った。
「 そりゃそうさ、本庄さんにすれば責任があるから・・・・。
しかしそれで、陛下がそうだと断定はできん 」
安藤は村中の言葉には無関心の如く、さらに話しを続けた。
「 われわれが前衛として、飛出したとしても、現在の軍の情勢では、果たして随いて来るかどうか問題です。
若し不成功に終わったら、われわれは陛下の軍隊を犠牲にするので、竹橋事件以上の大問題です。
わたくしは村中さんや磯部と違い、部下を持った軍隊の指揮官です。責任は非常に重いんです 」
現役将校と浪人との相違はそこにある。
安藤のこの論には、村中も磯部も釘を打たれた体である。
しかし村中はそんな弱味は見せなかった。
「 川島が陸相だから駄目だと云うんか。そんな事があるものか。
われわれが飛出したら、あとの陸軍は何うすると云うんだ。
われわれを敵とするのか。味方にするのか。
われわれの迫力で押しさえすれば、軍は結局随いて来る。
われわれの迫力が問題なんだ。
それに川島じゃ駄目だと云うが、そんな事はない。
真崎や荒木は、表面都合よさそうに見えるけれど、却ってよくない。
あれらは余り俺らのことを知り過ぎている。しっかりしているから駄目なんだ。
川島みたいな中途半端な人間の方がよっぽどいい。 あいつはグニャグニャだから、
引摺って行くには都合がいいんだ 」
村中は一気呵成に逆襲して来た。
時計は既に十一時に近かった。
電灯ばかりバカに明るい火の気のない部屋で、四人の論戦はいよいよ白熱化するのであった。
「 村中さん、非常手段と云うものは、無闇矢鱈に使うものではありません 」
今迄黙っていたわたくしが、原則論で応酬した。
「 直接行動は国家が立つか立たぬか、滅亡するか否かの場合にのみ、はじめて是認さるべきであります。
国際情勢を思うと、われわれは一日も安閑としてはいられませんが、
それは積極的繁栄、少なくも現状維持を考える場合で、
それを対象としての直接行動は、これは全然見地が違います 」
さらに論を進ませようとすののを村中が、
「 現状でいいと云うのか。現状が悪いからやらにゃいかんのだ 」
「 現状でいいとは申しません。だが村中さん、少し黙ってわたしの云うことを聞いて下さい 」
今迄黙っていた手前があるので、村中は不服ながらも首肯いた。
「 わたくしも現状には不満です。 しかし現状が悪いと云っても、ただそれだけで直接行動に訴えては、
何時の世でも国家の秩序は成り立ちません。
国家の現状では、なる程一般国民は日常の生活不安に苦しんでいます。
しかし全般的に観察すれば、満洲の建設は進み、メイド・イン・ジャパンの商品は、
関税障壁を打破って、世界の国々に浸透して居ります。
この国家の現状を目して、滅亡の危機にありとは、わたくしは絶対に思われません 」
ここまで云い終って一息つくと、磯部がムカムカッと立向って来た。
「 新井君、それは特権階級のことだ。今繁盛しているのはかれらばかりで、国民は塗炭の苦しみに居るんだ 」
「 そりゃ受けている利益は、特権階級が多いでしょう。
一般労働者 特にわれわれの一番懸念する農民は、苦しいことは苦しい。
しかし昭和六、七年頃に比べれば、その苦しみは緩和されています 」
「 そんなことはない。却って苦しいんだ 」
磯部とわたくしの論戦は続いた。
「 いいえ、数次がこれを証明しています 」
「 数字なんか当てになるか。 苦しいのは苦しいんだ。 現に俺の田舎では----」
みなまで云わせずわたくしが、
「 一部の実例では議論になりません。 おおきな見地から見て下さい。
日本の農民も苦しいでしょうが、中国の農民はもっと苦しいのです。
非常手段をとる迄には、まだまだ農民も我慢しなければなりません 」
これまで村中は黙っていたが、突然わたくしに反問した。
「 それじゃ新井君は何時やると云うんだ。筵旗を押立てた百姓一揆が出たり、
飢え死に者が出て、餓莩山に満つとなればよいのか。
警察の発達した今日、そんな百姓一揆など起るものか 」
「 いいえ、違います。いくら警察が発達しても、食えなくなれば生か死かの問題です。
あの階級の差のやかましい、斬捨て御免の世の中でも、百姓一揆は起きています。
警察がどうのこうのと云っても、それは問題になりません 」
頬杖をついて考えていた安藤が仲に入った。
「 そりゃ見解の相違だ。いくら議論しても駄目だ 」
安藤は議論の絡れを警戒した。
「 それにしても村中さんや磯部さんには部下がありません。
失礼ですけれども、今では一介の地方人です。
わたくし共が一個人として、血盟団や五・一五の如く動くのでしたら、
わたくしも反対は致しません。 軍服を脱いでやると云うなら、一緒になってやりもしましょう。
それは個人が犠牲になればよいんですから----。
しかし軍隊を使用するのは、事が全然違います。
われわれが飛出すには、戦闘綱要の独断に合するか否かを、慎重に検討する必要があります。
常に上官の意志を明察し、大局を判断するとありますが、
この際の上官は陛下です。
軍隊を使用して直接行動に出ることは、陛下が御自ら元老重臣を斬ろうと考えられて居る場合、
その時だけに許されるべきです。
今の陛下が果してそれを考えて居られるか。わたくしはそうとは絶対に思えません。
わたくしは絶対に軍隊を犠牲には出来ません 」
こう強く云い切った。
「 なに、陛下だって御不満さ 」
村中の反撃はあたらなかった。
「 そりゃ御不満はお持ちでしょう。しかし不満と云うことと、これを斬るということは違います 」
わたくしは更に続けて、最後の留めを刺そうとした。
ところが磯部が向き直って、
「 では新井君は同志を裏切ろうというのか 」
かれは論旨を変えて来た。
「 何を称して裏切りと云うのです。
わたくしは、あなた方の云うことを必ず肯きますと、何等約束したことがありますか。
わたしばかりではない、安藤さんでも坂井でも、そんな事は誰もしていません。
それなら何故、磯部さんは、わたし達のいうことを肯かないんです----。
国を憂えることは同じです。私も現状には不満です。
しかし問題は、現在直接行動をゆるかやらないか、それを論じているのではありませんか 」
わたくしは憤慨した。
磯部の指図など受ける必要はないからだ。
われわれの同志とはそんな意味ではない。
国事を憂える者の集まりだ。
菅波大尉からも、直接行動をするか否かは、自分で考えてくれ、と云われている。
安藤がまた仲に入った。
「 まあ、今晩は遅いから、これで止めにしよう。
----でも、今迄われわれの第一線と思っていた新井がこんなに反対するんだから、
やらないほうがよいと思う 」
磯部に向かって、かれは静かにそう云った。
四人の胸はまだスッキリしなかったが、時刻が時刻なので、云いたいものを残しながら、
一同は竜土軒の外に出た。
電車道路で四人の影は二つに別れ、わたくしと安藤は六本木の方へ道を急いだ。
「 新井、今夜のことは誰にも云うな。
何処迄も歩三は歩三で行こう。 しかし若い者には余りブレーキはかけるなよ。
やるやらぬは別として、何時でも死ぬだけの心構えは必要だから----。
今、坂井がすこしガタガタしているが、あれは俺からよく云って置く、
われわれがやらなけりゃ坂井もやらん 」
安藤はそう云いながら、微かに笑った。
街灯だけが光る暗い道路は、二人の足音だけが高かった。
四辻で安藤と別れたわたくしは、一ロ 坂を下りて麻布十番へ出た。
人通りの絶えたこの道は、円タクの流しも稀で、月のない空を、流れ星が一つ斜めに飛んだ。
・・・新井勲 著 『 日本を震撼させた四日間 』 ・・竜土軒の激論
次頁 新井勲中尉・無念 「 自分の力、自分の立場を過信していた 」 に 続く
相澤公判の集会が、二、三回行われた時である。
村中や磯部らの情報だけで判断しては事を誤るという安藤の提唱で、
わたくし達歩三の青年将校の大部が、山下奉文の自宅にその見解を聞きに行った。
山下奉文は当時陸軍の調査部長をやっていた。
各種の情勢にも詳しいだろうし、
また現在の対内対外の諸施策にも、軍としての抱負があるだろうと期待したのである。
一行は十五、六名の多数だった。
山下奉文
十一月事件に関しては、
「 永田は小刀細工をやりすぎる 」
と先ず第一に断を下した。
山下は小刀細工が甚だ嫌いであった。
かれはあの偉大な風貌にも似ず、実際は細心周密な人間だが、
表向きは 「 小刀細工はいけない、大鉈で行け 」 と大きく出、またそういう風に万事を処理する人であった。
だから表面しか見えない人間には、かれの神経の細かさはわからない。
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山下の語る小刀細工とは、あの士官候補生達の処理が軍務局長と中隊長だけで行われ、
学校長其他に連絡がなかった点を指すのであった。
「 矢張りあれは永田一派の策動で、軍全体としての意図ではない 」
一同は村中、磯部の所論の正しさを再確認したのである。
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「 では、永田中将の死亡時刻が、陸軍省発表と軍法会議とで違うのは、どうした事です 」
「 ああ、あれか。あれは何でもない。中将への進級やその他の事務手続き上の都合で、あれは別に何でもないんだ 」
話は次第に現在の時局に触れて来た。
その対策について、調査部長として何か卓抜な抱負があるかと思ったが、
遺憾ながらこれを取上げるものもなかった。
現在のままではいけないのは誰も知っている。
だが 何うしたらよいのか、当時としては具体的政策を持つものとてなかった。
「 国家改造法案大綱 」 も卓見ではあるが、あれは検討すべき幾多の問題があった。
あれがそのまま実現してよいものとは青年将校の誰もが思わなかった。
「 国防の本義とその教化の提唱 」 なるパンフレットを出したからには、
陸軍には何か具体策があるに相違ない。
ところが山下の語る所はまことにつまらぬものばかりであった。
なかでも一寸受取れるのは国民健康保険法ぐらいだった。
ほかの者は知らぬが、実はわたくしとしては非常に失望した。
今迄軍の中央部には政府よりも何よりも期待と信用と尊敬とをもっていたのだが、
その脳味噌のカラッポを見せつけられたからだ。
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「 岡田啓介はどうです 」
安藤か誰かが質問した。
「 岡田なんか打斬るんだ 」
山下の声には力が籠っていた。
わたくしは呆気にとられた。
曾て聯隊長時代には、「 日本人は神経質でいけない。ジタバタするな 」 と云っていた山下が、
部下に責任のない調査部長になるとこんなことを云うのか。
わたくしは山下の品性を疑った。
「 岡田啓介を打斬れ 」
とはどういう意味で云ったのか、それは山下自身の本心に聞かねばならない。
かれは軍隊を使用する直接行動は予測しなかったろう。
しかしかれが如何に云訳を云おうと、
「 打斬れ 」 といったあの鋭い言葉は、血の気の多い青年将校にどんな影響を与えるかは、
山下自身がよく知っていた筈だ。
効果を予想せずに、かれはそんな言葉を使う人間ではない。
果せるかな その効果は覿面だった。
山下の一言こそ歩三の青年将校を二・二六事件に駆り立てる大きな動機となったのである。
・・・新井勲 著 『 日本を震撼させた四日間 』 ・・山下奉文の慫慂