あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

一下士官の昭和維新 1 「 参加いたします 」

2017年11月04日 20時05分25秒 | 下士官兵


福島理本伍長

二月二十五日  午後一時

鈴木少尉が、週番司令安藤大尉の許から大久保射場へ戻った時、腰に軍刀を帯びていた。
指揮刀でないので一瞬異様に感じた。
「 さては やる気か 」  よもやとも想う。
実弾射撃以後夜間の標定射撃訓練に入った時に、急遽演習取止め 帰営の指示があり、
此の時に明かに何事かあるなと直感した。
中隊の兵を先任の加庭上等兵に引率させ、軍歌演習に併せ帰営することを指示し、
我等下士官は教官と共に新宿に赴き夕食を共にした。
同席は 伊高、伊沢、大森、井戸川軍曹と、福島、松本、宇田川伍長の七名であり、
今迄にない珍しいことであった。
しかし、鈴木少尉からは特にこれという言葉はなかった。
帰営後、中隊幹部は第二下士官室に集合し 永田事件について論じ合う。
この時 鈴木少尉から
「 明朝非常呼集の演習を行う予定 」
と 指示される。
このことを聴いた時、私は始めて決行の暗示として受けとめた。

二月二十五日  午後九時三十分
九時三十分 教官の指示により下士官全員 ( 新井軍曹を除く ) 第七中隊長野中大尉の部屋に集合、
既に七中隊下士官は同室に集っていた。
狭い室内に一同入ると、

大尉は
「 十中隊もきてくれたのか 」
と 言いながら相沢中佐公判について簡単な説明があった。
その後 野中大尉はあらためて姿勢を正し、決起趣意書を静かに朗読したのである。

そして
「 自分は困難に殉ぜんとす。諸子の賛否を知りたい 」
と 言う。
「 この機を外して好機はなし。渡満を前にぜひとも決行することにする。
外敵に当るばかりが軍人の任務ではない。内敵を斃してこそ外地で働けるものなり 」
と 語気強く、声は低いが腹に沁みる言葉であった。
賛否の問いに一瞬の惑まどいが全員に流れた。
沈黙の約二分間・・・・。
自分は当然やるべきだと思い、
「 参加いたします 」
と 手を挙げる。  ・・・リンク→ 「私は賛成します 」
これによって一同が参加に踏み切ったように思われた。
大尉は、
「 では詳細を知らせる。よもや裏切るものはあるまい 」
と 言いながら、
出動部隊の規模、編成、部隊ごとの襲撃目標、
分担出動に当っての兵器、弾薬、衣料品にいたるまで 詳細な指示があった。
特に最後に、
「 いかなる場合も銃口を宮城に向けてはいけない。最悪の場合はお濠を背にして闘う事とする 」
は 印象的な指令だった。
その間に磯部大尉や田中中尉の来訪、紹介などから
歩三以外の部隊の行動などを事実として察知することができた。
不思議でならなかったのは、鈴木少尉から具体的な指示が何等ないことだった。 説明さえなかった。
自分の所属する十中隊の新井中隊長を抜きにして他の中隊長の指示 ( ? ) を受けるとは・・・・。
もう今となっては已むを得ない。
ここに居るものは、いずれも同志だという感じが漲みなぎり出してきた。
同志の紅唇は固く閉じられた。
茶菓、洋菓子を口にする者はあっても質疑をする者はひとりもなく、十一時三十分辞去した。

野中大尉の部屋を出て中隊に戻る。
途中一同声もなし。
伊高、大森、井戸川、松本、宇田川、伊沢、共に沈黙の歩みだった。
出動までにやらねばならないことがある。
大切なことがある。
私は地下廊下を十中隊第二下士官室へと急いだ。
同室の伊沢軍曹は遅れた。
私は蹶起の趣旨に殉ずる覚悟ができた。
下士官室の机にもたれて二通の遺書を認したため、残る墨汁で、体操帯に 「 決死仰維新 」 と 書いた。

帯面の織目が荒く墨汁の浸透ままならず時間を要した。
この時 鈴木少尉、私の室に入り、机上の遺書を見、
「 遺書を書くほどの必要もないだろう 」 と 言う。
私はこの時 少尉の決意に疑問を持った。
私は鈴木少尉に、
「 新井中隊長殿はどうされました 」
と 質問したところ、
「 中隊長は時期尚早との意見なのであえて連絡しない 」
との言を残して室を去った。
その後 伊沢軍曹帰室し、スチーム上の体操帯の墨書 「 決死仰維新 」 を認めて、
「 福島班長は今度のことについて どの程度知っているのか 」
 と 聞かれる。
私は答えた。
「 知らない。
しかし 野中中隊長の言葉と決意は容易に諒察することができた。だから率先意を決した 」
と 答え、
さらに買い求めておいた 『 永田事件公判記録 』 と いう冊子を机中より出して見せた。

伊沢軍曹は、
「 そうだったのか 」
と 頷うなづく。
私の心の準備はこれで完結した。
後は予想の呼集時間まで毛布にくるまるでもなく、
両肘を机上に立て興奮の眼をつむって時間の来るのを待った。

二月二十六日  午前零時三十分
二月二十六日午前午前零時三十分、
鈴木少尉の指令で起床。
私は先ず
加庭先任上等兵を起して、下士官室に呼び、静かに事の次第を説明した。
次いで 私の決意の程を体操帯を見せて示し、
その後 第四班員の一人一人を両名で揺り起こし、
起床させた。
点灯も控えさせ 不寝番にも静粛にするよう注意した。
第四班員は次の者である。
〔 二年兵 〕
加庭、宮崎、島村、山口、千崎、新井、中山。
〔 初年兵 〕
宮沢、岩井、岩田、荒木、吉岡、川島、平野、福島、大島、遊馬、秋本、加藤、
坂本、高橋、尾田、鍋沢、時女、十七名。
総員を寝台の前に立たせ非常呼集発令を告げ、その目的、蹶起趣旨の説明をする。
『 今、我国は非常に重大な危機に臨んでいる。
その最も大きいものは 相沢中佐の公判で承知かもしれないが、
国の重責にある重臣達が非常に堕落していることである。
これをやらなければならない。
彼等は畏れ多くも陛下を囲繞して悪事を恣ほしい儘にして 天皇機関を実行している。
まことに不敵な奴である。
我々は皇国の永遠の平和興隆を図るために これら奸者を滅ぼさなければならない。
我々は近く渡満という重大な任務につこうとしている。
この際、内を整理して初めて外に働けるのだ。
もし考えが同じであれば奴等を 「 ヤッツケル 」 という班長と同じ考えになる筈である。
それで実はこれから
この趣旨により光栄ある志士として昭和維新を断行しようとしているのである。

もし 「 ヤルベキダ 」 と 考える者は一緒に行動する。
大事をなすときには父母、郷党を考えてはいかぬ。賛成するものは手を挙げよ 』
と 言えば 総員賛成であった。

我が中隊は聯隊外壁に近く 非常呼集の秘密を図るために静粛を必要とした。
そこで炊事場より荒縄を運ばせ 靴に巻き
コンクリート階段の靴音の防止と、戸外の雪氷の滑り止めに意を用いた。
LG ( 軽機関銃分隊 ) 一銃に対し五百発、小銃は五十発、拳銃二、三十発、いずれも装填して戦闘準備をする。
実弾の配給、装填に兵士の顔面は緊張した。
LGは三脚架携行し 携帯口糧乙一色分、ガス戦を考慮し防毒面携行、
尚 出動は数日にわたると予想し、背嚢に外套を付し、飯盒も。
日用品として襦袢 袴 下 各一着を納め、服装は第三装着用、軍帽は最上、巻脚袢第二装用と、
死して後 笑われないように着用襦袢は努めて清潔なものを着用させた。
白兵戦となる場合の刺突要領の速成教育、拳銃の弾薬の装填、短剣による格闘要領等を示す。
それぞれ寝台に腰掛けるのを認めて休息し、出動時刻を待ち、心身ともに戦闘準備終る。
二月二十六日  午前三時
同志の意気 天に冲す。
三時十五分、東中庭に集合した。
時に降雪止み、雲間に洩星淋しく光る。
携行した甘納豆一袋を分隊員に配給したところ 兵の緊張はゆるんだ。
整列。
聯隊本部方向に向いて第三、第十、第七、МG ( 重機関銃分隊 ) の順序。
配属のМGは馬を用いず、長島、石橋伍長と肩をたたき励まし合う。

次頁 2 「 おい、福島班長、これからが大変だぜ、しっかりやろうな 」 に 続く

福島理本 著
ある下士官の二・二六事件  罰は刑にあらず
1 準備 から