あを雲の涯

「 二、二六事件て何や 」
親友・長野が問う
「 世直しや 」
私はそう答えた

下士官の微衷 歩兵第三聯隊第十中隊伍長 ・ 四日間の行動記錄

2017年11月05日 20時09分58秒 | 下士官兵



二十六日午前零時三十分起床
戦闘準備  LG  五〇〇
IG  五〇内外
装塡
同志の意気天に沖す、天曇り洩星淋し

四時二十分出発、三、十、七、MG の順序
四時三十分?  警視庁に向かう。  途中歩一側にて集合。

午前五時頃無事占拠
外部との交通遮断をなす。 一発だに射たずに占拠せるは最も良し。
警官武装解除終り。

午前八時より逐次警官集合し、外部より入らんとせども、兵の銃剣の為入るを得ず。
将校 之が解散を武力により断行せんとせしが、流血の惨を惹起すること確実なる為、
警部の命と引替えに之が安静を要求す。

午前八時二十五分、入口総て LG、MGにて固め堅固なること強大なり。

第一師団戦時警備令の旨、午後三時通報に接す。
之がため第一師団全部の出動を知る。
市内電話交換手等三食もせず青ざめ居るも一入哀れなり。

午後八時頃、斉藤、鈴木、渡辺、高橋は確実に成功せりときき、一入快哉を叫ぶ。
牧野、西園寺の逃亡は実に無念なり。
後程 高橋は負傷なりとの事に切歯扼腕せしが、夕刻に至り胴二つになるとの事実に胸を静す。

二月二十七日
海軍省は陸戦隊を以て警備を固む。
午後三時 吾々部隊は警視庁の占拠を解き、新国会議事堂に集合せんとせしが、
途中師団長命令により、再び戻りて外に対し警戒す。
午後五時再び議事堂に集合の命により同志はほぼ全部集合す。

午後五時二十分
この時より 歩一、小藤大佐の指揮下に入る。歩一も同様なり。
午後八時頃にいたるまで炎々と火を焚き雪中に語る。
度々 命下りて情況急を告ぐると見る。
八時頃より文部大臣官舎にいたり 戦闘準備を怠らず宿営す。

午後九時二十分頃、近歩我に向いて敵対行動を起し雪を以て掩体を築き我に銃を指向せると聞く。
事重大なるに今更に快哉を叫ぶ。
近歩との一戦を辞せず。
何時両軍兵火を交ゆるやも知れず、不安の中に夜に入る。

二十八日午前七時頃出発準備の命により、武装を整え歩三よりの飯にかぶりつく。

二月二十八日午前七時、初めて聯隊の情況耳に入り悦ぶ。
57i ( 歩兵第五十七聯隊 ) の全部来りて警備につき、3i ( 歩兵第三聯隊 ) も患者を除き、ほか皆出動したりと。

午前九時頃より安藤、野中の交渉始まり恰も江戸城明渡しによく似たり。

午前十時、歩三の警備地区域たる陸軍省、陸軍大臣官舎、首相官舎等に近歩近寄りて、
歩三に止む得ず撤退したりと聞き残念至極。
近歩に対し闘志漲みなぎる、我々友軍相討つの光景を数刻後にあるを覚ゆ。
午後五時頃それがデマなると聞き 然る可しと頷く。
されど橋本中将こそ奸賊なれば斃すを要すと確信す。
近歩将校等しきりに我に入ると聞く。我々は唯、覚悟の上なれば何ものも恐れず。

午前十一時、常盤少尉来りて事態重大化を叫ぶ。
第一師団全部が改革の志に感じ
近衛師団を相手に師団長以下49、57、野重7、戦車 馳せ参ずると聞き、一同意を強うす。

正午頃、同志の幹部陸軍省に集合し監禁され自決せしとのこと。
常盤少尉辛うじて脱出の通報に接し無念おく能わず、憂至る。
我等、再三死を覚悟し 大命若し意に反せば下士官以上全員割腹を覚悟す
我、元より事の起る前より已覚悟の上なれば気晴れて心亦楽しく家事亦胸にも浮かばず。
覚悟の上は斯様にまで落付けるものかと不思議に思わる。

午後一時頃、常盤少尉来り  配備に付き 近歩に反撃を命ず。
され共 我々友軍相討つは死しても忍びず。
伊沢軍曹 若し我より発砲せば自刃すという。
蓋し然り。 我亦然り。
将校集い 情況切迫の為の会合をなす。
常盤少尉奮然として立ち 三中隊を引提げ近歩に反撃するといい去りたり。
我々隊長自刃の上は隊長に代り最後を昭和維新の光明を見出したならば自刃せんと相定めたり。

午後一時三十分
監禁中の教官来りて常盤少尉の話は全然違っていることを示せり。
此の時に至り 前の官邸占拠の件はデマなるを知れり。
然れ共 命令は何処より出るやら皆目 信用おけず。
されども近衛師団の行動と我が行動とは常に敵対なれば何時帝都焼土となるやも知れず、
又 全国民にも同志が出来つつあるを知り 然る可と思う。
二十六日には、血書の壮年十数名歩哨に接りて何かに働かして呉れといい、
或は 自動車運転手の煙草無代五十個進呈など、
又 我等行軍に対して貴婦人 車より降りて最敬礼する等は実に驚く。

午後四時
鑑定より警備のため出でて小学校に入れり。
LGは ( 福島、斉藤 ) 配備位置に準備し何時なりとも出られる如くす。
福原曹長以下五〇名約二百米隔てて近歩に相対し 彼等は鉄条網を張り銃眼を築きて準備す。
我々は只、立哨せしめて警戒に任ずるのみ。

午後四時三十分
磯部部隊来り 連携して警備す。
発砲は厳禁。

午後五時頃大隊長来りて、秩父宮注意として、「 友軍相討つな 」 と 言われる。

午後八時
近衛師団の大尉来りて磯部と会見折衝せしも
彼 若し射てば我は応戦す・・・に対して一言も言わずに去る
彼等は我々に対し戦備をなせるは事実、今更好き敵を求めるなり。
銃身を火にして斃して見せん。
我等の大精神を知らざるもの何時たりとも是正して見せん


午後十一時
六中隊鉢巻き白襷、気勢挙る。

午後十二時
飯未だ来たらず。
兵に己の身を御馳走してやりたい。
これは一つの策略による行動か、何故に飯来たらずか、
嗚呼 如何にしても聯隊より飯来たらざることは我々申しわけ立たぬことなり。

二月二十九日午前零時過、磯部大尉の報告により近歩三の報に接し、準備万端怠るなし。

午前四時頃、歩49大隊長のマイクロホンによる宣伝あり。
初めて勅許 ( 大命 ) ありたるを知る。

午前五時頃、全部を文相官邸に引上ぐ。
安藤、野中等の連絡うまく行かず、幹部集いて進撃か自決か。
井沢、福島 大命なれば我に処置なし。
錦旗に対しては射つを得ず。

午前八時頃 伊集院少佐来りて鈴木と会う。
要件は ( 別れ ) なりと、覚悟を定む。
歩哨の報告は敵 我に進み来るを知る。
会合して協議し 安藤と連絡を取らんとせども出来ず。
議事堂方向に君が代 聞こえ万才三唱響く。
帰りて協議す。
鈴木少尉は一戦やるとのこと。
我もされば小節の信義を立てるかと覚悟す。

午前八時三十分頃、武装厳しき中村少尉、渡辺特曹 兵数名と共に来り 我等泣く。
さくじつの師は今日の敵か。
嗚呼涙なくして何か面を向けん。
渡辺 耳に口を当て実は君達を貰いに来るなりと、涙して泣く。我亦泣く。
我は無抵抗、現地に止まるを主張せり。
されども鈴木少尉の意 若し戦わば勿論之に異議をはさむに非ず。
中村 「 只 男らしくやれ 」 と言う。
何れが男か、此れには迷う。
少時にして只涙し別る。
斥侯は近歩 愈々我々を圧迫せるを告ぐ。
最前方にある部隊は後退して来り 第二陣に拠るを見る。
時にタンクの轟音物凄くなりて愈々決戦の覚悟を固る。
兵全員整列装塡、着剣、整列了り 配備につかんとするや ○○将校来りて鈴木少尉と話し
我臍ほぞを固めて出でんとするも 其の儘にして取剣、配備につかしめず議事堂の方向に行く。
若干分にして帰る。

午前九時
時に戦車来り 戦車2の将校、歩三の大洞特務曹長等数名降り来りて命にかけて復帰を哀願す。
若し出来ざれば俺の首までを切れと 特務曹長は丸腰武器を一切持たず、決意の程察せらる。
教官決意固し、動ぜず。
参謀車上より怒気を含みて復帰を命ず。
兵従容として吾等が指示をまてり。
野砲の集注射撃直ちにある如く脅す。
我はそれでは現地に止まり砲弾により身を砕かんと決意せり。
教官これより議事堂に集合せんと宣し 出発せんとすれ共、将校等泣いて止まるを哀願す。
無情、参謀は怒るが如し。
よって鈴木少尉は単身議事堂に向わんとして我等を残置す。
我々もまた動ぜず。

午前九時二十五分
曹長以下一兵まで決意固し、特務曹長前進命令下せども一兵だも動かず。
遂に止むを得ず彼等前進す。
我野砲を心に画き悦ぶ。
文部省官邸に整列、頭尖を街路に出して我等少時沈黙若干の動揺の色なし。

午前九時三十五分
中村、高橋等飛び来りて泣く。
「 よく無事でいてくれた 」

午前十時
鬼神たりとも泣かざるを得んや。
中隊長新井中尉急ぎ 呼吸激しく、来りて腕を擁して泣く。

午前十一時五十分頃、止むを得ず帰る。

続二・二六事件と郷土兵  雪未だ降りやまず
歩兵第三聯隊第十中隊  伍長 福島理本
「 二・二六事件行動下のメモ 」 から