goo blog サービス終了のお知らせ 

日々遊行

天と地の間のどこかで美と感じたもの、記憶に残したいものを書いています

PRETTY WORLD

2011-07-15 | 

                         
夏の空を

ちょっとちぎってきて

木につるせないかしら

そう出来たとしたら

きっと美しい世界が出来る

あなたと私の世界

夏の日に

気球を買ったなら

紐を持って来て

そうしたらきっと何時間も

楽しめる

  セルジオ・メンデス「pretty world」より


暑くて思考力が低下する。気持ちをラフにして涼しさを感じたい時。
水分欠乏症の真昼の外にある池はいっときのオアシス。


人生の踊 九鬼周造

2011-05-31 | 

                     

運命よ

私はお前と踊るのだ。

ひつしりと抱いたまま。

よそ目にはみつともないつて?

そんな事はどうでもいい。

運命よ

運命よ

お前と踊るのだ。

私はうれしい、

私は悲しい。

おお、美しい音樂。

空のをちから響いて來る

天球の旋律だ。

                      九鬼周造 「破片」より


3月11日以来、日本の状況は変わったけれど人は何も変わらないように見える。
見えるだけなのだろうか。
そして自分はといえば、音樂に翻弄されないように空を仰ぐ時、地を向く時の自分を一度は確かめている。


夜空の大きな月

2011-01-19 | 

La_lune 













       CHILDREN'S SONG

       お月様でいっぱいで

       お月様の光でいっぱいで

       それはそれはいっぱいで‥‥

               稲垣足穂 「一千一秒物語」より


満月は明日だが大きな月が冷たい空に浮いている。
そばにひとひらの雲。
古今東西、多くのドラマを生んだ美しくて神秘なる唯一のもの。 


ポール・エリュアール 「自由 Liberte」

2010-10-27 | 

Liberte
フランスの詩人ポール・エリュアール(1895年~1952年)による詩「自由」は
彼がナチス・ドイツ占領下でレジスタンスに加わり、ペンをもって抵抗して生まれた詩である。
日本でいえば宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」と同じように
フランス人のほとんどはこの詩を知っているという。

           自由

        学校のノートの上
        勉強机や木立ちの上
        砂の上 雪の上に
        私は書く 君の名を



こうして始まる詩は各4行で21節まで続く。
そして最終行に必ず書かれる「J'ecris ton nom 私は書く 君の名を」は
1 節だけでも十分に詩人の願いのような心情が伝わってくる。
だが、これに続いてゆく言葉の数々は、
詩人をめぐるこの世にあるすべてに向かい語られ、「君」へ呼びかけてゆく。
エリュアールはまるで音楽を奏でるように最終節まで言葉を散りばめてゆく。
そして最後に「Liberte 自由と」と結び、私たちは感動をもって詩人が求めた「君」の意味を知る。

画像は、フェルナン・レジェ(1881年~1955年)の明快な色彩によって描かれた「Liberte自由」のポストカード。
大切にしている貴重なカードである。
J'ecris ton nom と描かれているこの絵は、実際は「Liberte」の全詩が書かれた横長の絵であり
画像は全体の左側部分に当たる。所在地は不明だがこの絵と詩が壁面いっぱいに飾られているという。

ポール・エリュアールはシュルレアリスムの中心的役割を担った存在であり、多くの作品を残している。
誰もが願う自由や愛、そして悲しみを豊かなイメージでことばを連ねるエリュアールの詩には
根源的な人間の意識があり共感を覚えずにはいられない。


デスノス詩集 堀口大學 訳

2010-09-29 | 

Desnospoeme  
     
      どうどうめぐり 

    一心に走りつづける僕の道
    廻れ右 向きを変えれば別の道
    ひたすら真向きに走りつづけるが
    行きつく先は知らぬ土地
    どうどうめぐりをつづけても
    空はいつしか変わってる
    昨日少年 今日大人
    人間世界の不思議さは
    ばらはばらでもこのばらは
    ほかのばらとは別のばら


詩人、放送作家であるロベール・デスノス(1900年~1945年)は、眠りながらにして夢に見た情景を
デッサンに描いたり詩を書き、新しいイメージの詩的世界を開いたことにより「眠りの人」としてシュルレアリストの一員になった。
しかしその後アンドレ・ブルトンと決別したデスノスは公的な場へと活動を移していった。

この「デスノス詩集」は子供の絵本に載るような詩、心から望む恋人の存在、人生や季節の流れ、
そしてドイツ・ナチスへの抵抗が書かれている。
私が読みたかった詩は本書に掲載されていなかったが、よく知られているのは「蟻」、
そして最愛の妻ユキへの想いを綴った「最後の詩」だが、この「どうどうめぐり」は彼の境遇を思えば
その暗示ともいえる詩である。
デスノスの最後は有名な逸話として残っているが、どこにいても毅然とした態度を崩すことはなかった。
戦争によって抑圧され、自由を奪われた人々に博愛の精神で接したデスノスの半生がかいま見える詩集である。

1978年 彌生書房


デスノスをさがして

2010-06-04 | 
フランスの詩人ロベール・デスノスの詩を探していてたどり着いたYouTube。
ルイ・アラゴンの詩をジャン・フェラが歌っている。

ロベール・デスノス(1900年~1945年)
フランスの詩人、ジャーナリスト。アンドレ・ブルトン率いるシュルレアリスム運動に加わったが後に脱退。
占領下時代にレジスタンスに参加するがゲシュタボに逮捕され収容所へ。
翌1945年、テレジン収容所にてチフスにより死去。

ルイ・アラゴン(1897年~1982年)
フランスの小説家、詩人。医学の道を歩むがアンドレ・ブルトンとの出会いがきっかけで
シュルレアリスム運動に参加し、雑誌「文学」をアラゴンらと発行する。
後に共産党員となり、文学もその傾向を深めてゆく。1957年レーニン平和賞受賞。

ジャン・フェラ(1930年~2010年)
フランスのシンガー・ソングライター。ユダヤ人家庭に生まれ、父親をナチ収容所で亡くしている。
50年代にパリの酒場で歌い初め、ルイ・アラゴンの詩を歌ってもいる。
今年の3月に79歳で逝去したがサルコジ大統領が哀悼のメッセージを送った。

アラゴンとデスノスは、初期のシュルレアリスムメンバーの中で、生粋のパリっ子だったことで共通していたという。

YouTubeの画像は削除いたしました。


少女に 寺山修司

2010-05-04 | 

                     
    少女に

たれでもその歌をうたえる
それは五月のうた
ぼくも知らない ぼくたちの
新しい光の季節のうた

郵便夫は愛について語らない
花ばなを読み
ぼくの青春は 気まぐれな
雲の時を追いかけていたものだ

ああ ぼくの内を一つの世界が駆け去ってゆき
見えないすべてのなかから
ぼくの選択できた唯一のもの

ぼくはかぎりなく
おまえをつきはなす
かぎりなくおまえを抱きしめるために                


       寺山修司 「三つのソネット」より


今日は寺山修司の5月4日。
言葉を自在にコラージュし続けた詩人は
その中からまるでマジックのように天国と地獄を生みだした。
そして田園風景を。


風景 川崎洋

2010-02-11 | 

                      

若者は
とかとかとかとか                            
とか しゃべり

電車の吊り広告には
和風仕立ての英会話教室
とある

うちの28歳の娘は
ついこのあいだまで
英霊を外国人の霊と思ってた
という

小学一年生が
ワープロで打った詩を
送ってくる

テレビの
釣り番組を見れば
波音は消されがちで
かわりに
BGのヴォーカルで
びしょびしょで

放送で詩を朗読しようとすれば
「五体満足」が放送禁止用語で
おじゃんで

わたしはといえば
縄文のころだって
竹と葉っぱでこさえた
ハングライダーが飛び交っていた

ぼんやり
森の上を眺めている


川崎洋(かわさきひろし)は1930年に東京に生まれ1946年頃から詩を書き始めた。
詩人であるばかりでなく歌のための詞やテレビなどのシナリオも手がけた。
また詩や放送部門で多くの賞を受賞している。
言葉に込めた人生観はユーモアに富み、時にはやさしく物悲しい。

写真は飛行機草という名の観葉植物


クローサー・トゥ・ヘブン

2009-06-25 | 

   青Kumonagareruい空からは

   雨が降り

   涙を知らぬ目からは

   滝のように涙が溢れ出る

   答えてくれ

   本当のことを

   これは現実なのか

   それとも 愚か者の楽園なのか

                                                 あんなにも気ままに
 
                          吹き荒れる風

                          みんな君や僕より

                          天国に近いんだね

                          もっと近くまで

                          のぼりつめたいよ                                                                                                                                                                                                                                                                   
The Alan parsons Project 「Gaudi」 Closer to heaven より抜粋
訳詞:野中茂子                                              

 


未知の千年の月日を

2009-05-28 | 


  

  どこからともなくやってきた                 

  大聖堂の時代

  古き世界は歩み始めた

  未知の千年の月日を

  それは人々にとって

  ただ登り続けなければならない歳月

  星の下を

  星は人の命を超えて生きる

  ガラスの中に 石の中に

ミュージカル
「Notre-Dame de Paris」 より


世田谷某所の一風景。
石のプランターに落ちかかるクレマチスは、時の彼方から浮上した花の陰影のようにそこに咲いていた。                       


ヒアシンスハウス

2009-04-04 | 

さいたま市の別所沼公園内に、詩人・立原道造が設計した 「ヒアシンスハウス」 がある。
立原道造は東京帝国大学建築学科を卒業したのち、銀座の建築事務所に勤務していた。
有能な建築士として将来を嘱望されていたという。
独立した書斎のようなヒアシンスハウスは道造が週末を過ごすために自ら設計したが
その夢は果たせず24歳で夭折した。
建築家・永峰富一と道造の愛好者、多くの市民の尽力によって道造のヒアシンスハウスは
木々のあいだを風が吹く沼のほとりに夢の継承として出現した。

   

立原自身が書いた設計図


童話に出てくるような窓辺
                              

            通りおくれた雲が梢の

            空高く ながれて行く

            青い青いあそこには 風が

            さやさや すぎるのだろう

                     立原道造 「優しき歌1」ひとり林に… より抜粋


ぼくが小鳥に 寺山修司

2009-03-01 | 

 

    ぼくが小鳥に

ぼくが小鳥になれば

あらゆる明日はやさしくなる

食卓では 見えないが

調和がランプのようにあかるい

朝 郵便配達夫は花圃(かほ)を忘れる

歳月を忘れ

少女は時を見捨て

ぼくには 空が青いばかり

そこに世界はあるだろう

新しいすべての名前たちもあるだろう

だがしかし 名前の外側では無窮の不幸もあるだろう

小鳥となるな

すくなくとも ぼくはなるな

手でふれてみない明日のためには

                        寺山修司「ぼくが小鳥に」 三つのソネットより                  


サアディの薔薇

2009-02-13 | 

Sizukurose

マルスリイヌ・デボルト・ヴァルモオルが書いたこの詩は、詩人が憧れる名詩として
さまざまに訳され香り高いロマンへと魅了する。


◆マルスリイヌ・デボルト・ヴァルモオヌ
◆1786年6月20日 ドゥエDouai(フランス北部)生まれ     

 


         サアディの薔薇                 

   この朝きみに薔薇を捧げんと思ひ立ちしを、

   摘みし花むすべる帯にいとあまた插(はさ)み入るれば

   張りつめし結び目これを抑ふるにすべなかりけり。


   結び目は破れほどけぬ。薔薇の花、風のまにまに

   飛び散らひ、海原めざしことごとく去って還らず。

   忽ちにうしほに泛(うか)びただよひて、行方はしらね、

 

     
   波、ために紅に染み、燃ゆるかと怪しまれけり。

   今宵なほ、わが衣、あげて移り香を籠めてぞくゆる……

   吸ひ給へ、いざわが身より、芳しき花の想ひ出

               
          斎藤磯雄訳 近代ふらんす秀詩集 (立風書房)


作家の中井英夫が、自らの著書『香りへの旅』で、格調の高さ、官能とかぐわしさが表現されている優れた訳文として
斎藤磯雄訳をとりあげている。

また、石邨幹子訳・編マルスリイヌ・デボルト・ヴァルモオヌの詩と生涯として
『サアディの薔薇』 (サアディの薔薇の会出版) がある。
記述によると、1848年2月、マルスリイヌがサント=ブウヴという男性へ、彼のなした骨折りに感謝して出した手紙に
この詩を書いたとされている。

「申し上げられることは、 私たちの風土に咲いた真実のサアディがあること。私はあなたに薔薇を持って行きたいと思いました。
でもその美い(よい)匂いに非常に酔ってしまったので、花はみな私の胸から抜け落ちてしまいました」

詩についてマルスリイヌの手紙はこのように語っているが、それは恋愛や利害関係で結ばれた男女の関係ではなく
信頼と尊敬で結ばれたものであったと訳者は書いている。


君だれ待つ

2009-02-05 | 

Matibito
 その亭の庭にも草木(そうもく)茂み

 風ふき渡りてばうばうたれども

 かのふるき待たれびとありやなしや

         萩原朔太郎 抒情詩「波宜亭」 より抜粋      
 


君待つと庭にしをれば白たへの吾衣手に露ぞ置きにける 

                      万葉集 無名人(巻十二)
 


ナルシス

2009-02-02 | 

Narusis ナルシスが死んだ その美しい姿からは絶え間なく

まるでヘリオトロープの香りのように濃密な

彼の本質に近いものが立ちのぼっていった

けれども彼の運命(さだめ)は 自分を見つめることだった

彼は愛した 自分から出て また自分のなかへ帰って来たも

               のを

               そしてもはやあからさまな風のなかにまじってはいなかった

               うっとりとして さまざまな姿の圏を閉じ

               自分を放棄しながら 彼はもはや存在することができなかった      

                           ライナー・マリア・リルケ 富士川英郎訳



ライナー・マリア・リルケはドイツの20世紀最大の詩人。
憂いをおびた初期の詩から晩年のさらなる自己探求の詩まで、常に人間存在の深遠を書き続けた。
代表作は小説『マルテの手記』、詩集『ドゥイノの悲歌』など。