雨の日に目についた秋の色。
街路樹でよく目にする南京櫨(ナンキンハゼ)が、葉の赤や緑との間で
白い実が揺れていた。
実は黒い殻が取れるとこのように白い実が出てくる。
実を集めて煮詰めると蝋が出来るのだそう。
先週行った町田ダリア園。
入り口の平地から丘のような斜面に沿って、多くの種類が植えられている。
まわりの緑に囲まれ、競うように咲くダリア。
黄色が鮮やかな「レモンカード」とサーモン色の「上総の舞」
「黒鹿毛」と、白にワイン色のしぼりが目を引く「ラブスペシャル」
白の細いはなびら「銀河」と、ねじれるような花びらの「神曲」
気温が上下する10月だが空は冴え、夕日の茜色がひときわ輝く。
ダリアが豊富に咲く季節でもある。
紅葉は山が見えない都会ではうれしい季節の彩り。秋の花を添えてみた。
使用した花材
ダリア、鶏頭、キイチゴの葉(紅葉)、バーゼリア、ユーカリ
きれいな色のアケビをみかけたので薔薇を添えてアレンジ。
アケビは中の種を除いて果肉を食べるが、中心に白いスジが見えると
割れて中が見えるように開いてくる。そこから開け実がアケビになった。
薔薇は赤と白の絞りが妖艶なイメージのフリューレット。
あざみのような花、オヤマボクチ(雄山火口)は焦げたような色に変化した。
周囲にムラサキシキブの実を散らして。
毎年今ごろになると出回るククミスは種類も多くなったが、
今回使用したのは、手前にあしらった薄黄色のふたつのイガイガがある実。
軽いのだが、茎がとても細くなんとか器の縁に止まってくれた。
使用した花材
ククミス、クレマチス(鉄線)、フォックスフェイス、ユーカリの実、ビバーナムの実、
てまり草、アジサイ。
今はお盆の中日。
場所によっては8月だが、店先に蓮が出ていたのでアレンジしてみた。
泥中から清らかに咲き出す蓮の花は、古代インドで清らかさの象徴とされてきた。
極楽浄土の世界に咲く最高峰の花が蓮の花。
お盆に蓮が使われるのは
「蓮のはなびらに乗って先祖が帰ってくる」といわれ
お盆の習慣が仏教に由来することから。
夏になるとお寺などで蓮が開いているのをよく見かける。
使用した花材
蓮、紫陽花、ブラックベリー、ギボウシの葉、キイチゴ、ナルコユリ、マウンテンミント
初夏になると霞のようにふわふわとしたけむり草が咲き出す。
咲くといっても花は小さく、その茎が少しずつ羽毛をつけて伸び、花が終わり、けむりのような姿になる。
別名はスモークツリー。
使用した花材
ダリア、菊、ピンクレースフラワー、アルストロメリア、けむり草、クレマチス、
ヒューケラ、イタリアンベリー、ユーカリ、
今までバラ園だった公園がリニューアルされ、
イギリス館のそばにある場所が色とりどりの草花に変わり
まさに花園のような公園になった。
(左)カンパニュラ (右)矢車草の間をダスティミラー(白妙草)が伸びて。
(左)ピンクのジキタリス (右)金平糖のようなカルミア
(左)白の露草 (右)草花の中に咲く赤い薔薇
(左)青いすじがきれいなペチュニア (右)シルバーのラムズイヤーのような巨大な葉
(左)赤い葉はヒューケラ (右)ジャーマンアイリス
この場所のすぐそばには港が広がる。
生まれ変わったイングリッシュガーデンの花々は
時間によって変わる光の中で汽笛の音を聞きながら咲いていた。
横浜へ出かけた際に薔薇を見てきた。
5月の公園は薔薇があふれんばかり。
(左)ツル・フラウ・カール・ドルシュキ
(左)人気のあるピエール・ロンサール
(左)バター・スコッチ (右)万葉
(左)ほのか (右)オレンジスプラッシュ
香りのある薔薇、香らなくとも姿を整えて咲く薔薇。
爛漫と咲く薔薇におぼれた詩人たちは薔薇の数よりも多い。
「春の花々を無駄に過ごさすまい。しおれない前に、バラの蕾の冠をかぶろう」
シェークスピア『知恵の書』より
外へ出て陽ざしの中を歩く。今はどこにも花が咲いている季節。
手入れをされている花や季節の到来で咲いた花など。
花壇の花と、白のハナミズキ
小さな黄色が愛らしいエニシダと、形がチャーミングなピンク系のパンジー
春になると出回るストック(中心の花)。
気品あるその香りから、改めて花のすばらしさをいつも感じる。
フリルのような花びらのトルコキキョウも白で飾って。
ストックはイギリスでは「十週間の花」、
フランスでは「四十日草」と呼ばれている。
花が咲く期間から名づけられたという。
使用した花
ストック、トルコキキョウ、ミニシンビジューム、宿根スイートピー、利休草
春になるとひときわ輝き出す黄色の花。
黄色の中でも、淡いクリーム色は心安らぐ思いを代弁しているかのようだ。
気温は一度暖かくなり、その後荒れた春ではあったが
ようやく空も土も暖かさを増していく。
使用した花
左 チューリップ、ラナンキュラス、ガーベラ、アルストロメリア、かすみ草、レモンリーフ
右 チューリップ、バラ、ヒヤシンス、カーネーションのはなびら、苔
(右の写真は過去の記事に載せたがカテゴリーの都合上こちらに再度UP)
芥川龍之介の小説『或日の大石内蔵助』に描かれる白梅は
内蔵助の穏やかな心情と、いいようのない寂しさに香る花として描かれている。
物語の冒頭はこうして始まる。
立てきった障子にはうららかな日の光がさして、嵯峨たる老木の梅の影が、何間かの明るみを、
右の端から左の端まで画のごとく鮮やかに領している。元浅野内匠頭家来、当時細川家にお預
かり中の大石内蔵助良雄は、その障子を後ろにして、端然と膝を重ねたまま、さっきから書見
に余念がない。
雪の討ち入りを果たし、細川家で公儀のご沙汰を待つある日、
内蔵助の心は良心の後ろめたさもなく、
行きつくところまで来た静かな気持ちでいた。
読書をする彼の後ろに梅はまるで絵画のように
大石の平安さとともにそのシルエットを浮かびあがらせている。
しかしその平安な気持ちは、細川家の家臣、堀内伝右衛門と赤穂の義士たちの
話から次第に苦々しいものになっていく。
町で流行り出した討ち入りの真似、心変わりをして脱落した赤穂の仲間への非難、
そして吉良を欺くために遊蕩した大石の見事さへの称賛…。
ここに至るまでの行動が内蔵助の胸によみがえって来る。
脱落した仲間の気持ちはわかり過ぎるほど自然なものであった。
何故我々を忠義の士とするためには、彼等を人畜生としなければならないのであろう。我々と
彼等との差は、存外大きなものではない。
遊蕩の時でも討ち入りの忘却の向こうで
三味線の音色、伽羅の匂い、花見の宴にゆらめく明かりとともに
こころを遊ばせたこともあった自分が
忠義のために苦しんだとされる後ろめたさと不快さが広がってくるのだ。
まだ話が続いている中、内蔵助はひとり座をはずし縁側にたたずむ。
やりきれない気持ちで見上げたそこに咲く白い梅。
冴え返る心の底へしみ透って来る寂しさは、この言いようのない寂しさは、いったいどこから
来るのであろう。――内蔵助は、青空に象嵌したような、堅く冷たい花を仰ぎながら、いつま
でもじっとたたずんでいた。
冒頭のうららかに咲く梅と、ラストの寂しさに冷たく映る梅。
大石内蔵助のこころの平安と翳りに梅を重ねあわせた芥川龍之介の短編だが
今はまさに梅の盛り。
ほのかにただよう梅の香りにこの作品を思い出した。