ら族の歳時記

「道が分かれていても人は幸せになる道を選ぶ能力がある。」
能力を信じ、心の安らぎの場を求めて、一歩一歩。

病院の天敵

2006-02-25 23:55:34 | Weblog
病院に天敵がいた。
Nさんという男性だ。
年齢は昭和一桁。

天敵化した理由は、かれこれ17年ほどまえ。
当時私は患者会の幹事をしていた。
その会長がおおざっぱで、
元会長としてNさんはそれが許せなかった。
元々細かく理屈っぽい性格がなおさら
細かくなった。
いっても無駄な会長を責めるより、
言いやすい私をめちゃくちゃ責めた。
当時まだ20歳代前半の私は
できるだけNさんに遭わないようにしていた。

しかし、Nさんがある日を境に
おとなしくなった。
理由・・・・
なんと父の中学の同級生だったのだ。
中学の頃、身体が大きかった父は
体力で人をねじ伏せていたらしい。
同窓会で遭遇して
「うちの娘と病院が一緒らしいな。
娘に役員をやらせるんじゃなく
おまえがやれ!

と脅したらしい。

それ以来、逆にNさんが私を避けるようになった。


時はたち、Nさんと父の力関係はかわってきた。
Nさんはマイペースながら常に自己の向上に努めた
逆に父は体力的衰えが気力の衰えに結びつき
とても悲観的な考えの持ち主に変わっていた。
表情も歩き方も半病人だった。

父の態度をみてか、Nさんは時より
「いくつになっても人は学ばないといけない
人生の師をもたなくてはいけない。
できないのならせめて本を読みなさい」と
私に諭すようになった。
親子同じ道を通らないようにさせたかったのか。

この頃から私はNさんから逃げようと思わなくなった
人生の師という意味がわかっていたから。
だから、私はNさんに「書道と始めた」と報告した。
「書はいい。自分のペースでできるから
一生続けなさい。そしていろいろな人の作品をみて
勉強しなさい」と励ましてくれた。


その後、父が倒れた。
頑丈な父が倒れたことはNさんも
「ショックだった」といった。

Nさんは心臓の手術を受けた。
退院したその日に塾の講師の仕事をした。
世間から離れたくないという焦りと
人の役に立ちたいという気持ちだったと思う。
しかし、この無理が祟って、
入院をしてしまった。

久しぶりにNさんの遭遇した。
Nさんは足取りが怪しくなっていた。
そして、車の運転も辞めたという。
確かに透析歴も長く、年齢も70歳を越えた。
人より老化が早いのは確かだ。
少し気弱になっていた。
でも、Nさんの話は煩わしいと思えず
じっくりと聞くことができた。
逆に大切な人に思えた。

やはりNさんにはいつまでも
向上心をもってなにごとにも
チャレンジしてもらいたいと思う。
もっとNさんからいろいろな話を
聞かせてもらいたい。
以前のような「天敵」と思えるくらい
うるさいNさんでいいから
「人生の師」として
私は導いてほしいと思う。

父の代わりにいつまでも
元気でいてほしい。
コメント (2)
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