ら族の歳時記

「道が分かれていても人は幸せになる道を選ぶ能力がある。」
能力を信じ、心の安らぎの場を求めて、一歩一歩。

体調不良

2013-10-31 22:18:27 | 身体のこと
胃腸の動きが悪い。

薬を替えたことによる副作用か???



実は意外なことが原因と分かった。



それは



身体の冷えだった。



ねていて「さむいな」と思う。
けれど、起きてみて背中が汗ばんでいると
あの寒さはなんだと思って
寒くても冬布団を出さずにがんばっていた。

けれど、起きても身体が冷えたという感じがあって
急きょ冬布団を使うようになったら
胃腸の不調は治った。
起きた時の背中の汗は同じくらい。

念のため、午前中は足首にサポーターを巻く。
なおさら調子が良い。


冷えは万病のもとですよ!!!!



毎年、冷えによる体調不良を経験していても
すぐにわからない私。。。。
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いくつになっても勉強できる

2013-10-29 22:03:29 | Weblog
一昔前は准看護学校がたくさんあった。

どういう経緯で准看護師という資格ができたかはしらないけれど
中卒で働きながら手に職をということで
病院に住み込みで働きながら学校に通って資格をとった。

そのうちに高校進学してから准看護師の学校に行く人が
大半を占めるようになった。

そして今、看護師不足と看護師に高度の知識をつけようということで、
看護学校がたくさんできたことで准看護学校は少なくなった。



一度、准看護師として働き始めると
正看護師の学校に行くには
働きながら学校にいくか、仕事を辞めて学校にいくしかなかった。
働きながらといっても最終学年は一年間ずっと実習になるので
最終学年の年は仕事を休職するか辞めるか
夜勤専門で働くなどの過酷な環境で過ごすことが多かった。

そのためずっと准看護師のままで働く人が多かった。

法律上は、准看護師は医師や正看護師の指示のもとで
動くことになるので、管理職になれないということや
給与面で低いというハンデーもあった。



なにげなく患者としては
「准看護師だから」と憐みの目でみることがある。
能力よりも学歴で昇格が決まるとことがあると
なおさらそう思う。

逆に准看護師が管理職になりトラブルが起きると
「准看護師が正看護師を使うのはむすかしいのか」と
またまた憐みの目でみてしまう。



で。。憐みの目でみていると
「なにいっているんですか。
 今はみんな正看護師の資格をもっていますよ」と
いわれてしまった。

平成16年の法改正で
准看護師の実務経験があると
2年間通信制の看護学校に在籍すると
国家試験をうけて、うかれば正看護師になれるように
なったというのだ。

この通信制の看護学校の実習は
数日間で終わるので仕事を辞めなくても大丈夫だという。
それでこぞって学校に通い資格をとったというのだ。

学校のレポートのレベルはわからない。
でも、そのあとに待ち構える国家試験は
全日制の看護学校に行っている人も受ける。
そのレベルについていくために猛勉強が必要になる。


40歳や50歳過ぎて
資格試験のチャレンジしたのだ。



すごい!
全日制の看護学校にいっていても国家試験に落ちる人は落ちる。
それを突破したのだ。


そして、
「いくつになっても
がんばれるんだからね。
透析中の時間を無駄にしちゃいけない。
さあ。何の勉強をするかね???」

と追求を受けてしまった。

試験を突破した人は強い。。。。。。。。。


何を勉強しようか。。。。。。。。。。。。





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へろへろ

2013-10-26 21:40:50 | 仕事のこと
いろいろトラブル発生で
つかれてゲームに走っているら族です。

安定剤を使って眠るよりはいいかな???




エクセルのデータからいろいろ分析するとき
やりかたはいろいろあると思う。
オーソドックスな方法といえば、
オートフィルターを使う方法。
しかし、これは同時に結果を表示できないという
デメリットがある。

ら族は並び替えと集計を使い
まとめて結果を見ることとができる
合計も平均も最大値も最小値も。

ある日、課長に頼まれて
エクセルのデータから表を作ることに。
あまりに入力漏れが多くて
平均値が出せなかったので
たのまれてもいない最大値と最小値まで出した。
所要時間一日半


しかし、
課長がオートフィルターでデータの抽出をしたまま
ファイルを渡してくれて
それに気付かないでデータをまとめた私。
フィルターで抽出したままだと隠れたデータは
隠れたままになってしまう。
そのまままとめてしまったので。。。。
全体数が違う。
私の努力は無駄



ほかにもいろいろありまして、
印刷を頼まれて1500枚もコピーをとったら
「右半分不要なんだわ。
再印刷はもったいないからカットして」
と。
A3をA4にカットしました。
最初に「いらない」といって渡してくれればいいのに、
「サーバーから○○○を出して印刷して」だからね。。


あと、課長のいわれたことをやっていたら
「うまくいかないから」と主任が新しいやりかたの指示をくれた。
しかし、それもうまくまわっていかない。
よくよく聞くと、
課長の指示で主任が動いたわけでもなく、
主任の指示が全員に伝わっていたわけでもなく。。



他にも書類の作成を頼まれて
見積書の形式が古くて新しい見積書を業者に依頼待ちで
動けないのに
「なんで書類をつくらない」と他の課の課長に追求を受けたり。
これはうちの主任の仕事のまるなげ。。


まだまだある。

「いいじゃん。書類を作り直して印をおせばいい。
 そんなことでうだうだいううな」
書類が何枚もあることっておかしくない????



とにかく課長と主任、課長と課員、主任と課員の
コミュニケーションがない。



そして是正・改善するという考えや
マニュアルを作って誰にでもできる仕事にするという考えが
うちの会社にはない。

すべて口頭だけ。


やりなおしや振り回されるこちに疲れた。

仕事辞めるかも。。。
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今日の出来事

2013-10-22 22:19:59 | 仕事のこと
仕事で人の作ったパワーポイントの資料を
手直しすることになった。

課長が前の支店で使っていたものを
こちらの支店の今年度版のデータに替えるのだ。


グラフが何枚かついていた。
これを今年度の数値に替えるのだけれど、
作り方が違った。

グラフの元データを直しても
グラフに反映されない。
おかしいと思ってみてわかった。

作った人はエクセルの一枚のシートに
すべての元データをグラフを貼っていた。

そしてグラフは、改めてグラフシートのコピーして
それをパワーポイントに貼っていた。

だからエクセルの元データを直しても
パワーポイントには反映されなかったのだ。

私は、グラフごとにエクセルのシートを作り、
そしてグラフはグラフシートに作って
それをパワーポイントに貼っていた。


こういう作り方もあるんだと思う反面、
きっとなにかメリットがあるんだろうなと思う。

最初、それがわからなくて四苦八苦。
周りの席の人に聞いても見ても、
だれもパワーポイントはできないという。

なおさら焦った。


課長は、もし私ができなかったら
前にいた部署に「外注」に出すしかなかったと言った。
それを聞いて思わず
「かっこわるい!」といってしまったけれど、
そんなに世間ではパワーポイントができることが
めずらしいのか。


前の会社では当たり前のようにやっていた仕事。
それで世間では当たり前ではなかったことに
ちょっとショック。

また、前の会社で身に付けたことが
役だったことにちょっとラッキーと思う。


でも、このパワーポイントを直す仕事は楽しかった。
パワーポイントでプレゼン資料を作る仕事が
やっぱり向いているのかな???
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一年

2013-10-19 23:32:55 | 腎臓がん
腎臓がんの手術から一年が経ちました。

はやかったような、「まだ一年」という感じです。

傷口がまだ腫れていて、
保護を兼ねてドレニゾンテープを貼っています。。。



幸い、雨の日に傷口が傷むようなこともなく。

ただときどき違和感はあります。




腎臓がん発見の原因となった膵臓と胆のうのエコー検査の
結果を聞きに行ってきました。

特に問題なしで一年後に再度検査です。
ただ、体調に変化ができたり、CT検査で異常が出たら
すぐにきてくださいということでした。




最近、検査で通院していて思ったことは
家族連れが多くなったということ。

おじいちゃんが車いすにのっていて、
おばあちゃん、息子、嫁がいっしょにきていて
いっしょに診察室に入って行った。

おじいちゃんの日々の健康管理を
おばあちゃんと娘がしているということでしょうか。
おばあちゃんもトシであやしいから嫁がメインとか。


こういうのはまだ理解できないこともないけれど、
お母さんと息子夫婦(娘夫婦かも)という組み合わせを
よく見かけます。
お母さんは50歳代後半、息子たちは30歳前後。
この組み合わせはだれが病人なのかわかりません。

ずっとお母さんと嫁(娘)としゃべりまくり、
しゃべっていないときはケータイでおしゃべり。
(中待合室はケータイは禁止ですけれどね)
だいたい、この組み合わせはしゃべりっぱなしです。

なぜ3人でこなくてはいけないのか理由が不明。
それも平日にね。
待ち時間が長くて暇だから話し相手をということか。


今日の3人連れにいたっては、
ケータイとおしゃべりはもちろんのこと。
息子はおなかがすいたのかカールとコーラを食していました。
内科の中待合。
吐き気がしている人もいたと思う。
そんな匂いの強いものを食べるなんて。。

病院はレジャーの場ではありません。
できるだけ少人数でくるべきところだと思うのです。
まして、ひまだからと家族としゃべりまくり、
中待合室で飲食するなんて問題外です。


近年、お年寄りにつきそう家族が増えました。
そして諸事情により家族で行動する患者も増えて、
中待合室によばれても
座ることができないことが多くなりました。
病院を建てた時の中待合室で待つ人の人数の想定が
変わったということだと思いますが。

座れないのはちょっとつらい。。

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透析中の爆睡

2013-10-17 22:06:16 | 身体のこと

仕事を始めたころは興奮していて
睡眠時間が少なくても大丈夫だった。

5月頃は、昼休みにうたた寝しないと体がきつかった。




今。

生活リズムが確立した。



透析中、爆睡する


非透析日は透析で寝ている時間は眠くてたまらないけれど
23時ごろは目がギラギラ。
0時頃お布団に入る。
朝は6時半前に目が開いて、
ケータイ目覚ましがなるまでお布団でうとうとうと。
(ケータイ目覚ましを20分も停めては鳴らしてはいかがなものか。。)

透析日は1時半ごろまでに寝る。




透析中の爆睡。

血圧が80前後になってしまう

爆睡といっても、スタッフが
「ら族さん」と声をかけると目を開けて会話が可能。

でもすぐ眠りに落ちる。




2時間目チェック。
爆睡中。

「気持ちよく寝ているけれど
 血圧下がっても知らないからね」

と受け持ちナースのつぶやき。

しっかり目を開けて
「ごめんよ。爆睡しちゃった。
 でももう少し寝たい」
と返す。



爆睡中って、周りのアラームの音さえ聞こえない。
でも、自分に関することに対しては反応する。


3時間目チェック。
血圧の測定つき。

「血圧が触診で80しかありません。
 どうしましょうかね」
と一応、聞いてくれる。

最近は、血圧80であろうと、
慌てふためいて生食をいれるスタッフはいなくなった。
「どうする?」と必ず聞いてくれる。


「爆睡していたから、大丈夫。
 起きます」

この一言で下がっていくスタッフ。


爆睡=血圧降下
血圧80ぐらい目が覚めればあがっていくから
放置しても大丈夫


という公式が出来上がってしまった。



時に、3時間目チェック後も寝通して
4時間目の血圧80ってこともある。
そうなるとこの時点で目覚めても、
血圧があがることはない。
血圧をコントロールするところが
完全に眠ってしまっている。
あがるどころか下がっていくことさえもある。

生食をいれて、除水を止めて
終了までそのまま透析をするしかない。



でも、この爆睡。
帰宅後もすぐに眠れるので
日々身体が楽で助かっています。
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訃報

2013-10-15 21:47:43 | Weblog
新聞の訃報欄に
大学時代の指導教官の訃報を見つける。

学生時代、他の教官が
「大学教授は全員、新聞の訃報欄に出る」といっていたが、
時代は替わり、大学の乱立で教授も増えて
業績を残した人しか出られなくなったようだ。

訃報が多かったり、社会面の記事が多かったりすると
新聞社の判断で出なかったり。
夕刊にでてしまうと朝刊には出られなかったり。

必ずしも目に入るものではなくなったようだ。



訃報で先生の年齢を初めて知る。
また、自宅も転居されていたことを知る。

お花を贈ろうとかと考えたけれど
正確な住所がわからないため断念する。



私たちは学科の一期生。
客寄せパンダ的に著名な先生をスカウトしてきた。
スカウトといっても木曜日の午後から土曜日までの
週末しかいなかった。
週の初めは関東、関西の大学で仕事をしていた。

歴代こういうやり方で学科ができたときに教授陣を集め、
何人かはこのまま大学に専任で残ってきたようだけれど、
我が指導教官は、保守的な大学のやり方をひたすら批判した。
講義にきたのに休講にさせられて、
近隣の高校へ大学のPRに連れて行かれたり、
講演をさせられたりした。

当時、私の通っていた大学は
図書館が1時時限が始まらないと開かず、
4時限目が終わる前にしまっていた。
勉強をさせる風土ができていないと
他にもいろいろ抗議した。

けれど、大学のやり方は変わる気配はなくて、
指導教官は私たちが四回生になると
他の新設の大学の教授になった。
そして私たちが卒業とともに退職すると宣言した。
(その新設の大学では名誉教授になるまで勤められた)


卒業後、指導教官は大学の同窓会に来ることもなかった。
ゼミや学科の同窓会については、
リーダーシップのとれて面倒見の良い人がいないため
開催は皆無に至っている。



そして卒業後、指導教官に一度も会うこともなく
手紙のやり取りをすることもなく終わった。



指導教官は褒めて伸ばしてくれる人だった。
叱られたことは一度もなかった。
(あきられたことはある)

病気でめちゃくちゃにマイナス思考の私を
いつも褒めてくれた。


指導教官の褒めてくれたところを長所として
大切にしていたら、
私の人生も変わったかも。。


いつから先生のことを忘れてしまっていたんだろう。


先生、いまから遅いけれど
先生に褒めたられたことを大切にして
自信をもって伸ばしていくね。
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ドラマをみて

2013-10-13 23:16:13 | Weblog
ねじれた絆~赤ちゃんの取り違え事件 真実の42年
2013年10月11日(金) 21時よりフジテレビ系列放送

実際に沖縄であった赤ちゃんの取り違え事件を
ある雑誌記者が取材にして本にしたもののドラマ化。
ドラマでは創作部分があるとのことです。

本は、福山雅治主演の「そして父になる」と参考文献になっております。



ネタバレありのあらすじ&感想です。



昭和46年に二人の女の赤ちゃんは生まれる。
一人は美由紀ちゃん。
美由紀ちゃんはクレーン運転手の父親と教育熱心な母親スミ子との間に
二人姉弟の長女として生まれる。


もう一人は初美ちゃん。
初美ちゃんは塗装工(板金工だったかも?)の父親と母親公子との間に
四人姉妹の長女として生まれる。
初美の両親は、貧乏であり字の読み書きがあまりできなかったらしい。


美由紀ちゃんの両親は、
美由紀ちゃんが幼稚園から渡された健康診断の結果に不審を抱く。
美由紀ちゃんの血液型はA型となっていた。
0型とB型の親からA型の子は生まれない。
また、産まれたときの血液検査の結果はB型だった。


産院の調査により、美由紀ちゃんと初美ちゃんは
産院で沐浴の時に取り違えられたことがわかる。
当時は、リストバンドをつけていたが、
材質が悪いため、沐浴時に外されることが多かった。
その後のつけ間違いにより取り違えが発生したのだった。

全国で報告されているだけで32件。
実際には報告されていない事例、気がつかなかった事例は
その10倍は取り違えがあったといわれている。



病院側は、実の子を育てるべきだという。
親としては、今まで育てた子を手放すつもりはないと思う。

しかし、ひと目みたいという思いがあり、
会ってみると自分に似ていて動揺してしまう。

親戚の意見は実子を育てるべきという。


そんなときに、雑誌記者の紹介で
子供を取り換えた親に会う。
小学3年生で取り換えて9ヶ月。
子供は育ての親に会いたいとは言わない。
子供には適応能力があるから大丈夫
という「報告」を受ける。

取り換えすることが決まった。


家族で遊んだりお泊りを繰り返して
小学校入学前に取り替えを行う。



初美ちゃんは、名前を真奈美と改めた。

真奈美は学校で名前を書く時
名前を書こうとはしなかった。

それは真奈美という名前を拒絶したわけではなく
単に文字を知らなかった。
ひらがなを書くという教育を受けていなかった。

教育はおろかしつけも教わっていなかった。
靴を脱いだらそろえるということ、
お箸の持ち方さえも教えられていなかったのだ。



一方、美由紀は、
ろくに字も書けない読めない親、
握り箸でごはんをかきこむ食べ方をする妹たち、
一人の時間もなく、それでいて放任の生活になじめなかった。

公衆電話から育ての親のスミ子に
学校であったことを報告することが日課となっていた。

いつまでたっても、自分のことを「おばさん」としか
呼ばない美由紀に弘子はいらだちを感じていた。

ついに美由紀と弘子は衝突して、
美由紀はバスを乗り継いで、スミ子の所へ帰ってしまう。


スミ子は、弘子の家の隣が空き家と知りそこに引っ越すことに。
両方の子供の顔がみられるようにとの配慮だったが、
美由紀はスミ子の家に入り浸る。


二人は同じ小学校、中学校に進む。

劣等感があった美由紀はひたすら真奈美と張り合おうとするが
いつも負けていた。
学力も体力もすべて真奈美の方が上だった。


中学三年生、進路を決める時
美由紀は進学したかったが自分の家の経済事情で
進学をあきらめるつもりだった。

そんなとき
「学がないことで苦しんだ両親だからこそ
 進学の大切さがわかっている」という
真奈美のアドバイスで、美由紀は初めて親に頭を下げる。


高校進学、卒業後、美由紀は東京で働くことに。



スミ子はいう
「子供を交換したことは後悔していない。
 最初から交換するつもりだった。
 ただ、取り違いにより美由紀に会えてよかった」と。



数年後、雑誌記者が沖縄を訪ねた時、
美由紀は真奈美の父の会社で働いていた。
真奈美は結婚して2児の母になっていた。


そして今年、美由紀が結婚することに。
入籍だけで式をあげていなかった真奈美と
いっしょに結婚式をあげた。

式場からみえる虹が二人を祝福していた。


今、美由紀(真奈美だったかも)は
夫の仕事の都合で福島(これも自信がない)にいて、
とどどきスマホのカメラ機能を使って
父親と話をするようになっていた。




という話です。
現在についてのあたりは透析の終了と重なっており
しっかりみていないのでかなり自信がありません。



ただ言えるということは
子供の順応能力です。

取り換え前にあった夫婦は
「子供は適応能力が高い」といっていた。

真奈美ちゃんは確かに高かった。
早く親になじんだ。

けれど、美由紀ちゃんはいつまで家族に
なじむことができなかった。

すべての子供に対して適応能力が高いわけではないようです。


実際、取り換えた後は、連絡を取り合わない。
遠方に引っ越してしまう親が多かったと聞きます。

もし、子どもが育ての親に会いたがっても
会えない環境を作り、順応させてしまおうということでしょうか。


福山雅治の映画は「そして父になる」のとおり、
父性を得るための話でした。
だから、美談的に終わっている。


けれど、弘子の苦しみは、すごかったと思います。
母性は女なら必ずあるものではない。
どんなにがんばっても子供と接することが苦手な人や
家事が苦手な人もいる。
なのに、育ての母と比較されて「おばさん」としか呼ばれない、
母と認めてもらえない苦しみは想像を絶するものがあります。

そして、そんな親もとへ送られた美由紀の納得できない思い。
生まれながらであれば、それなりにあきらめもつくことがあったと思う。

決して美談では済まされない話だと思います。

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そして父になる

2013-10-10 21:58:36 | 本を読みました


福山雅治主演の映画の小説版です。

あらすじ
容姿端麗、そして高学歴で大企業のエリート社員の良多。
課題を克服していくことが好きで、
土日も朝早くから夜遅くまで仕事するのが苦ではなかった。
そして、自分の選択がいつも正しいと信じていた。

一人息子の慶多のお受験面接。
この面接のために仕事を抜けることさえ
なんとか時間を作るという状態であり、
子供と一緒に入お風呂に入ったことは数回のみで
遊びに連れて行ったことがないような生活だった。

そんな中、産院の看護師の悪意による
赤ちゃんの取り違いにより
慶多が自分の子ではないことを知る。

病院の側の
「みなさん血のつながりをとって交換します」
のアドバイスに従い子供の交換を決意する。

子供を交換したところ、
優しく消極的で従順な慶多に対して
実子の琉晴は、頑固でガサツな子供だった。

そして血筋とはなにか
育ての親の愛情とはなにかと考えるのであった。








ネタバレを含んだ感想です。


今は病院では取り違いが起きないように
リストバンドをつけます。

でも、これって再発行もできるし、
やはり現代においても同じような事件はあり得ると思いました。

私が手術をした時も、
手術前には右手につけてあったリストバンドが
左手に替わっていました。

透析の時に
「左では危険」ということでカットして
新しいものを発行してもらい右手につけ直しました。

意識があるから変化がわかる。
意識がなかったり、赤ちゃんだったら
取り違いは充分あり得ると思うのです。
リストバンドも完ぺきではないのです。



私が小さかった頃は子供の取り違いを扱った漫画が
いくつもありました。

社会問題だったんでしょう。



赤石路代さんの漫画での取り違いは衝撃的でした。
ある著名な音楽家の子供が生まれます。
この産院では産まれて一日は保育器にいれることに
なっていましたが、
保育器の故障により酸素が大量に出てしまい
赤ちゃんは失明してしまいます。
そして産院は世間からの注目を浴びているため、
事故を隠すために他の赤ちゃんとすり替えるのです。
やはり音楽家の実の子は音楽の才能に目覚めてしまうのです。

あとドラマですが、
授乳中にお母さんはうたた寝をしてしまい
赤ちゃんをおっぱいで窒息死させてしまいます。
とりみだしたお母さんは、看護師を買収して
他の赤ちゃんと取り替えてもらうのものもありました。


もっともここだけが印象に残り
話を終わりを覚えてはいません。

両方とも取り換えられる話ではないし。。。。
けれど、意図的には現在でも取り違いはあり得ると思います。



良多は、子どもを交換をしたころ
閑職に追いやられます。

必然的に子供と接する時間が増えるけれど
乱暴な(元気な?)琉晴の相手をするのが苦痛で
「仕事」といって書斎に閉じこもります。

琉晴は元の家族が恋しくて家出してしまいます。

そんな琉晴の姿をみて、
良多は自分の小さかった頃のことや
嫌悪している父親の姿を思い出します。
良多も継母になじめずに実母の元へ家出していたのです。
また、父はそんな良多をたくさん殴りました。

良多は、琉晴が自分に似ていて、
自分は嫌悪している父に似ていることに気がつきます。
そして、血がつながっていなくても
愛があれば親子になれることに気がつきます。
逆に血縁だけではどうにもならないということに気がつきます。

良多は琉晴と遊ぶようになります。
琉晴も良多のことを父と認め
「おとうさん」と呼ぶようになります。

ある日、琉晴は本音をいいます。
「おとうさん、おかあさんの所に帰りたい」と。

交換は終わります。
しかし、今度は、慶多が反発してしまいます。
そして良多は初めて慶多に自分の気持ちを話すのでした。



「父になる」
良多は子供にしかるべき教育を与えるのが父の役目と
思っていました。
そのために仕事に没頭することがあるべき姿と思っていました。

しかし、いろいろなことから
本当に父親としてしなくてはいけないことに気付き
「父親になった」のでした。



私は良多の生き方がかっこいいと思い読んでいました。
けれどもそれは良多自身が自分に自己陶酔しているだけで
だれも幸せにすることができないとわかりました。

血縁があってもなくても
子供に親の価値観を押し付けるのでなく
子供との対話によって子供が成長し
子供が自分の人生を歩んでいく。
そんな子育てが必要なんだと。。

いろいろな人に読んでもらいたい本です。
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辛口のゲーム

2013-10-08 20:54:31 | Weblog
最近、仕事がうまくいかない時に
ふとこの曲のメロディーラインが頭に浮かんできます。

そしてこの曲のノリを使い、現状から脱出をはかる。






辛口のゲーム



知る人ぞ知る雅夢(ガム)

wikipediaでは
「三浦の作り出す詩(うた)については、
 音楽評論家から『叙情詩人』として評価されている。」
と書かれていますが、
雅夢の中期頃からは他の人が作詞をしています。

雅夢のライバルであって友人であるチャゲ&飛鳥(あえて当時の表記です)は
フォークソングデュオからニューミュージックアーティストになったように
事務所や周囲がそれを願い、
三浦和人の作詞では売れないということで
他の人の作詞の詩を歌うことになったような気がします。

三浦さんは純情すぎたんでしょうね。


私は三浦さんのメロディーラインと声が好きですけれど。


この曲の作詞は、秋元康さんです。

そしてこの曲は雅夢の最後から二番目のシングルです。
「うれっこの秋元康で売れんかったら解散だ」
ということで秋元康さんにかけたのかも。。。


この曲はめずらしく既婚女性が不倫する曲なんですよね。
他に既婚女性が不倫する曲ってあります??


歌詞はどうであれ、
メロディーラインと声はいいです^^


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最近の睡眠事情

2013-10-06 18:09:06 | 身体のこと
最近は寝付きはいいけれど、
5時間ぐらい寝ると目が覚めてしまうという日々です。


そんななか仕事で失敗してしまい
透析中もおちつかない。

透析から帰って安定剤を1錠飲んでしまいました。
日付変更線をまたいでいるのに。
普段でも半錠のんでも翌日残るのに
そんな遅い時間に。

すぐに寝付けましたが朝5時半ごろに目が開いて
そのごうとうと。

会社でも全然眠くなく。

いかに興奮状態だったかわかる事例です。


その反動が週末に出て寝だるいのです。


平日はずっと興奮状態なのかも。。
昼休みも眠くないし。。。



週末なにもできないってやばいです。。。
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10月

2013-10-03 22:52:57 | 仕事のこと
課長がネクタイしている。
出張かと思う。

実態は
10月になった。
クールビズ完了

だけ。

男性陣はみなネクタイをしていて
できる人に見えるところが不思議。
(例外的に胡散臭い雰囲気を醸し出しているいる人もいる)

そして、上着を着る人も。


そうすると身体に熱がこもるのか
冷房の温度を下げてくれる

寒いのなんのって。



暦にとらわれない服装をしてほしいものです。。。。。。
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