山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

森美術館「建築の日本展」

2018-05-23 23:42:46 | 美術・美術館
これに行ったのは5月9日のこと。
もうすっかり日にちが経ってしまって、記憶が薄れました。

とにかく、行ったということだけ記録しておこう。

六本木。地下鉄から地上に上がると、こんなだった。





この日は雨のちくもり。



六本木ヒルズ。

どこから入るんじゃ~ うろうろする。



ああ、ここですね。

・・・・・・・・・・・・・・・

ところで、美術館の中では、撮影可能なものもあり、撮影してきたのですが、
クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの許諾とかで
ブログ等に載せる場合は、表示方法が決まっているそうです。
そして、作者や作品名も明記しないといけないそうですが、
それがよくわからないので、
ブログに載せることはできません。

残念なり。

・・・・・・・・・・・・・・・

パンフレットもどっかにやっちゃったので、
地下鉄の通路で見かけた看板の写真だけ載せとこう。



・・・・・・・・・・・・・・・・

日本の建築については、ちょっと前に国立近代美術館の展示を見に行き、それとの共通点も結構あった。

自然との融合というか、日光や風を取り入れて快適な空間を作る。

そういう建築が世界でも注目されているのかな。

それから、色々な建築が展示されていて、それはもうたくさんで、終わりのほうは疲れはててしまったのだけど、

木造の古来の建築や、最近の建築物や、
有名な建築家の作品など、興味深かった。

建築って好きだ。

丹下健三って人は、やはりすごい人なんだなと思った。

昔の木造の寺院等も見に行きたいけど、最近の新しい建造物も実物を見てみたい。

そして、もし自分が、今後、家屋などを建てる機会があったとしたら、
ちょっと素敵な家が建てたいと思う。

小さくてもよいから、自然の風や光が通って、すごしやすい空間で、
造形もきれいな建物空間に憧れる。

建築の勉強したいなあ~~

・・・・・・・・・・・・・・・・

森美術館のあとは、屋内展望台を見てきた。



東京タワーと周囲の建物が模型みたい。
いやいや、模型が現実みたいに作ってあるのだから、これが現実。



見降ろすときれいだった。

この日、迎賓館の方向は見られなくなっていた。日中韓首脳会議があったからだと思う。



展望台の中の風景。

森美術館、展望台も見られるし、なかなかいい。



地上に戻る。

蜘蛛のオブジェ。

色がついてる。 以前はこんな色ついてなかったよね。



こりゃ何?

建築・・・10月までやってるので、もう一度行こうかな。



 
 

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忘れた頃の放送大学

2018-05-22 23:17:59 | 放送大学
今学期もいつの間にか、課題提出期間が近づいている。
5月24日から6月7日である。

こうなると、6月7日までかと思ってしまうわけだけど、それまでに必着させるには、前もって勉強しなくてはならない。

しかも、例年通り、ほとんど手をつけてないのだから、
あわてて勉強しなくては・・・

そんなわけで、2科目履修しているうちの、1科目の放送授業を初めて2コマ視聴してみた。
なかなか面白いではないか。

もう1科目は、3コマくらい、音だけ聴いたことがあるけど、ほとんど覚えていない。

教科書は、何も読んでいない。

1科目はマークシートだと思っていたら記述式だということがわかり、郵便で送らないといけないことに気づいた。

お尻に火がつく・・・ いや、火をつけないと・・・

・・・・・・・・・・・・

近頃、放送大学からうちに電話がかかってきているようである。
(何度かけてくださっても、昼間はいません。)

いったい何の用事だろうと思うが、それについてネットで検索などすると、
勉強は順調に進んでいるか? 困ったことはないか? などと心配(?)して、教務の人かなんかがかけてくださっているらしい。

いやいや
困ったことがあります。

何も覚えられないんです。
集中力もなく、記憶力もなく、忍耐力もなく、
モチベーションもなく、気力もなく、意欲もなく、
やる気もなく、

しかし、そんなことは自分の責任なんで、

自分でなんとかするしかありません。

誰が心配してくれても意味がありません。

なんで、こんなふうになっちゃったか、

トシのせいだろ。

老化との戦いだよ。

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モリのいる場所

2018-05-21 23:32:05 | テレビドラマ・映画
先週末は、映画ざんまいでした。

金曜日 のみとり侍
土曜日 妻よ薔薇のように 家族はつらいよⅢ (自宅テレビにて)
日曜日 モリのいる場所

どれも夫と一緒に見たのですが、その中で私が見たくて見にいったのは、「モリのいる場所」でした。
これは、画家、熊谷守一のことを描いた映画だからです。

熊谷守一は、年を取ってからは、30年も自宅の庭以外には外出することなく、庭にいる生物や植物を眺め、それらを描いてすごしたとのことです。
この映画を見るまでは、そのような生活と、そこからどんな作品が生まれたかがわかるような映画に違いないと思っていました。

うちの夫は、絵画のことはまるでわからず、好きでもないのですが、もしこの映画を見たら少しは熊谷守一の絵画に関心を持ってくれるかなと思いました。

この映画、庭の生物を描く映像は本当にすばらしかったです。
虫や魚など、よく撮ったものだと思いました。

そして、モリと奥さんと娘さんと、この家族を取り巻く訪問者とのやりとり、生活も面白かったです。

ただ、1つ、残念なのは、モリがスケッチなどをする場面が全くなかったことです。

庭で生物を見てスケッチなどはしなかったのでょうか?
また、庭でないにしても、創作風景は欲しかったなと思います。(自室に閉じこもって描いていて誰にも見せなかったから?)

完成した色々な作品が、映画の中に写っていないのも残念でした。

ああやって、庭で蟻や魚や蝶や花を見て、できた作品がこれだって、わかったらよかった。

というのも、夫は熊谷守一の絵を知らないので、何がなんだかわからなかったらしいです。

老人夫婦の生活を描いたのかとしか思えないそうです。

映画では、老人の生活を、ずいぶんと呑気そうに描いていましたが、若いころに子どもを亡くしたことや、貧しい生活だったことなど、まったくわかりません。

どのように絵を工夫して描いたなどもわかりません。

熊谷守一の伝記みたいなのを期待していた私が的外れだったわけですが、この映画の意図するものは何だったのでしょう。

あの自然がいっぱいの小さな世界に暮らす異次元の家族。
世間とは時間の流れ方が違う。
熊谷にとっての「絵」というものを、意図して外して描いたんでしょうか。

絵を描くために生物を観察していたのではないのかな?

・・・・・・・・・

以前、熊谷守一の大きなカレンダーが家にあり、私は終わった月の絵を大切に取っておいたのですが、あるとき、夫が月変わりにカレンダーをやぶいて、ぐちゃぐちゃに折り曲げてゴミ箱に捨ててしまいました。

あの絵は、モリがこうやって描いた絵なんだからね。
それがわかったら捨てるなんて思わないよね。

そういうことが、映画を見たら夫に分かってもらえると思っていたのだけど、
残念ながら、熊谷守一の絵と「モリのいる場所」が夫にとってはつながってくれなかった。

94歳 画家





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念願のタルト

2018-05-21 21:24:40 | 日記2018


結構高いので、いままで、なかなか買う決断がつかなかった。

それを思いきって購入。

680円+消費税=734円 ×2個 


家に帰ってきて見ると、意外に小さい。



な~んだ、こんなもんか って感じ。

まあ、おいしかったですけどね。

それほど甘すぎず、あっという間に食べてしまいました。

他にも、色々な種類があり、もっとおいしそうなのは、税抜きで700円を超えているので、
安いのにしました。

生チョコとクルミとイチゴの載ってるのとか、
メロンやいろんなフルーツが載ってるのとか、
そんなのもおいしそうだったなあ~~

ごく、たまには買ってもいいかな。

実は今日のタイトルは「ストレス解消」っていうのにしようと思ってたんだ。

やけ食い・・・ってわけでもないですけどね。

アラカンにもはや、出世なし。

自業自得です。

せめて、おいしい物でも、思うだけ食べようじゃないの。



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ヴィヴァルディ:アジタータ・インフィド・フラトゥ

2018-05-20 01:25:49 | 音楽
Vivaldi - Agitata infido flatu from Juditha triumphans (Nathalie Stutzmann)


ナタリー・シュトゥッツマンさん

先日、紀尾井ホールでも歌った曲

激しくて、かっこいい!
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ナタリーシュトゥッツマン&オルフェオ55(3)

2018-05-20 01:01:47 | 音楽
公演のあと、ロビーでサイン会が開催されるということで、せっかくなので買ったCDにサインをしていただくことにしました。

実は、ちょうど1年前に、トッパンホールでナタリーシュトゥッツマンの歌を聴きに行きました。それはピアノ伴奏のシューベルトの歌曲でした。弦楽と歌の公演もあったのですが、チケットが売り切れてしまい、ピアノ伴奏のほうに行きました。
そのときは、CDも買わなかったし、公演後はすぐに帰ってしまいました。

しかし、それは大きなチャンスを逃してしまったなと思っていたのです。今度チャンスがあれば、せっかく同時代に生きていて、同じ時と場所を共有しているのですから、本人に目の前でサインをしていただけたら嬉しいと思いました。

どこでやるのかなとボヤボヤしていて、気がつくと、もう100人は軽く超えるほどの、ものすごい長い列ができていました。
その最後に並びました。その後からもさらに人が並びました。

サインは買ったCDのどこかにしてもらうので、それぞれに希望の場所を決めますが、大部分の人はCD本体にサインをしてもらっていました。
私はちょっと変わり者で、CDの中にある冊子のページを開いてシュトゥッツマンとオルフェオ55の写真が載っているページにサインをしていただくことにしました。

長い列になっていましたが、どんどん進んだので、それほど待ちませんでした。

サインの列にならんでいるときに、近くにいた人と話をしました。
最初はCDのパッケージが開けられなくて困っていたら、そばにいた若い女性が開けてくださいました。
そんなことから、2列に並んだ隣の人と後ろの2人の計4人(女性)でナタリー・シュトゥッツマンの話をすることになりました。
どの人も連れはいなくて1人できていました。そのうち2人の方は、都内ではなく、遠くの県から来ていたので驚きました。
そして、驚くべきは、私と同じように日々、ユーチューブを聴いているのだそうです。
やはりナタリー・シュトゥッツマンの歌声が抜群なので、その虜になり、ユーチューブを見るとついつい時間が経ってしまうのだそうです。
そして、昨年、セイジ・オザワ松本フェスティバルのシュトゥッツマンの公演にも目をつけていましたが、チケットが手に入らなかったなど、考えることが同じなのでした。

どの方も、私とは違いクラシック音楽に詳しくて、日頃から別の音楽家の演奏などにも精通しているようでした。コーラスや声楽を勉強している人もいました。

ナタリー・シュトゥッツマンの公演を目指して、かなり遠くからでもやってくるというのは、クラシックの世界にも「追っかけ」というものが存在することを知りました。
とはいえ、もしかしたら、自分もその一人なのかもしれません。

娘が、ある映画の試写会で知り合った人たちと友達になり、その後も付き合いを続けているということを聞いたことがありますが、そういうことは大いにあるもんだと実感しました。

1人のアーティストについて、自分と同じように関心を持ち、魅力に取りつかれている人間が存在すれば、そのつながりで仲良くなるのも当然です。

特に名前や連絡先を教え合ったりはしませんでしたが、もしかしたら、今後もまた音楽を通して再会するかもしれません。そういうことで、偶然に何度も合うことがあれば、どんどん親しくなって行くのも自然です。

同じような趣味の人に出会ったことは、驚きでもあり、自分が変わり者ではないということも判明しました。
しかし、それと同時に、自分のクラシック音楽に対する無知さ加減も痛感することになり、もっと勉強しないといけないなと思いました。

あ、話題がそれましたが、そうこうするうちに順番が巡ってきて、ナタリーシュトッツマンさんの座っている机の前に立ち、サインを書いてもらうべく冊子のページを開いて指差しました。
サインは「Nathalie」だけ書いているのかな?だから早いのですね。



日本語だけしかしゃべれないので「ありがとうございました」と言ってシュトゥッツマンさんの目を見ると、こちらの目をしっかり見て笑顔を返してくださいました。

本当に素敵な人です。

サインをもらっている人々は大部分女性だったように思います。
シュトゥッツマンのファンは、女性の方が多いようです。
男性はやはり女性らしい華やかな歌手の方が好きなのでしょうか?
シュトゥッツマンは中性的で、服装も地味ですが、容姿もきれいで本当にかっこいいです。

演奏中、私の隣の席に座っていた男性は、終始プログラムを見つめて聴いていて、舞台にほとんど目をくれることもなかったので、本当に不思議でした。
そして、用事があるのかアンコール曲を聴かないで帰って行きました。そういう人も珍しいです。

なんとしてもシュトゥッツマンが見たくて、彼女の声が聴きたくて来た人もいれば、クラシック全般のファンで、クラシックの中の1つとして足を運んだ人とが居るのでしょう。
そして、好みに合う人もいれば、まれに合わない人もいるのかもしれません。

サインをもらっている人は、やはりナタリー・シュトゥッツマンだからこそやってきた人が多いです。

帰りは、サイン会の列で言葉を交わした人たちと一緒に四ツ谷駅まで帰りました。
楽しく有意義な体験でした。
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ナタリーシュトゥッツマン&オルフェオ55(2)

2018-05-20 00:03:06 | 音楽


プログラムは次々に演奏されて行きました。

・カルダーラ:たとえつれなくとも~牧歌劇「愛の誠は偽りに打ち勝つ」第1章より
・カヴァッリ:満ち足りた喜びよ~歌劇「ジャゾーネ」第1幕より
・ボノンチーニ:お前を称える至福ゆえに~歌劇「グリゼルダ」第2幕より
・ジャン=バティスト・リュリ:トルコ人の儀式のための行進曲~バレエ音楽「町人貴族」より
・A.スカルラッティ:陽はすでにガンジス河から~歌劇「愛の誠」第1幕より
・ヴィバルディ:コル・ミオ、ケ・プリジョン・セイ~歌劇「アテナイデ」RV702 第3幕より
・ヴィヴァルディ:弦楽のための協奏曲ト短調RV156
・コンティ:カンタータ「数多の苦悩の後に」
 1 アリア:数多の苦悩の後に
 2 レチタティーヴォ:あなたの忠実への疑いが
 3 アリア:私を燃え立たせる炎は
・ヘンデル:ああ、私の心よ~歌劇「アルチーナ」より

これらは歌劇の中で歌われる曲を抜粋して歌っているようです。
実は、どれがどういう歌かというのは、全く記憶に無い状態です。記録のためにプログラムの一部を書きうつしただけで、私は音楽の知識が全くありません。

そういえば、ステージの上の2階席は、指揮者の譜面台が、上からよく見えるのがよかったです。シュトゥッツマンがページをめくる様子などもよく見えます。客席を向いたり、楽団を向いたり、方向を変えるときに、譜面台を持って手早く移動させたりしていました。
いつもパワフルで活動的で表情豊かで、心のこもった歌と指揮でした。

休憩時間になり、会場を偵察しようと思って客席の外に出てみました。2階フロアのカウンターにいろいろな飲物が並んでいて、テーブルのところに立って飲んでいる人々がいますが、カウンターではお金を払っている様子が見えないので、どうなっているのかなと思いながら、立ち去りました。

下に下りると、CDを売っていたので、今回の演奏内容に近いというものを買うことにしました。売っている人が、「声楽の勉強にどうぞ」と言って薦めていました。
今回の演奏曲目は、声楽の勉強をしている人ならば、よく知っているというか、必ず練習する曲なのかもしれません。ということは、勉強のために観賞している人も多いのかもしれません。しかし、見た所、音大生くらいの若い人はあまりいないようで、年齢層はもう少し上のようでした。これからプロになる人というよりも、趣味で歌の勉強をしている人などが多いのかもしれません。



CD売り場はとても混んでいるので、時間がかかり、買えたときは、休憩時間が終わりそうになっていました。2階に上がってまた飲み物カウンターのところに行き、今度はその前まで近づいてみました。1人の男性が硬貨をカウンターの人のところに置いているのが見え、現金で買えることがわかりました。さらに近づいてみると、値段表もあって、だいたい600円くらいで、ジュースやワインが買えることがわかりました。しかし、客席に戻るようにとのアナウンスも流れたので、急いで会場に戻りました。

後半、
・ドゥランテ:協奏曲 第1番へ短調より 序奏:ポコ・アンダンテ
・A.スカルラッティ:私を傷つけるのをやめるか~歌劇「ポンペーオ」第2幕より
・ヴィヴァルディ:喜びとともに会わん~歌劇「ジュスティーノ」RV717第1幕より
・リュリ:バッサカリア~歌劇「アルミード」より
・ヴィヴァルディ:太陽はしばしば~歌劇「救われたアンドロメダ」より
・ヴィヴァルディ:アジタータ・インフィド・フラトゥ~オラトリオ「蛮族の王ホロフェるネスに勝利し凱旋するユディト」RV644より
・ラモー:未開人の踊り~歌劇「優雅なインドの国々」より
・ファルコニエーリ:バッサカリア第15番
・ドゥランテ:踊れ優しい娘よ

どの曲も素敵でしたが、そのうち今どれを歌っているのか、私にはわからなくなり、そして知らないうちに最後の曲になっていました。

終わりのほうの曲には、シュトゥッツマンが足でリズムを打って打楽器の役割をするような演奏もありました。変わったリズムの曲もあり、踊るように表情豊かに指揮をしていて目を見張りました。

プログラム最後の演奏が終わると、拍手が鳴り続け、シュトゥッツマンが出たり入ったりして挨拶し、楽団の人たちも挨拶し、そして、アンコール曲が始まりました。

これは、おそらく誰もが聴いたことのある有名な曲でした。
後で聴いたことによれば、これだけがフランス語で歌われたそうです。他はイタリア語だったらしいです。私は、終始何語かなんてまったく考えもしないで聴いていました。
アンコール曲は、マルティーニ:愛のよろこびは
とても温かくなごやかに始まる曲でした。まさしく、その場の空気が、愛に包まれる感じでした。

喝采は止まず、2曲目のアンコールは、ヴィヴァルディ:歌劇「オリンピーアデ」第2幕のアリア「立ち尽くし、うめき、おののく」(Gemo in punto, e fremo)

この曲は、激しい曲です。ユーチューブで聴いたことがあります。とても勢いのある伴奏から始まり、迫力のある歌でした。

二つのアンコールが終わってしまえば、もうそれ以上は望めず、ついに演奏会は終わってしまいます。舞台の上では、ナタリー・シュトゥッツマンが楽団の人と1列になって手をつないで前に出たり下がったりして、楽しい挨拶をしてくれました。
これもまたとても素敵な終わり方でした。

この演奏会、これまで見たことのある演奏会で一番すばらしかったです。
本当に、今回思い切って行ってよかったです。


(アンコール曲についての掲示。公演が終わったと同時に張り出してくれたようです。たくさんの人がスマホで写していたので、私も真似をして写しました。)

さてさて、まだその後があります。サイン会です。         続く

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ナタリー・シュトゥッツマン&オルフェオ55(1)

2018-05-19 00:24:12 | 音楽
5月15日の夜、ナタリー・シュトゥッツマン&オルフェオ55の演奏会に行きました。
場所は、四谷駅から徒歩数分の紀尾井ホールです。



ナタリー・シュトゥッツマンは、コントラルトの声楽家であるとともに、指揮者でもあり、オルフェオ55は、ナタリー・シュトゥッツマンが結成している管弦楽団です。
ここで、ナタリー・シュトゥッツマンは、指揮をしながら自らソロで歌を歌うのです。

私は、数年前にユーチューブで、ナタリー・シュトゥッツマンとオルフェオ55の演奏を初めて発見し、そのときからずっと虜になっていました。そして、生演奏をこの目で見て、聴くことが夢でした。

ナタリー・シュトゥッツマン個人は、これまでも何度も来日して指揮や歌の演奏会をしていますが、オルフェオ55と共に来日し演奏会を開くのは、今回が最初です。しかも、都内での演奏。これは絶対に逃すものかと、1月中にチケットを購入しました。

私は、元々、クラシックの知識もほとんどなく、演奏会の経験もほとんどありません。いったい、どの席を取ったらよいのかもわからないのです。A席の中で、すでに良さそうな席は埋まっていました。
結局、2階の舞台に向かって右側で、ステージと客席の境界線の真上あたりの位置を選びました。



紀尾井ホールはもちろん初めてでした。あまり大きくはないですが、とてもきれいなホールで、天井には6個の豪華できらびやかなシャンデリアが下がっていました。
どんな観客が来るんだろうかというのも、私の関心でしたが、男女比では女性のほうが多く、年齢層はちょっと高めで、50代女性の私は充分溶け込める大多数の部類でした。

舞台の上の右側2階といえば、演奏者と指揮者を真上から見下ろせる位置であり、舞台に登場するときに、舞台左側のドアが開いて出てくるので、そういう場面もよく見えるはずです。最初は、調律師の人が、舞台の上のハープシコードの調律をしていました。

そして、いよいよ演奏会が始まるときには、楽器を持った楽団の人たちが、左側の扉から登場してきました。
弦楽器は若い女性が多く、ああ、やっぱりフランス人だな~と感じる容姿で、パリジェンヌだな~などと感動しました。

それから、音合わせ等していましたが、そのうち舞台右端のリュートのような古楽器が静かな演奏を始めているらしく、とても良い感じでした。
舞台右上にいる私からは、その姿が見えず、開演前の時間つなぎに演奏しているのかと思っていました。
そのうちに華々しく左側から指揮者シュトゥッツマンが登場するんだろうと思っていたのです。

真下を覗き込むと、リュートのような楽器を弾くのは男性で、髪の毛がちょっと長くウェーブがあり、これもまたヨーロッパ的、バロック的な素敵な雰囲気だなと思ってその音色と姿を心地よく感じていると、同じような雰囲気のもう一人の人が、その演奏者に寄りそって近づいており、そのとけあうような姿がとても素敵な雰囲気でした。

すると、なんと、それがナタリー・シュトゥッツマンだったのです。
なんという素敵な始まり方なのでしょう!
左ではなく、右から登場していたのでしょうか。

そして、ナタリー・シュトゥッツマンが歌い始めて、演奏会は自然に始まったのです。

今回の演奏曲は、バロック時代のイタリア歌曲です。これらの曲は、19世紀にはピアノに合わせて演奏方法が変化しており、一般的にはそのまま現在に至っているそうですが、ナタリー・シュトゥッツマンたちが古い楽譜などを研究し、もともとの古来の演奏方法を再現しているのだそうです。

この辺の違いについても、私はそもそも何もわかりません。実際、ユーチューブでオルフェオ55しか聴いたことがないわけで、そのため、それが普通だと思っていて、クラシックというものについて、初めて魅力を感じたからこそ、わざわざチケットを買って来たのでした。

しかし、その音楽が私にとって「いまだかつて体験したことのない魅力」だったのは、たしかにその音楽がいまだかつて演奏されたことのない種類のものだったからかもしれない。
そのことに今気がつきました。

今、この演奏会について、色々な人の感想などを検索して読んでいますが、「ナタリー・シュトゥッツマンの声が一風変わっていて最初はなじめなかったが、聴くうちにその世界にひきこまれた」などと書いている人もいます。
私は、ナタリー・シュトゥッツマンの声だけしか聴いたことがないので、そういう感覚はありません。そして、気がついたことには、私はそもそも、シュトゥッツマンの声だからこそ、これらの音楽を聴くようになったので、そうでない人の歌に特段の魅力を感じたこともなく、聴こうと思ったことがないのだから、比べようがないのです。

そして、他の人の感想を読むと、シュトゥッツマンの歌はとてもすばらしいが、コントラルトという低音のため、あまり大きく響かないとか、中音域の声量が少ないという感想もあります。しかし、それがバロック風の古楽器の音質とマッチしているのだそうです。

なるほど。私はそういう要素に惹かれ、虜になったのかもしれません。

指揮者として、その姿を見ているととてもかっこいいです。上下黒い服です。男性のようにズボンと上着ですが、首にキラキラ光るダイヤのようなネックレスをしていてステキでした。右腕にブレスレットもしています。
姿は美しいです。動きが感情豊かで、曲想の付け方等すばらしいです。
明るく楽しい曲は、踊るように指揮をしています。

歌は、言葉がわからないのに、何度も涙があふれるほど感動します。
悲しい曲、激しい曲、楽しい曲、心に響きます。

2階席のステージの上というのは、舞台左側の演奏者のバイオリンやビオラあたりまでは表情までよく見えるのですが、右側はほとんど見えません。時々身を乗り出して真下を覗きこんだりしていましたが、そういうことをするのはいけないのか、周りのひとは行儀よく座っているようでした。
終始、手すりの棒の下から、覗くような感じで舞台を見ることになります。
バイオリンの人の衣装など、人によって違っていて個性もあって面白かったです。

シュトゥッツマンの指揮中の顔の表情や歌っている時の顔等も上からの角度ではあるものの、距離的には近く、よく見えます。

しかし、視線はやはり別の方を向いているという感じが否めず、舞台の人は、決して上を見上げないわけです。声も1階の観客席に向かって発しているという感じで、決して上に向かってはこない感じで、下の世界で行われていることを上から傍観しているという状況は2階の舞台の上の席であるかぎり仕方がないですね。

どの席も一長一短はあるのでしょう。
でも、今回とにかく行ってみて良かったと思います。次回は、また違う角度や違う位置の席を取ってみようと思います。

まだまだ、書きたいことは山積みですが、長くなったので、今日はここまで。





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バラは平等

2018-05-18 21:48:25 | 植物・花・木


これは先日、神代植物公園のバラ園で、最後のほうで見てきたコーナー。



こちらは、新種でまだ名前のないバラや、もっと奥にいくと、逆に原種というか野ばらみたいなのもある。

この日は、お天気が下り坂で、雨が降ってきたので、野ばらの方にはいかず、新種のあたりをさっと見て切りあげました。



そのときに、変なおじさんに遭遇した。

このおじさんが、もうやたらにバラの美しさに感激しているのです。

おお~~、これはきれいだな~~

おお、これすごいなあ~~

などと感動のさけびを上げながら幸せいっぱいな感じで見物しているのだった。



そのおじさんは、みたところ、本当に「庶民の代表」みたいな人で、裕福でもなければ、教養の高そうな人でもなかった。

そのおじさんは、誰に言うともなく、目の前のバラを指さしては、「こりゃすばらしい~」などというので、
こちらもついつい「そうですね、きれいですね~」などと返事をしてしまい、目を合わせて笑ってしまうのだった。



そのとき、思ったこと。

バラって、お金持ちの人にも貧乏の人にも、わけ隔てなく花の美しさを見せてくれているんだなあ~

見る人間が、頭がいいとか悪いとか、美人だとかブスだとか、どんな職業だとか、そんなことも関係ないのだ。

誰もが、同じようにきれいだな~と感動できる。

それは素晴らしいことですね。





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書くこといっぱいで書けない

2018-05-17 23:42:04 | 日記2018
近頃、ブログに書いてないことが、いっぱいありすぎて、もう追いつかないのです。

ああ、やっぱり駄目だ。

もう少し、熟成させないと書けないぞ。

なぜ書けないのか、不思議な現象です。

人は、どういうときに書けなくなるのか?

わからん。

もったいなくて書けないのかもね。



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ラバグルートを撮った理由

2018-05-17 00:17:29 | 植物・花・木
さっき載せた赤いバラの中に「ラバグルート」というのがありました。

あの花って、なんで撮影してきたのか、今思いだしたのです。

それは・・・



今年の3月2日に、神代植物公園に梅の花を見に行ったときに、バラ園に立ち寄り、
どれもこれもまるぼうずのバラの木を見たのでした。

そこで、たまたま立ち止まったバラの名札を写してきました。

この木にはどんな花が咲くのだろう?
楽しみにしようね、と思ったのです。

それは、くじ引きみたいな、福袋みたいなもんですね。

そして、この5月になってその札の前に行ってみると・・・



こんな花が咲いていたのでした。

実は、そうでなければ、おそらくこの花は撮影していません。

そんなに気に入った花ではなかったのですよ。

この花を撮影しようとしたときに、1人の若い女性がこれを撮影していまして、私はその人がどくのを結構長く待っていました。
普通なら、そんなにしてまで写したいとは思わないのですが、デジカメの3月の画像から、この花の名前をつきとめたので、これを撮らないわけにはいかなかったんです。

このバラは、あまり大きな花ではないですが、花の数が多い種類でした。

このほかに、3月に写してきたのは「ブルーリバー」というのがあったのですが、これは今回みつからなかったのです。次回見つけよう。

それにしても、あんなにまるぼうずで短く切ってしまったのに、2カ月くらいで、よくぞこんなに花が咲くもんだと驚きます。
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真赤なバラ

2018-05-16 22:32:44 | 植物・花・木
真赤なバラは、特に好きではないけれど、このあいだ神代植物公園で写してきた写真を見てみると、5種類ほど画像があった。

その中で、とても記憶に残っているバラの名前が「ノックアウト」というものである。



「ノックアウト」というと「ボクシングで相手にやられちゃって、ぶっ倒れて、起き上がれない状態だ」と私は思ったので、「こりゃすごい名前だ、この赤は鼻血の色か?」と思ったりした。

そして、なんとなく最近の自分が「ノックアウトされた状態」みたいな気分で、なんか、何をやっても他の人に太刀打ちできないなあと感じ、なんとなく落ち込んでいるのである。

そして、今日もなんとなく「ノックアウト」というあの赤いバラを思い出していた。

で、ふと、なんで「ノックアウトって名前なんだ?」と思って調べてみた。

すると、このバラは病気に対してとても強い種類なのだそうだ。
ぜったいに病気にならない。病気に打ち勝つ。病気をノックアアウトしてしまうというバラだったのだ。

「ノックアウト」の言葉の意味は、「相手を徹底的に打ち負かす」という意味なんだそうだ。
私は、逆に「打ち負かされる」と、やられる方の立場で考えていたのだった。

このあたりから、自分はよほどネガティブな人間だな~と思う。

昨日は「ノックアウト」じゃなくて、「マイペース」っていうバラ作ってよ、と思いながら道をとぼとぼ歩いていた。
人と競ったり闘ったりするの疲れるもの・・・。

さてさて、その話は終わりにして、そのほかの赤いバラですが・・・



これは、私の定番、「グランドホテル」というバラ。
バラ園の入り口近くの平らな棚に咲いているツルバラで、毎年よく目に入る。
華やかで、オーソドックスでまさに「グランドホテル」って感じだ。
誰もが満足する一定の品位と華やかさと規模を備えた品種だろうね。
ホテルに例えれば、ここに泊まったら間違いないって感じだけど、とくに個性的なものではない感じ。
いや、これは単なる私の印象で、名前の由来は知らない。



これもまた、「チャールストン」って感じ。明るく楽しいイメージである。
ところで、チャールストンって何だっけ?
アメリカの地名、ダンスの名前?実はなんだかよくわからないのだった。
この花は、真赤ではなく黄色が混じっているらしい。
花びらはクチャクチャしていて品格ってものはない。日常的・娯楽的なイメージである。



これは「ラバグル―ト」。
名前からは、何も連想できないので、今調べてみると「溶岩の燃え上がる赤」という意味だそうだ。
ドイツ。



そして、これはすごい個性的。「つるリトルアーティスト」という名前。
「グランドホテル」と同じように水平の棚に咲いているもの。
花の中央が白くて周囲が赤い。1つ1つはリトルという通り小ぶりの花だけど、数がすごくて満開でびっくりする。インパクトが強い。
きれいだという感じではないのだけど、珍しい・個性的ということで、多くの人が注目していた。

以上、赤いバラ。赤いバラはまだまだ沢山あったけど、たまたま写したのがこの5種だった。

まあ、好きなのはやっぱりグランドホテルかな?



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不公平感

2018-05-16 20:51:32 | 日記2018
人が不満を感じる時というのは、不公平だなと思うときではないだろうか?
公平でなく、自分が損をしていると感じるときだ。

うちの駐車場そばの空きスペースに、最近1台の車が毎日停まっている。

そこは、有料駐車場の区分ではなく、臨時的に訪問者が車を置くところであり、普段は業者などが短時間車を停めるのに使うスペースである。

その場所に、2週間以上も同じ車が昼夜を通して駐車しているのである。

噂に聞けば、住人に病人が出たため、その介護のために別居している家族が車に乗ってやってきたらしい。
そして、今は同居しているのか、通院などに車を使っているのか、駐車が定着してしまっているのだ。

この場合、ほとんど同じ条件の平面に車を置いて、一方は無料、
こちら有料駐車場に置いている車は、1日あたり600円近い金額を払っているのである。

2週間3週間おけば、すでに1万円~1万2千円は、かかっているわけで、今後もその病人の状態が変わらないのであれば、1か月2か月、それ以上無料で置き続けるんであろうか?

けしからん~~~~

こっちは、駐車場代を捻出するために、必死に働いているんだぞ~~~

しかも、その車が、普通車で新車で、ピカピカで結構な値段がしそうなわけで、

どんだけ金持ちなんですか~~~

金持ちなのにタダで置くとは何事ですか~~~

いくら、病人などの事情があるとはいえ、それでいいんか?

それだったら、みんな駐車場契約なんかしないで、無料でそこらへんの空きスペースに車を置いたほうが得ではないか~~

頭くる。

さっさと、どかせ!!!

みなさん、心優しい人ばかりで、容認しているみたいだ。

私だけが心が狭いのか?

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グラハム・トーマス

2018-05-16 00:34:40 | 植物・花・木


このあいだ、神代植物公園のバラ園で、最も気に入ったバラ。

グラハム・トーマス。



黄色くて、つぼみもいっぱいだった。
この黄色の色合いといい、形といい、すてきですね。



これは、まだまだ見ごろは続きますよ。







グラハム・トーマスって男の人の名前ですよね。

調べてみたら、バラの栽培家なのだそうです。

2009年に殿堂入りした花だとか。



これとも、ソフトクリームを写したんだった。

黄色とピンクだからイマイチですね。しかもソフトクリームがピンボケ。

溶けてきちゃったから、このあとあわてて食べました。

グラハム・トーマス、もう一回見に行こうかな。





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振り返らないんですか?

2018-05-15 23:12:41 | 日記2018
今日、駅の改札のところで、恋人同士みたいな男女が別れるところに遭遇した。

「別れる」というのは、交際をやめるという意味ではなく、別々に帰るという意味です。

女性が改札の外に残って、男性が改札に入っていったのです。

その時、男性が女性の頭をいい子いい子みたいに、なでるようにしてから、改札を通っていったのです。

仲の良いカップルという感じです。

私は、その男性に続いて改札を入っていきました。

そこで、前を歩く男性が、振り返るものだと思っていました。

ところが・・・

この男性、改札の外で見送っているはずの女性を全く振り返らないんですよ。

あれえ~~???と思った。

そのまま階段のほうに進んでいきます。

別に電車の時刻が迫ってるわけでもないんですよね。

代わりに、私が女性の方を振り向きました。

やっぱり、ちゃんと見送ってましたよ。

そして、やっぱり、ええ~~っ? という顔をしていました。

どうして振り返らないの?って・・・。

腑に落ちないかんじだった。

こういうことって、時々ありますね。

男女に限らず、友達や知人でも、一方が電車にのり、一方がホームに残っていて、

ホームから電車の中の人を見送っているのに、そんなこと意に介さずさっさと自分だけの世界に戻って行く人いますよね。

別れるのが惜しくもなんともない。
というよりも、別れてせいせいしたみたいな感じ。

あの男性、本当は振り向きたかったけど、男だから我慢してた・・なんてことあるのかな?

振り向けよ。

それとも、本当にさっさと帰りたかったのかな?

わからないなあ。

女の子かわいいそうだったな。

普通、改札入ってから、一度振り返って手ぐらい振るだろ。
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