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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

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“マネーボール”と統計学

2012-06-04 00:53:02 | 放送大学
昨日、土曜日は、DVDで映画「マネーボール」を見た。
この映画は、以前、放送大学の面接授業で、先生からぜひ見るようにと薦められたものである。
野球に統計学を活用して、勝つための戦略を成功させた実話である。

goo映画のサイトから「マネーボール」のあらすじを引用させていただく。
「メジャーリーグの野球選手だったビリー・ビーンは、引退後オークランド・アスレチックスのゼネラル・マネージャーとなる。しかし、財政が苦しいアスレチックスでは、せっかく育てた有望選手を、強豪球団に引き抜かれるという事態が続いていた。チームの立て直しを図るビリーは、統計データを使って選手の将来的価値を予測するという「マネーボール理論」を導入。イェール大卒のピーター・ブランドと共に、チームの改革を進めていく。」
≪マネーボール≫

面接授業のときは、野球を例にした統計データから、エクセルで表やグラフを作って、分析したが、私は、野球のことはよくわからないため、あまり身近とは感じることができず、パソコンの操作も速くてむずかしくて、大変なことだった。
松坂の球種や球速の傾向を分析したりしたのを覚えている。ダルビッシュは、松坂よりも球種が多かった。
パレート図とか、管理図とか、ヒストグラムとか、いろんなグラフを作ったっけ?

面接授業を受けたときから、既にわけがわからなかったのだが、現在では、さらに、ざるのように大部分のことを忘れてしまった。

夫はメジャーリーグが好きなので、面接授業でこの映画を薦められた話をしたら、DVDを借りてきてくれ、一緒にみることになった。
この実話は、2003年ころのことで、今から10年くらい前の話らしい。映画は昨年(2011)秋のものだ。

主演のブラッド・ピットは有名な俳優だが、私は洋画をほとんど見ないので、初めて見たようなものだった。洋画も見ると面白いかもしれない。

統計やエクセルは仕事でも使うので、これからも勉強しなくちゃと思うが、思うだけでなかなか実行できていない。

(日記にはどうということのないことを書いておくと、将来読み返したときに意外に面白い事に気がついた。映画の「マネーボール」を見た記録と、今期に統計の面接授業を受けた記録を残しておきたいと思います。)
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本日の運転練習

2012-06-03 22:31:32 | 運転・車・道路の事
免許をとって3年近くなる今でも、相変わらず初心者マークをつけて運転の練習ばかりしている。いつになったら、練習を卒業して、まともな運転ができるようになるのだろう。
おそらく、一生練習をし続けるばかりだろうといういやな予感がする。

今日は、幹線道路を左回りに回るという一番リスクの少ない自主経路を設定した。
そういえば、自動車学校では、今年度から自主経路という卒業試験はなくなったのだそうだけど、自主経路は本当に重要なものだ。自分の運転技術に合った経路を設定するのがいい。卒業試験では事実上、模範経路はすでに設定されていたが、目的地までの経路を自分の頭に刻み込んでおくことは、日常の運転で重要なことだ。
私なんか、自主経路を決めているにもかかわらず、目的地に到着できずに、どうかなってしまうことがいかに多いことか。

そこにいくと、今日は大正解であった。ちゃんと予定通りのコースを走ってきた。

本日のコースは、環八通りを南下し、井の頭通りに左折し、方南通りに左折し、環七通りに左折し、目白通りに左折し、環八通りに左折し、戻ってくるというものだった。
こんな経路、間違えようもないかと思うが、方南通りから環七に左折する手前の第一車線に、駐車車両が2台あり、その車のどのくらい先に交差点があるものか、見通すことができなかった。駐車車両を越えてすぐのところを曲がろうと左折専用レーンに入ろうとしたら、何やら路地のようなものに見えたので、あら違うのねと思ってウィンカーを消してそのまま第二車線を進みそうになったところ、やっぱりそれが環七に左折する側道であることに気がつき、直進レーンから左折するみたいな変な走りかたをしてしまった。
これって交通違反か?車線変更可能なラインであったが、車線を変更するというよりも、そのまま左折したみたいになってしまった。進行先の様子が認識できなかったのは駐車車両が原因でもある。いい迷惑だ。横にも後ろにも車がいなかったのは、幸いだった。

この交差点は、自宅で地図を見たときには、てっきり方南通りが下を走り、環七が上を走って立体交差しているものと思い込んでいたのだが、実際には環七が下を走っていたから、大きな交差点のように見えなかった。現地を知らないと運転に戸惑うことが多い。環七を走ったことは数回あるが、この交差点から入ったのは初めてだ。

日曜は意外に空いていると予測していたが、午後2時すぎとあって、それほど空いてはいなかった。制限速度は以前は40km/hという驚くべき遅さだったが、いつだったか50km/hになったという新聞記事を見たことがあった。その記事の通り、路面の40という文字が消されていた。そもそも以前から50km/h以下で走っているクルマなんかいなかったようだが、制限速度が変ったこともあり、60km/h以上出しているクルマが多い。こちらも60km/h弱で走った。

第二車線を走っていると、クラクションが聴こえた。常日頃、クラクションはみんな私の車に向かって鳴らしているものだと思っているので、ひやりとしたが、後ろではなく左前の車の音である。いくらなんでも右後ろの車に向かってクラクションを鳴らすことはあるまい。見ると、その車の左前をチャリのオッサンがふらふら走っていた。

青梅街道を超え、左側が高円寺という矢印のある交差点を超え、早稲田通りを超え、新青梅街道を超えて、北に向かう。その先、練馬は左という分かれ道で、どうするか迷いながら、そのまま右方向に直進。この辺りはよくわからなかったが、道なりに右斜め直進が環七だ。その先、目白通りにつきあって左折して進むと、結局は同じ道に出る。少し行くと練馬区役所があった。目白通りは広くて、車も少ない。前に車がいないと不安になってくる。
環八通りに左折し、練馬トンネルと井荻トンネルを抜ける。トンネル内は本当に車が少ない。第一車線を60km/hで走っていると、そのうち、井荻トンネルでは後ろから来た車が追い越していった。また次々に抜かされていく。みんなすごい速さだ。
トンネルを出た先の環八は車が多く少し渋滞していた。本日の走行距離21.9km。
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避難訓練

2012-06-03 11:31:44 | 日記
土屋賢二氏の「教授の異常な弁解」を読んでいる。
さっき読んだのは「船長の気持ち」っていうのだが、防災訓練で避難誘導係になった話がかいてあった。
それで、人を誘導しようとしたのだが、避難する人はいなくて、学生も相手にしてくれず、
誰ひとり誘導されてくれなくて、しかたなく無理やり助手の1人を誘導して終わったという話である。

私の職場でも、このあいだ避難訓練があった。避難訓練の時は、外階段を使って地上まで下り、そこで消火器の使い方などの説明を聞くということになっている。
ところが、やっぱり参加者がほとんどいない。
避難訓練の参加の社内説明では、一度も参加したことのない人は必ずするようにということであり、さらに、誘導係や連絡係などの担当者は、きめられことをすることになっている。一般社員は強制はしないが、参加を歓迎するとのことだ。
一度も参加したことのない人というのは、新入社員である。同じフロアーには、新入社員がそれぞれ離れた部署に1人ずつ、計2人いた。
まず、館内放送があり、数分後に避難を促す放送を流すという連絡があった。
1人の新入社員は、「今日は避難訓練なんですよね」等と近隣の人に聞いているようだった。近くの人は、「私たちは、もうやる必要はないんで、放送があったら勝手に逃げてください」などと言っているようだった。
新人はなんとなく心細げにしていた。本放送が入り、新人は1人で避難を始めた。総務の人が1人やってきて、もう一人の新人もいっしょに、外階段の場所を案内していた。
おばさんである私は、万歩計の歩数を増やしたいために、仕事を中断し、外階段を使って地上まで下り、下での説明は聞かず、内階段を使って戻ってきた。
参加者は総務の人を含めて4人であり、同じ職場の60人くらいは不参加であった。
同じビルには他の会社も入っているので、何人かが避難していたが、全員が避難すればビルの入口には到底入りきれるはずもない人数であるところ、下に下りたのは十数人足らずであった。
社内の避難訓練の説明によると、誘導係はドアを開け、その他、連絡係や消化係の役割もあって、それらの係りはそれぞれの任務をし、一般社員は自由参加と書いてある。しかし、実際のところ、担当者が何かしたところで、一般社員が誰も参加しないのであれば、バカらしくてやってられないのもあたりまえだ。それで、毎年参加してるのは、体重を減らしたいパートのおばさんだけになったというわけだ。今回参加した新入社員も次回からは参加しなくなる。

実は、数年前までは、もっとたくさんの社員が参加していた。それは、年輩の上長がおり、避難訓練は全員でやらなければ意味がないと主張していたからだ。そのときには、別の会社の人がほとんど参加しないことについて、その上司が憤慨しており、全員が逃げてみなければ、外階段がどのくらい混み合うのか、外にどれだけの人が下りてくるのかわからないから意味がない、と言っていた。
しかし、今では、我が社のほうが参加者がほとんどいないという状況である。

まあ、避難訓練なんてどこもそんなもんか。確かに全員避難すると、それはそれで、大変なことになりそうだ。
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神代植物公園のバラ

2012-06-03 09:53:35 | 植物・花・木
先週行った神代植物公園のバラの写真を少しだけ載せておこうと思います。

今年は、行くのがちょっと遅かったのか、開ききった花が多かったという印象を受けました。
その代わり、薔薇の香りがすごかったです。

今年一番きれいに思えたのは、「レオナルド・ダ・ビンチ」というバラです。



つるバラで、棚の上に平らに咲いています。
花がしっかりしているので、炎天下でも、きれいな形を保っているようです。



レオナルド・ダ・ビンチというと、おじいさんの姿を思い出してしまうので、どうして、男性の名前なのか?とちょっと意外な感じがしました。

昨年は、この写真の上のほうに写っている、淡いピンクのバラが一番きれいだと感じたのですが、今年は、昨年ほどきれいではありませんでした。
その花の一番きれいに咲いている日に当たるかどうかってことで、かなり印象がちがうようです。



↑これは、すごくきれいでした。裏側には人が入れるようになっていて、写真を撮る人がいっぱいでした。こんなのが、うちの庭にあったらいいなあ~



下の方の、この色々ないろのバラは、いったいどうなっているのでしょうか?
いろんなのを混ぜて植えているのかな?



頂天はこんな感じ。全体が、きれいでかわいくて、これが、一番気に入ったかな。

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園芸&収納用品運び

2012-06-02 20:45:35 | 運転・車・道路の事
せっかくの週末なので、ドライブにでも行きたいと思ったが、家の中もごちゃごちゃだし、収納ケースや、ベランダ園芸のプランターなどを買いに、ホームセンターに行くことにした。
相変わらず、運転はうまくならず、往復6.5kmばかりの距離をヒヤヒヤ走っている。路地を走るので神経を使う。
ホームセンターは意外に空いていて、2階の駐車場にも空きがあった。でも、やはり屋上に上っていった。
屋上はガラガラなので、左側にバックして入れてみようと試みた。ところが、どの線の間に向かってバックしているのかもわけがわからなくなり、結局、大きく右にずれてラインの上にまたがる形となった。一旦前に出して補正しようかと思ったが、あまりにも空いているので、そのまま前進して、駐車場のど真ん中に駐車。全く、バックなんかする必要もない状況。ラッキーと言えばラッキーだけど、相変わらず駐車の練習にもならない。

野菜用のプランター、朝顔の鉢と支柱、再生用の土、底石、密封収納ケース(ベランダ用と室内用)、その他食品などを買った。



写真は収納ケース。この前に、園芸品を買って既にクルマに積んである。

車だからこそ、こんなにいっぱい買っても運べる。車が無ければ配達を頼めばいいだけのことだけど、そうなると後日、日を改めて配達を待つことになるから、やっぱり車があって良かったと思う。長距離走るだけが車の役割ではない。
車の存在理由がないと、持っている意味がないので、そういうところで、納得をする。

売り場から車までは、ショッピングカートがあるからいいけど、大変なのは、自宅駐車場から自宅までの荷物運び。実は、まだ車の中に収納ケースと朝顔の支柱が載ったままです。

午後は、買ったプランターに土を入れて、ベランダにあった段ボール箱の中身を、プラスチック製の密封収納ボックスに入れました。どんどんプランターが増えるけど大丈夫かな?こんなに土をベランダに運び上げてる人間はいなさそう・・・。
朝顔とゴーヤの芽がいっぱい出てるので、捨てないで育てたいです。
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タイムスリップしてみても

2012-06-02 01:14:48 | 日記
そもそも、昔の日記を読み始めたのは、短大のときに、「スカイツリー駅」である「業平橋」に行ったことがあるらしいという記憶をたどってのことだった。
ところが、その日の日記は見つからず、そこに行くとか行ったとかいう記述さえみつからない。もしかしたら、短大1年ではないのではないか?2年のゼミではないか?ゼミではなく、クラスで行ったのか?それとも学年でいったのか?□□先生が引き連れていったのではなく、他の先生だったかも???などと色々な思いが駆け巡る。
しかし、言問い団子をクラス全員で食べられるわけはなかろうし・・・と思う。どっちにしても、まるで日記に書いてないので、当時まるで印象に残らなかったのかもしれない。

2~3日前は、日記を読んだあと、何か重苦しい気分になり、夜なかに目が覚めてしまった。当時、これだけのストレスを身に受けながら、夜の街を歩き回ったりして暮らしていたに違いなかった。
そうだ・・・「風の歌を聴け」にあった。カルフォルニアガールズの時代には戻れないことを悟る時が来る。あの作品の彼女が死んだ記述で、やっぱり高野悦子を思い出したっけ。

昔、蚕を育てたことがある。幼虫は新幹線みたいな姿をしていて、かわいい顔をしている。桑の葉をむしゃむしゃたべて太って大きくなり、やがて食べるのをやめると、今度は糸を口から吐き出し、繭を作り始める。どんどん繭を作っていく幼虫が大部分だが、中には作り方の下手なのがいて、ずいぶんと糸を無駄にしてしまうものもある。
繭になって何日かすると、繭の端を食い破って蛾が出てくる。その姿は、もう蚕とは似ても似つかない宇宙人のような目と触角を持った生物で、いきなり交尾を始め、変な液体をまき散らすのだ。そして、メスは卵を産む。
だが、あの繭造りの下手な繭から蛾は出てこなかった。繭を作るのに疲れ果てたのか、中で死んでしまい、変身することができなかったのだ。

大人になれない人間も中にはいるし、少なくとも、みんな苦しむのだろう。
あの当時の私は、蛾にはなりたくないと抵抗していたようだ。そのまま、桑の葉を食べて暮らしたかったが、蛾にならないわけにはいかなかった。

と、まあ、格好のいい、分析めいたことを書いてみたが、
あのストレスには、物理的要因もかなりあったと思える。
まずは、テレビがなかったということだ。もし、テレビがあれば、ドラマや歌謡番組などを見ていて、夜の時間を難なく過ごしたに違いない。

それから、当時は、何を食べて良いのかわからない、と悩んでいるが、それは、「冷蔵庫」が無かったことに起因する。オレンジュースが飲みたいと言っているが、買い置きさえできない状況である。もし、缶ジュースを買っておいたとしても、氷さえないから生ぬるいのを飲むことになる。
ご飯を炊いても、おかずを買いおくこともできないので、せいぜい缶詰やふりかけくらいだろう。それで、パンを食べていたに違いない。
冷蔵庫を買ったのは、6月の後半になってからのようであり、テレビも冷蔵庫もない部屋で、読みたくない小説を読まされていたというわけだ。

故郷の友達とも離れ、恋は実らず、ディスコや飲酒・煙草を習慣とする周囲にもついていけず、混沌とした自分だった。


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意外な事実

2012-06-01 19:04:05 | 日記
うちの23歳になる次女は、最近ごはんを食べなくて困る。週に1日だけ、仕事が休みの日に、我が家に夕飯を食べにくるのだが、魚が好きだと言うので、魚を食べさせるものの、魚だけを食べて、米のご飯を食べないのだ。毎日ろくなものを食べないで働いているので、やせ細っているうえに姿勢がわるく、これでいいのか・・・と思うばかりだ。

娘が好きなのはパンだそうで、夕飯を食べに来た時に主食をたべなくても、昼間はパンをたらふく食べているとのことだ。
それで、いったいどうして、パンなんか好きになったんだろうね、という話になった。
だいたい、私はパンよりもご飯派だから、パンを好きな子に育てた覚えはないけどなあと思った。
娘の話では、高校のころコンビニのパンを食べていておいしかったからだという。そういえば、私は弁当作りをサボっていて、コンビニで買って食べろと言っていたので、そういう習慣になってしまったんだろうと思った。娘のパン好きは、母親の怠慢から始まったらしい。親とは違う食生活の人間になってしまったもんだと思っていた。娘は、パンに凝っていて、休みの日は、いろんなパン屋を巡っては、パンを買い、食べまくっているらしい。

さて、ところで、
最近私は、自分の昔の日記を読み直す「マイブーム」になっているのだが、
そこで、びっくりする記述をみつけてしまった。

197X年5月30日の日記の一部

「何を食べたらよいのかこのごろはわからない。いくら考えても、これと言って食べたいものがみつからない。オレンジジュースの他には思い浮かばない。しかし、たいして食べたいと思わないものをいっぱい買って、胃が破裂するほど食べている。
この2~3日は、パンに凝っている。毎日4~5種類ずつ試食している。どんな味がするか、確かめているのだ。
お腹がすいたから食べるのではなく、味を楽しむために食べている。」

娘とおんなじだ。
娘は、私の遺伝子を受け継いでいるようだ。

自分がこんなことをしていたなんて、全く記憶になかった。

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恐ろしいものの生息

2012-06-01 17:06:59 | 日記
この夏になって、私の部屋と台所で2回も恐ろしい生物に遭遇してしまった。
それに遭遇したときには、迷わずゴキジェットを噴霧して撃退する。
この家に越してきて、昨年までは、ほとんどこの虫に遭遇したことはなかった。
昨年1回くらいは見たものの、あきらかにその時に外から飛び込んで来たもので、この家に棲んでいるものではなかったのだ。
ところが、今年のは違うのだ。まず、最初に遭ったのは、まだ半分子どもみたいなやつだった。そして、今日は、会社から帰ってきて部屋に入ったとたん、壁に大きな黒いものがとまっていたのだ。窓が開いているわけではなし、この密室にいるなんて・・・。
あきらかに、この家の中で生まれ育っているという感じなのだ。

確かに、これだけ汚くしていて、ゴキが棲まないはずはないのだ。パンやお菓子の入っていた袋なんかを机の上に置きっぱなしにしているし、朝ごはんも食べたまま、テーブルの上に置きっぱなしだったのだ。果たして、テーブルの上をそいつが歩きまわっていたのか、ウサギに聞いてもわからないのだった。しかし、自由自在に移動できるのだから、人間のいない時間帯は我が物顔で動き回っているに違いないのだ。

2年前は、さすがに新築だからゴキがいないなあと喜んでいた。だから以前の家から持ってきたゴキジェットも全然使わなかった。ところが、今年はこの3日間くらいで2回も使ってしまった。この調子で毎日出てきたらどうしよう~。
いよいよ、ホウサン団子を買ってこよう。
ウサギがかじると大変だから、床の上には置けないけど、ぜひとも設置しないといけない。

この夏はゆううつだ。。。
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短大1年5月28日の日記の一部(エジプト展)

2012-06-01 01:38:19 | 学生時代の日記
前記事に続き“珍しい物に殺到する人々”の巻

この日の日記は、昨日も書いたように大学ノート8ページにも渡っているのだが、その一部に「エジプト展」を見に行った感想が載っていた。田舎者の初体験である。

そう言えば、7月に、東京でまたエジプト展をやるらしい。
またはるばるやってくるってことか。そのつながりで、大昔の感想を転記してみた。

★ ★ ★
197X年5月28日

・・・(略)・・・

きのうは、A子とE美と上野の国立博物館のエジプト展を見に行って来た。
上野公園は人人人人、いやこんなものではない、人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人人・・・・・・・
そして、エジプト展では、汗にまみれた必死のおしくらまんじゅうの戦いをして出てきた。
私たちの出た後は、博物館の敷地内に3列の人の行列が何百メートルも続き、幾重にも曲がって並んでいて、まるでプロムナードでもしているようだった。

まったく、どうしてこんなにも見たがる人が多いのだ、と自分たちをさしおいて、けしからんと思いながら、その人たちが、まるで通常であるような顔をして、全く他の人間を意識せず、人の波の中で平気で展示物を見ているのには驚いた。

人間を何物とも思わずに、そのどっと押し寄せる圧力を風とも思わずに、正常に展示物を見れるとは・・・。そして私たちも今にその東京人間の「わざ」を身につけるのであろう。

人ごみの中で平気でいられるのは、人間好きなのではなく、人間を人間に見ないためであるのだと思った。また、東京の人間は非常に体力があり、精神力もある強いものであると思う。あんな押しくらまんじゅうを繰り返し、500円も出して見たいものもちょっとしか見れないのに、平気でいるんだから。

エジプト展を見た後で、日本のほうも見たのだが、それでよけいにエジプト人と日本人の違いを感じるのである。
エジプトの王や王妃の顔は全く違っているし、そこにきて思い返してつくづくエジプトの不思議さを感じた。神秘的というか、何というか、その人間たちは全く東洋の人とは違う感じがするのである。何とも表現のしようがないのだが、太陽がカンカンあたっていて、そこに大理石の城があり、目が大きく、鼻が高く、口も大きな人間がいるのである。腕にはものすごく太くて大きな腕輪をはめて・・という感じがする。
大きな岩を大きく削って、そのへんの岩壁に大きな像を彫る。死んだ人間の内臓をとって、内臓入れの壺にいれる。ていねいに、ていねいに、壺を作って入れる。
王妃の像を作って色をつける。何千年たった今でも消えずに残るその色。美しい色。
時間をかけてピラミッドなども作り、死んだ人間も保管し。そんなことを考えると、本当に時間を超越した神秘的なものを感じる。
そして、その場に眠りながら生き続けるものが、飛行機か何かに乗って、こんな日本に飛んできちゃってよいのだろうかと。

王妃のつけたすごい首飾りがあった。そのころのことを記録したクレイ・タブレットがあった。いったい、何を思って、棺や内臓入れを作ったのか、タブレットに記録したのか。
こんな日本へと飛んで、異類の人間に見られるなんて、考えもつかなかっただろう。

おそらく、エジプトにもあの王や王妃と同じ顔をした人間がいるであろう。しかし、像を見ていると、同じ人間とは思えない感じである。王はそうとうの権力を持っていたであろう。全く神の像のようだ。(しかし、神と言っても救いの神ではなく、ひたすら神聖で高貴である。)

日本のほうでは、たぶんインドや中国から伝わってきた仏像のようなものがあり、何だかその顔を見てほっとしたような気持になった。人ごみからのがれたせいもあるし、今まで何回かそういうものを見たことがあるからかもしれないが、仏像の顔がしっくりと心に入ってきた。目も小さく鼻も大きくなく、口も小さい。静の顔をしている。
やっぱり私は日本人であるとつくづく感じる。

なんか同じ金箔でも、エジプトの王の姿と仏像とは全く違うのである。それにしても今気がついたのが、エジプトでは王が絶対者でイコール神みたいだ。
日本の昔、天皇の像なんかを作ったものはないし、民衆は天皇を見たことはなかったのだろうが、そういう像を作るか作らないか、あるいは作らせるか、というところの違いがイコール人種の違い。

気のせいか、エジプトの王は怖く、仏像は優しい気がする。エジプトの像は、私に苦を与える可能性を持ち、仏像は直接にはそうではない。結局、権力のあるなしの違いであろうか。

もし、過去に生きるとして、エジプトに生きるのと、仏教の中で生きるのでは、仏教の中で生きたほうが良いように思う。それにしても、過去からの歴史が違うのだから、日本人と外国人が、そうとう違うのもあたりまえだ。

どういうわけか、のっぺりした面の広いエジプトの像より、こまごまとして、手が何百本もあり、頭の上にいくつものアタマがまたまた載っているというような仏像のほうがしっくり来たのだった。

話が戻るが、結局エジプトでは権力による外部的意識で生きる。仏教では自己の内部的意識から生活する。だから、私は王のもとで生きるより、仏教の中で生きたほうが良いのだ。エジプトと仏教を比べるのは変であり、無知だから何にも知らないけど、とにかく仏の顔はいい。

国立博物館はものすごく立派な建物であった。
その他、日本の着物や花瓶や掛け軸など、渡辺崋山の書いた本物の絵や、源頼朝像など、よく日本史の教科書に載っている絵があったっけ。
とにかく、疲れていいかげんに見た。
時間があれば、いろいろ公園内も歩きたかったが、次にA子と世界絵本作家原画展へ行くので、早めに切り上げた。
E美と3人で木陰に腰掛けてジュースを飲み、気持ちよかった。

(以下「絵本原画展」の感想に続く)

★ ★ ★

日記の内容は、かなり変なところもあるが、まあ、18歳の子供の感想ということでご容赦ください。
それにしても、いかにも、田舎の子が東京に来て驚いている様子がわかる。
当時の500円って、今の1000円くらいだろうか?学割だったとは思うので、一般人だともっと高かったのかな?
当時は、図書館学の先生が、展覧会や展示会などに行くように、いろいろ薦めることが多く、それを聞いて素直に行っていたようだ。
当時は休みが日曜日しかなかったから、疲れるわけだし、これを読むと、日曜日の一番混む時間帯に行ったと見える。しかも、開催されて間もなくの、特に混んでいる時期に行ったのではないかと推察される。
いつも一緒にいるM子がいなかったのは意外である。何か用事があったか、他の友だちとすでに行っていたのかもしれない。

日本人の平らで薄い顔と、エジプト人の大胆な顔の対比は、今映画「テルマエロマエ」でやってる日本人とローマ人の比較にも通じるところがあり驚いた。(この映画まだ見ていないので見てみたい)

18歳のころの幸せは、友だちとジュースを飲むことだったようだ。
今も同年齢のオバサン仲間と物を食べることが幸せかも。(何にも変わってない。)


今年のエジプト展は「大英博物館 古代エジプト展
東京は森アーツセンターギャラリー(六本木ヒルズ) 7月7日~9月17日
一般1500円 高大生1000円。
福岡は福岡市美術館 10月6日~11月25日

私は、放送大学生であるため1000円で見られそうですが、やはりちょっと高いですね。
なるべく人が少なそうなときに見に行こうかな?

別のもので「ツタンカーメン展」ってのもあるようだけど、こっちはもっと高くて、人もすごいようですね。


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