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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

引っ越し先は
https://ask0065.hatenablog.com/です

わかんないな~

2008-03-25 21:45:49 | 未分類過去
いつも読んでいたブログがあるんですが、その人が新しいブログに引っ越すってことで、古いほうはもう更新しないので、新しいほうを読んでくださいと書いてありました。
その古いほうのブログ、自分の紹介に「男性」って書いてあるんです。
でも、いつも読んでいたら、なんか女っぽい人だな~と思うことが多々あったんです。たとえば、アンアンを読んでいるってのは女性誌だから、あれ~男性でもアンアンを読むのかな~と意外に思ってました。
でも、女性の写真やイラストなどが載っているし、化学系の仕事を専門にしていて、専門的なことを書いているときには男性って感じなんですよね。
う~ん、でも女性の写真やイラストを載せるあたりの行動はやっぱり女っぽいかな~
男性にしては、女にあこがれたり、思いつめるタイプかな~などと思ってました。

ところでですよ、その新しい引越し先のブログの自己紹介には「女性」って書いてあるじゃないですか。名前も女性みたいだし・・・。

あっ、やっぱり女性だったのか~と思ったんですけどね。

でも、男性って書いてあったのは間違いなのかな~
男か女か選択するときに間違えるってことはあると思うけど、そんな間違いにずっと気がつかないで放置しているはずもないですよね。
女性が男性のふりをしていたのかな~と思ったりしましたが、それとも女性の心の男性なのかもしれません。
まあ、男性でも女性でもどっちでもかまわないんですけど、どっちか前提とする意識で、同じことが書いてあってもかなり受ける印象が違うもんだなと思います。

そして、ブログってのは事実とは違うことが書いてあることもあるんだろうな~と思ったりします。



だれも私が本当は男だと言うことは知らないだろうし、実は大金持ちで豪邸に住んでいるんだし、実は独身だし、・・・・な~んて、

それはウソだよ~ん。

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放大卒業式

2008-03-25 21:05:07 | 放送大学
今夜は家に家族がいないので、いいかげんな夕飯を食べて転寝をしたあと、ふとテレビをつけたら、放送大学の卒業式(学位記授与式)の様子が15分ほど放送された。
そうか、もうあれから1年経ったんだな~と思った。
自分が卒業したときは大して感動もしなかったが、インタビューに答える喜びの声など聞いていると、いいもんだな~と思えてきた。
たくさんの大学で卒業式が行われたはずだが、今年はテレビで卒業式の様子が放送されたのを一度も見ていない。娘の卒業式もいったいどんなものであったのか、その空気に触れることはなかった。でも、放送大学はもともと放送の大学だから、放送され公開される点では特権である。
そして、普通の大学は、入学して4年経てば卒業するのが当然だが、放送大学の場合は仕事をしながらの社会人が多いので、一応それなりの意志を持って取り組まなければ卒業にこぎつけない。だから、卒業もひときわ喜びが強いような印象を受けた。
式は毎年NHKホールで行われる。学習センターは東京の場合、筑波大・学芸大・一橋大と国立大学と併設されているところが多い。放送大学とは「国立」のような感じがするが、特別な大学で、一応私立大学なのだそうだ。
今日の卒業式の放送では、6つのコース全てを卒業したという人たちが数人並んで紹介されていた。どの人も年配の男性だった。やはり教養がありそうな雰囲気の人が多かった。
1人の人は14年かかったと言っていた。6つのコースを14年で出てしまうというのは、考えてみればすごい速さである。私も6つやってみたいものだと思ったが、何年かかるかな~。1つに6年かかっていたら、あと30年くらいかかるけど、そうすると80歳近くになってしまう。5年で25年、4年で20年、なんとか60代のうちにできるかな?
何か特別に研究したいことがみつかったら大学院もいいなあ~、などと空想だけが広がっていった。
とにかく、気を引き締めて今やるべきことをやらなくちゃいけない。

振り返ると19年度は悲惨だった。1学期に「物理の考え方」と「博物館経営・情報論」の4単位を取り、2学期は「実験基礎有機化学」の面接授業の1単位を取っただけである。
そのほかに履修したものの挫折したものがいっぱいあって書くのも恥ずかしい。
2月には「光の化学」の面接授業を申し込んであったのだが、娘のアパートの引越しとぶつかり、結局受講できなかった。それでも、たった1単位でも0よりはマシだ。そのほかに単位には結びつかなかったけど少しは知識となって残っているものがある。
自然科学系の専門科目はまだひとつも単位が取れておらず、あと36単位とらなければならない。
今年こそは、地道にしっかり勉強し、単位を取ろうと思う。

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墓参りにて

2008-03-25 01:44:55 | 未分類過去
今日は、いつものごとく仕事をし、特に何もなかったので、彼岸の墓参りのことを書こうと思います。

墓参りの仕方というのは、まず、本堂にお参りして、それから位牌堂にお参りし、最後に自分の家の墓を参るのが正しい順番だそうです。
でも、うちの場合、家からお寺に向っていくと、まず墓があり、その先に寺があり、それが傾斜地なので、上ったり下りたりするのが大変なため、自分の家の墓参りだけをして帰ってしまうのが手っ取り早いのです。
だから、お寺に行くのを省いてしまうことも多々あります。
あるとき、まず本堂をお参りするべきですよと和尚さんに教えられました。本堂に行かないのはウチだけではないようです。そして、正しいお参りの仕方を教わったあとも、相変らずお墓だけで帰ってしまうこともけっこうあります。それは、膝の調子の悪い母が、階段などを上り下りするのが大変ということもありました。

先日も、自分の家のお墓だけで帰ろうとしていたのですが、母がいつも放置されている墓があるからちょっと見てみようか、などと言い出して、その墓を見に行きました。そのお墓は近所の家のお墓で家族も普通に住んでいるそうですが、仏様が2人くらい入っているのに、まだ石塔も立てず彼岸にもお参りに来ていないらしいとのことでした。「仏が2人入っていても石塔が建ててないのはウチ(義母と義兄の墓)も同じだよ」と言うと、うちは実家の母が草取りや掃除などこまめにしているし、私たちもちゃんと墓参りしているのでわけが違うと母が言いました。
行ってみるとやはり墓参りされた形跡もなく放置されているようでした。
こういうお墓にお参りすると仏様がさびしがってついてきてしまうので、お参りするものじゃないんだって、と母が言い、母の知り合いにその仏様と面識のある人がいるそうですが、そういう理由でお参りはしないのだ、とのことです。
それでは、さらに誰もお参りしなくなってしまい、さらに仏は寂しくてしかたないのではないかと思ったしだいでした。
そして、母のように「どうなっているか見てみる」なんていう人が、見るだけ見て通りすぎて行くのでしょう。その墓について話す近所の人たちは、その墓を放置している家族に非難を向け、とんでもない家族だと噂をしたりしているようです。
ことさらそういうものに注目し、他人のことをとやかく非難するのは、あんまり気持ちのいいものではないです。何か事情があるんじゃないの?忙しいとか、具合が悪いとか、宗教が違うとか?などとは言ってみたものの、やはり近所に住みながら同居していた親のお墓参りもしないというのは違和感がありますね。

そのお墓を見るために足をのばしたら、知り合いの人のお墓もあったので、そこにはお線香を上げてきました。そしたら、本堂が近くに見えたので、本堂に寄ることにし、位牌堂にも行ってきました。
本堂には線香が常備されていて、それをあげればいいのですが、本来はお香は自分で持っていくものなのだそうです。これも、以前和尚さんから聞きました。だからと言って、自分でもってこいという意味ではないけれど、そういうものだという意識が必要なのでしょう。お賽銭箱もあるので、少しのお賽銭を入れました。それを即、お線香代と考えるのはちょっと合理的すぎるような気がしますが、母は線香代だと言っていました。神社などではお賽銭を、願いをかなえてもらうための、お礼の気持ちを表わすお金のように思ってしまいがちですが、本当はそれも変かもしれません。
その本堂には、「お墓参りにお線香を使う方は、ここからは持っていかないで、別に売っているので、買って下さい」といふうなことが書いてありました。
ということは、自分の家の墓のお参りをするのに、お線香を持参せず、この本堂に置いてある線香を拝借して使ってしまう人がいるということのようです。そんな非常識な人もいるのかと驚きます。うちも仏事のやり方などはよくわかりませんが、いくらなんでもそんなことはしません。お寺も大変ですね。

その後、位牌堂に行こうとすると、母が「そんなところまで行くのか」と省略したがりました。せっかく東京から墓参りに行って、本堂まで行っておきながら、位牌堂に行かないということもなかろうと思い、どうせならするべきことを一通りやるんだと言って行ってきました。位牌堂にも線香は用意してあるのですが、そこには「一本ずつ」という注意がきみたいなものが書いてありました。
確かに、一人一人が何本もあげるとお寺のほうも線香の消費が大変なんでしょうね。
本堂や位牌堂に足も運ばない人ばかりというのも困り者ですが、寺の線香を使い放題というのも困ったことのようです。

彼岸は墓参りの人が多く、墓も花できれいになっていますが、彼岸が終わって花が枯れても片付けない人が多いと聞きます。そうするとお墓はとても汚くなります。食べ物を備えたりすると腐ったりカラスが荒らしたりもするでしょう。それも、お寺の側としては悩みの種のようです。彼岸だけ盛大に墓参りすればいいと言うものではないのですね。

お寺の注意書きなどから、本来あるべき仏教の信仰心が欠如している人が多い様子が垣間見られるものでした。


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