山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

連休明け

2015-05-07 17:56:11 | 日記
連休が明けて、仕事の再開。といっても、もう1日行くとまた2日休み。そう思うと、あまり気が重くもならない。この2日を休みにして、さらに大型連休にしてしまっている人もいるようだ。

仕事はいくらか溜まっているが、今日中にどうこうというものではないので、定時にさっさと帰ってきた。日照時間はさらに伸びて外は明るい。お店に寄ると買いものをしてしまうので、寄らずに帰る。
この頃、「おいしいものが食べたい」という食い意地に取りつかれて困ってしまう。いいかげんなものを買うと、まずくて食べられない。貧乏人なのに、ある意味口が肥えているのだ。なんでもおいしく食べられるわけではない。
自分の自由になるお金で、自分の満足できる食べ物が買えるわけではないので、不満足なまま時を過ごす。こういうのって困る。

家に帰ってくると、部屋にこもる。この頃、「こもる」のが好きになってしまったのだ。玄関からみたら誰もいないような感じにしてしまうのだ。玄関側の窓に面した部屋の電気は消して、窓も閉めて、そして光が漏れないように、奥の部屋のドアを閉めて、そこに入る。ベランダ側は、覗く人もいないけど、レースのカーテンを閉めてしまえば、どこからも中が見えなくなる。そうすると、なぜか落ち着くのだ。引きこもりの人って、こういう快感に浸っているのかもしれない。
部屋は「巣」のようになっている。いろんなものがいっぱいで、その中に埋もれているのだ。なんか安心できるのだ。

これまでは、24時間カーテンを開けっぱなしで暮らしているのが習慣で、いつでも広々と外が眺められるのが気に入っていた。逆に、どこか遠くから望遠鏡で覗かれている可能性もあるけど、そんなことはかまわなかった。でも、この頃は外が見えないことで、なぜか安心してしまったりする。閉じ込められたら狭所恐怖症になるけど、自分からこもる分には構わない。出ようと思えば出られる。

子どものころは、よく「棲みか」を作って遊んだ。茂みの中に入っていくと、ススキなんかが自然にトンネルみたいなのを作っている場所がある。そんなところに段ボールを持っていって敷いて寝床を作ったりして、友達と遊んでた。お茶畑のお茶の木とお茶の木の間に段ボールやベニヤ板で屋根を渡して、その下を「すみか」にしたりもした。学校が終わると、さっそくすみかに入って遊ぶのだ。

家の中でもすみかを作った。ミシンのいすやオルガンの椅子を並べて、その上に布団をかけたりして、そして、椅子の下に潜るのだ。本当にすみかにこもるのは楽しいのだ。

ああ、そんな習性がこの年になって再発するとは・・・。なんか変だなあ~。

それでも、今日はまっすぐ家に帰るのはもったいない気がして、図書館に寄ることにした。もしかしたら、何か素晴らしい本に出会えるかもしれない。それで、人生が変わるかもしれないと思った。
で、図書館に行ってみたら、中に人がいっぱいいるのに、なんと休館日だった。利用者じゃなくて、働く人たちだった。
が~~~ん。パンプスで歩いて行ったから足が痛い。それに、図書館の近くの道が迷路のようで、歩きでも通り抜けられない道に迷いこんだりしてしまった。何年経っても道がわからん。

ハナミズキの花はもう終わってた。今はツツジがいっぱい。

もう初夏だよね。
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