写真は“独歩通り”にある桜橋と桜橋交差点です。
独歩通りとは、駅前の“スキップ通り”が終わったところから、この桜橋までの区間を言うようです。そして、この通り全体は田無から調布の甲州街道まで続く“武蔵境通り”であって、“独歩通り”は武蔵境通り含まれる一部分ということになるようです。
桜橋は玉川上水にかかる橋です。
橋の下は、このような水の流れになっています。
桜橋付近は、この玉川上水に沿った緑道に桜の木が多く、また特に、この交差点の東に広がる「境浄水場」内に咲く桜の木が驚くべきものであることを発見しました。(それについては後ほどあらためてご紹介します。)
この交差点に国木田独歩の石碑があることは、ネット検索で知ったのですが、目立たないところにあるとのことだったものの、すぐに見つかりました。
文学碑には「武蔵野」の中の次の部分が書かれています。
『今より三年前の夏のことであった。自分はある友と市中の寓居を出でて三崎町の停車場から境まで乗り、そこで下りて北へ真直に四五丁ゆくと桜橋という小さな橋がある、』
桜の花びらが、石碑の文面に舞い落ちていました。
このあとの原文は、次のように続いています。
『それを渡ると一軒の掛茶屋がある、この茶屋の婆さんが自分に向かって、「今時分、何にしに来ただア」と問うたことがあった。
自分は友と顔見あわせて笑って、「散歩に来たのよ、ただ遊びに来たのだ」と答えると、婆さんも笑って、それもばかにしたような笑いかたで、「桜は春咲くこと知らねえだね」といった。そこで自分は夏の郊外の散歩のどんなにおもしろいかを婆さんの耳にも解るように話してみたがむだであった。東京の人はのんきだという一語で消されてしまった。自分らは汗をふきふき、婆さんが剥《む》いてくれる甜瓜《まくわうり》を喰い、茶屋の横を流れる幅一尺ばかりの小さな溝で顔を洗いなどして、そこを立ち出でた。この溝の水はたぶん、小金井の水道から引いたものらしく、よく澄んでいて、青草の間を、さも心地よさそうに流れて、おりおりこぼこぼと鳴っては小鳥が来て翼をひたし、喉を湿おすのを待っているらしい。しかし婆さんは何とも思わないでこの水で朝夕、鍋釜を洗うようであった。
茶屋を出て、自分らは、そろそろ小金井の堤を、水上のほうへとのぼり初めた。ああその日の散歩がどんなに楽しかったろう。なるほど小金井は桜の名所、それで夏の盛りにその堤をのこのこ歩くもよそ目には愚かにみえるだろう、しかしそれはいまだ今の武蔵野の夏の日の光を知らぬ人の話である。』
小金井は、桜の咲く季節が良いと言われていますが、夏の盛りの散歩もすばらしいことが書かれている場面です。
独歩さんは、自分の書いた文章が、後世になって、ここに石碑となって刻まれるなんて思いもしなかったかな?なんか不思議な事だな・・・。
この碑は、独歩の50回忌(昭和32年)に建てられたものらしいです。
しかも、道路まで「独歩通り」なんて名前になっているのですからね。
小金井は本当に良いところですね。
クルマの運転をしなければ、私はこの道路と出あうこともなかったでしょう。
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