山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

コロナ禍の面接授業は無理

2022-05-14 16:25:13 | 放送大学

今日と明日は、朝から夕方まで放送大学の面接授業を受ける予定だったが、1時限だけ受けて帰宅してしまった。

これ以上、教室にとどまっても何も頭に入らず、まるで意味がないと判断したからだ。

まず、先生はマスクをして、透明アクリル板の向こうで講義をしているわけなのだが、どうも何を言っているのかはっきりしない。

マイクを使っているので、アクリル板で声が隔てられているわけではなかろう。どこかのスピーカーから出ているはずなのだが、やはりマスクのせいなのか、そもそもマイクが音声を鮮明に受け取っていないのかもしれない。声は聞こえるが、何を言っているのか意味を聴き取るのが難しい。

それから、換気のために、教室の廊下側の扉が開けっぱなしになっており、教室の窓も開けっぱなしになっている。そして、廊下の窓も開けっぱなしになっている。

そのため、外気が素通しになり、ものすごく寒い。

最初は歩いてきたので、暑くてマスクの中の汗を拭いたりしていた。メガネもマスクの上部から漏れ出た自分の息で曇ってしまい、メガネを外して拭いたりしていた。

それはそれで、困ったが、そのうち落ち着いてくると、今度は寒くなってきた。上着を着たがやはり寒く、カバンの中にストールを見つけてそれを上着の上からかぶったがそれでも寒い。

これでは、換気によってコロナウィルスを排除する効果よりも、自分の体温が下がり、免疫力が低下して、冷えによって新型コロナ以外の風邪をひいてしまいそうである。しかも、この状態が夕方まで続くのはどうしたって無理だ。

それから、どの教室もドアが開け放されているので、隣の授業の声が聴こえてくる。そのせいで、自分のクラスの先生の声がさらに聴きづらくなってしまっている。

なんとか、一生懸命集中して、何を言っているのか聴き取ろうとすると、わかることもあるのだが、そういう注意力はそうそう長時間続くものではない。

1時間目が終了したときに、結局先生が何を話していたのか10%くらいしか理解できていないことに気づいた。

これはもう無理だ。この授業内容のようなことを知りたかったら、図書館から本でも借りてきて自分で勉強したほうが良いだろう。

ということで、どう考えても、今日の午後や明日の午前午後をこのような状況で受講することは無理だと思い、帰ってきた。

・・・

コロナ禍になって初めて授業というものを受けたのだが、授業中に声を出して質問することもできず、質問用紙に記入して提出すると、それに対して答えてくれるらしい。

授業では教える人と教わる人との相互関係ができにくい。

また、先生がマスクをしているので、口が見えず表情も見えず、アクリル板の向こうにいる。

先生のほうからも、マスクをした受講者たちでは表情も見えないだろう。

きっと、どの学校もこんな感じなのだろう。学校生活は幼稚園児・小学生から大学生までつまらないだろうなと察する。

楽しいはずの給食も、前を向いて14分間で黙って食べるそうだ。フォークダンスもビニール手袋着用。音楽では歌も歌わないとか。

私ももう放送大学は潮時かな?と思い始めた。

単位を取って卒業することは、目的にはなり得ないし、意味のないことである。

面接授業の受講料を払ったからと言って、2日間我慢して教室に座っている意味はない。しかも、マスクをつけたままでいなければならないので、耳も痛くなってくるではないか。

これは、自由に時間を使ったほうが有意義である。



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