goo blog サービス終了のお知らせ 

山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

引っ越し先は
https://ask0065.hatenablog.com/です

短大1年6月11日の日記

2012-05-29 18:18:32 | 学生時代の日記
197X年6月11日(日) 23:30

まじめな「安定」を望むと1日の生活を書くという日記方式になるのである。一昨日からきのうの朝まで、一睡も睡眠を取らず起きていること30時間という記録を作った。不思議とめまいも頭痛も吐き気も動悸もなく、全くの正常で、あらためてキョウケンであることを思い知った。
それでも、だんだんアタマが痛いような気になってきたので、午後1時30分、寝ることにした。夕6時に目がさめた。

徹夜の夜中、何をしていたかというと、イヤでイヤでたならなく、フトすると眠ってしまう危険を遠ざけるため「仮面の告白」を声を出して読み、わからない字から意味から暗示から、気づくものすべてを取りだして、バカのように精密に読んでいたのだ。さすがに疲れると、ラジオをつけてオールナイトニッポンを聴いていた。次にやる気が起こるまで気長に待つ。3時ころからまた始め5時まで。

その後、みそ汁を作って、カセットを聴いて、ついに8時20分、家を出発した。期待していた目の「くま」ができなくて残念であった。

□□先生にはかなわない。私は「『金閣寺』はつまらない。気分が悪い。文学の中の文学というが、私の生活には何もプラスにならないし、私とは関係がないと言いたくなる」と、言いたいことを言った。
すると、先生は「きわめて健康な人間だ」と言っておいて、「確かに、読者の生活には関係ないけれど~~~~~」なんとかかんとか言って、後に私が「私は今まで文学というものは、読んだあと自分のためになって、生きていく上でプラスとなるものと思っていたが、金閣寺が文学の中の文学とすると、私が今まで文学だと思っていたものは文学ではなく、それで、今文学とは何か、全くわからなくなってしまった」と言ったら、「三島のこれは、確かに人が生きるためになるというようなものではない。しかし、よくある小説は読んでいるうちに先が読めてしまうということが多いが、これは全く違う。また、この小説は全体でなく、一部を読んだだけでも、その完璧さには感心してしまう」と、いろいろな事を言った。

なんとなく文学というものが、わかってきたような気もしてきた。まったく、私の目のうろこを□□先生は、小指の先でちょっと触って落としてしまうようである。
しかし、今でも文学に対して思うのは、「金閣寺」のような文学とは、本当に贅沢であると思うのだ。毎日ヒイヒイ言いながら多忙に働いている人間には無用のもの。もしそんな人間が「金閣寺」を読んだら、気分が悪く、マイナスになるだけである。分析したり、考えたりしながら、何度も読みかえすヒマのある人間のものなのだ。
謎解き―それ以外の何であろうか。少なくとも人生の糧ではない。精密なる才能を感じながら、知恵の輪を解いているようである。人間をだましこむこと、精密な構成によってうそをホントにすること、文学のための文学、芸術のための芸術である。そして、言葉の効果をきわめる術だ。

私は「生」のための文学、いや小説を書きたいと思う。文学の中の文学がこういうものになってくると、演劇の中の演劇とは、ますます複雑になってくる。そして、芸術の極限、それはいったい何なのか。てんでわけがわからなくなってくるではないか。

        ・・・・・・・・・・・・・・・

今、私のなりたい職業というのは、図書館司書以外にはない。自分の才能と適性・価値判断の上でである。××図書館に行くと、図書館というものが社会の中の重要な1つの歯車であることを感じるのである。確実に社会のプラス方向に息づいている。
そして、私自身利用者として、××図書館及び司書によって、プラスをもたらされているから、価値を感じている。図書館か又は本屋、図書館的書店、何かの本を買う人の相談を受け、本に精通していて、いろいろ説明できる店員。そういうものは実現できるであろうか。○△という郷土においてそれをすること。○△を本当の国際観光温泉文化都市にすること、それが私の課題と思っている。市民劇場なども、もっと繁栄させるべきである。

★  ★  ★

現在の所感

□□先生は、本当に誠意を持って、学生の意見に答えてくれたものだと思う。
こんなことすっかり忘れていた。いい先生だった。

今はたぶん70代だと思いますが、ご健在でどこかの大学で教えられていると思います。

「金閣寺」や「仮面の告白」 もう一度読んでみたくなりました。

文学のことを書いたあとに、いきなり図書館か書店で働きたいと書いているのはどういうつながりかと思いますが、
文学や芸術の世界は、自分にはとても太刀打ちできるものではないと悟って、現実的な判断をしたらしいです。
また、あこがれて東京という都会に出てきたものの、やはり生まれ育った故郷が良いと感じているようです。

コメント    この記事についてブログを書く
« 短大1年6月9日夜の日記 | トップ | コミュニケーションの難しさ »

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

学生時代の日記」カテゴリの最新記事