山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

「久永強」が絵で伝えたこと

2013-10-05 22:20:03 | 美術・美術館
世田谷美術館「アンリ・ルソーから始まる」にて



今回の企画展で一番衝撃的だったのは、久永強(ひさながつよし)という人の絵が数十枚展示されていた6番目の展示スペースでした。

最初は、何も考えないで入っていったのですが、その絵のあまりの暗さに「何これ、黒くて全然見えないよ」と思って、数枚をよく見もせずに進んでしまったのです。
ある絵まで行くと、森の中で大ぜいの男性が労働をしているような絵があり、それが戦時中、シベリアで日本人捕虜が作業をさせられている絵であることがわかりました。シベリアの日照時間は短く、光は暗い。収容所には電気もろくにない。ああ、それで、こんなにも暗闇のような絵だったのか、実際に暗かったんだ、とやっとわかり、それからは、絵の内容をよく見て、説明を読みながら進みました。

これらの絵は、この人が日本に戻ってきてだいぶ経ってから描いたようです。他の人が描いたシベリアの絵が、自分の経験とはあまりにも違っていたため、自分自身の真実の経験を描かなければいけないと思い立ち、また、日本に帰れずに現地で亡くなっていった兵士たちの姿や思いを伝えるのは自分の役割だと思ったそうです。

収容所は、暖房も電気もないような真っ暗な場所で、食べ物ももらえず瀕死の状態で、仕事をさせられ、同僚は次々に餓死していってしまった。
粗末な食べ物が、暗闇の中で分配される。食べ物は足りない。
日本に帰りたい、昔食べていたおいしい食事をしたいと、願いながら死んでいく仲間。
ある日の夜、いつになく流暢に故郷の楽しい話をし続けた仲間が、翌朝起きたら餓死していたこともあった。自分もいつそうなるかわからない。捕虜が亡くなると、衣服を剥ぐように命令されて、裸にしなければならなかった。それから穴を掘って埋める。数人がいっぺんに亡くなり、いくつも穴を掘って遺体を埋めなくてはならない。やせ細った身体。
真冬は、遺体を一晩置いておくと骨までも凍ってしまって、ちょっとした衝撃でも氷のように割れてしまう。過酷な環境に耐えかねて自殺してしまう人もいた。青年将校は、日本軍の中では地位が高かったが、捕虜になると他の兵隊と同じ扱いで、気が変になり、自分の指を鉈で切り落としてしまった。渡り鳥を見て、鳥のように翼があれば日本に帰れるのにと思う。多くの絵は、光のない場所で、土色のやせ細った人々が、やっと生きているか、あるいは死んでしまった人が描かれていた。ロシアの若い華やかな色の服を着た女と、死人のような捕虜の姿が退避されて描かれているものもあった。ロシア人とて配給の食べ物を少しばかり持ち帰るような庶民のおばさんの姿もあった。
森の中に大きなキノコが生えている絵(上の写真の中央右上寄りにある黒い絵です。)は、その中ではちょっと変わっていた。夏になると植物も生えてくるそうだ。しかし、森の中は蚊などがたくさんいて、人が入って行くと血を吸うために大群が押し寄せてくる。だが、そこには巨大はキノコが生えているので、それを採って食料にできた。森のキノコは貴重なごちそうだった。
説明とともに、このような内容の絵が描かれていた。
この絵は、決して飾って眺めるような絵ではなく、仲間が、どんな思いで命を終えたかを伝えるために描かれた絵であった。
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