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山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

引っ越し先は
https://ask0065.hatenablog.com/です

団地の女学生(伏見憲明)

2012-09-09 22:30:40 | 読書
今日は、また30度を超す残暑の日だった。午前中はまだ涼しかったが、午後になって昼寝をしているとものすごく暑くなってきた。時刻はちょうど3時。ついに冷房を入れた。

それから、何もすることがないので、本を読み始めた。
ブックオフで200円で買った「団地の女学生」という本だ。
この単行本(集英社)には、2つの小説が載っていて、最初の作品は「爪を噛む女」であり、もうひとつが「団地の女学生」である。「爪を噛む女」が先に載せられていてしかも長いのに、なぜ本の題名が「団地の女学生」なのかと思うが、そういえば最初の「爪を噛む女」の登場人物も、元は団地の女学生なのだった。
どちらも虚しく人生が過ぎ去って行く様子が描かれている。

人生を簡単に「虚しい」なんていうことばで片づけるべきではないのだろうが、理想の人生を遂げられないまま、時間が冷酷にも過ぎ去っていくことを、自分の人生と重ね合わせても、実感しないではいられない。
それは、目をそむけることのできない事実である。

本屋で、何か別の本を立ち読みをしていたときに、この作品についての書評のようなものを見たような気がする。その内容をはっきり覚えてはいないのだが、この作者は1963年生まれの中年男性なのに、よく女性の心がこんなにもわかるものだと思う。

どんなにいやでも、人はこういう道を通っていかなくてはならないのだ。
今後、老いていく自分に、覚悟を決めるしかないと思った。

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本当にお金がない

2012-09-09 11:25:49 | 日記
が~ん。
今日は、久しぶりに車でどこかにでかけようかと思ったんだけど、
財布の中にお金がないじゃんです。
1000円くらいはあるんですけどね。

キャッシュカードで下ろせる銀行のお金はすべて1000円を切っております。
数日前、給与振込口座には16000円残っていたんだけど、ここから18000円駐車場代が引き落とされるから、マイナス2000円くらいになる見込みです。
総合口座だから、さらにマイナスにするという方法もありですが、極力控えたいです。
あとは、別の口座に隠し金というのがありまして、
そこで2万くらい下ろせるんだけど、なんとキャッシュカードを作ってない。
通帳と印鑑で下ろさなくてはならないのだ。
つまり、休日はおろせないのであった。

これでは、車に乗ってって、駐車場に置くだけも不安ですね。
いざというときに現金がないとなあ~
ただ走りまわってもどってくるんだったら、お金はいらないけど、
やっぱりいざという時に、現金がありませんじゃ困りますね。

そんなわけで、今日も自宅に引きこもりです。
近々、印鑑と通帳もってお金をおろしに行かなくては。

夫が冷蔵庫とエアコン修理でお金がないというので、何にももらえないので、
こっちも困ったことです。
まあ、日常の買いものは、カードで買い、翌月夫の口座から引き落とされますので、飢え死にすることはありません。

ちょっと夫の部屋にいって、どこかに現金が無いか探してみよう。
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新聞記事より

2012-09-09 10:21:44 | 日記
毎日、何もしないで過ぎ去る最近。
新聞くらい読まなくてはと思いつつ、広げてみるけれど、箸にも棒にもかからない記事ばかり。というか、この表現はおかしい。重要な記事は多いはずだが、私のマヌケなアタマに何のアンテナもないので、何1つ拾い上げることができないだけだ。

今日も、一応新聞を見てみた。
讀賣新聞の第1面には、“国益に背く「原発ゼロ」”なんていう私とは全く逆意見の記事がでかでかと載っている。原発で安価に発電しないと日本の製造業は成り立たないので、今の政策は間違っているとかいう意見のようだ。
原子力発電によれば、日本が現時点で電気を安価に作り出し、ものを製造して景気をよくできることは否定しないが、地震が多い日本で、原発が安全を保てるとは思えないし、1番の問題は放射性廃棄物の問題だろう。
原発を廃止するには莫大なお金もかかり、原子力発電以外の発電法も効率がよいものではなく経費もかかるのが事実だ。しかし、お金の問題ではない。どんなに費用がかかろうと、人間にとって危険な放射能の元は無くさなくてはいけないと思う。何ら事故が起きないとしても、放射性廃棄物は作られていくのであり、その処分場のめどもたっていない。未来にたくさんの問題と課題を残したまま、今現在がよければそれでよいというのはおかしい。
どんなに苦しくとも、どんなに費用がかかろうとも、この何十年かのうちに脱原発を達成しなくてはいけないと思う。
今までの豊かな暮らしなんかできなくてもいい。もっと暗くてもいいじゃないか。

一方、新聞のその記事の下に全く無関係の「編集手帳」の囲み記事がある。
そこにはカフカのことが書かれていた。

概略
カフカは極端なマイナス思考の持ち主であり、その著書の中には「将来に向かって歩くことは、ぼくにはできません。将来に向かってつまづくこと、これはできます。いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」という文がある。
カフカは死後になって文豪と称されたが、長編小説はすべて未完であり、結婚も望んだのにできなかった。何1つ成さずに後ろばかり見ていた40年の生涯だった。
でも、カフカは自殺だけはしなかった。それは「倒れたまま」でいたからかもしれない。
絶望の岸辺にはほんの少し、身体を横たえる場所がある。生きるのも嫌と思ったときには、自分を責めて自殺などせず、どうかそこに倒れていてほしい。
というものだ。

近年、生きるのも嫌だと自分を嘆いて、無関係の他人に刃物で切りつけたり、車で突っ込んだりして、多くの人を巻き込んで死に至らしめ、自分も死刑になりたいなどという人間さえ出没している。

実際に、そんな行動を起こさなくても、そんな気持ちになりそうな人は幾人もいるのかもしれない。そんなのは特殊な精神状況の人であるとしても、自分自身を非観して自殺を考える人も多い。
自殺まで考えなくても、現状を打破しなくてはと、もがき苦しむ人は多い。
でも、「そのまま倒れている」という選択肢もあるというところに、はっとさせられる。
起き上がらなくてもよいのだ。

ところで、カフカはここに書いてあるように「何1つ成さず後ろばかり見ていた40年の生涯」だったのか?
長編は完成しなかったけど、短編は完成させた。何1つ成さないわけではなかった。
「変身」は私も読んだ。虫に変身してしまった主人公が、最後には部屋の片隅で忘れ去られて死んで行くストーリーは今でもよく覚えている。
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短大1年の日記

2012-09-09 09:06:43 | 学生時代の日記
197X年9月9日

 宿題の手もつけないまま、ずうずうしくゼミに行った。そうしたら、Iさんだけしか来ていなかった。話によると、朝早くWさんから電話があり、宿題を終えて寝ようとしていたのを妨害されたのだそうだ。
それで、宿題がやりきれないがどうしようかと、遅刻しても行ったほうがよいだろうか、ということで、迷っているという電話だったそうだが、今日来なかったことには、やはりやらないで来る勇気がなかったらしい。おそらくOさんもそうである。Wさんなんかは、封書で送るとかいう話で、全く良心的である。

 最終的には7人来たが、ほぼ全員が朝までやっていたのだった。私だけ、11時頃から起きて、3時半ころから眠ろうとして眠れず、暗闇を見つめて夜を明かした。なんて不真面目な人間なんだろう。いつからこんなになったか知らないが、ゼミの中ではもちろん1番不真面目であり、部活の中でもそうみたいである。

先生はなかなか来なかった。学校が始まっているのを知らず、50枚ほど原稿を書いていて、2階の2部屋を足の踏み場もないほどにして、頑張っていたのだという。学校に着いたのは11時半の古典演習の時間であった。次の古典の時間から、生徒の自主的活動にするため、ますます厳しくなる。

古典を終えてからゼミが集まった。夏休み中の事など話し、他の人から宿題を集めたが、普通1回目のゼミはみんなできなくて休むのだと言う。ますます自分はずうずうしいと思うが、今回休むと今までサボっているから、危ないのだ。

12時ころ、3人が帰って行った。残った4人でまた先生といろいろ話し、先生が遅れた償いとして、昼食をおごってくれることになり、タンメンやチャーシューメンを食べた。
その後、T先生やB先生が本を運んでもらいたいというので、手伝った。服が汚れるので白衣を借りた。気分がよかった。

その後、研究室で助手のT先生たちのむいてくれたナシを食べながらテレビを見る。
T先生、「こんなのつまらないわよねえ、何かもっといいのやってないかしら。ゴルフやってないかなァ」と言ってチャンネルを変える。
なんだか、すごくおかしかった。ゴルフなんか面白いかなァ。しかしT先生やB先生を見ていると、またまた いいなァ と思ってしまう。2人ともお化粧もせず、真っ黒に焼けちゃって、シャツとGパンである。しかし、ずいぶん楽しそうである。2人ともこの短大を出て、どこかの夜間へ行き、大学院へ行って今に至っているとかいう話である。

あー、あの白衣の着心地のよさ、それで、助手や副手の先生たちといて、すごく楽しかったんだ。私もなんとかして夜学にでも転入し、その先生たちと同じになりたいなァ。
そのためには、ゼミの宿題をしっかりやるべし。10月7日までである。
気を抜いてはいけない。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2012年9月9日
最近、アタマが働かず、何にも思い浮かばない毎日。
そこで、久しぶりに学生時代の日記帳を開いてみることにした。
9月9日は、夏休み明けの初めてのゼミの日だった。
この日の宿題はどんなものだったのか、まるで覚えていないし、ここには書いてないけど、
相変わらず、やるべきことをやらずに未消化状態だったようだ。

短大時代、ゼミ用の小さな部屋で、みんなでラーメンを食べたことがあるのは記憶にあったが、
この時のことだったのか、とわかった。
この時の助手の先生たちは、短大の初期のころの卒業生であり、私たちの大先輩になる。
3人くらいいらっしゃり、当時20代後半から30代前半だったと思う。
後には助教授などになられたと思うが、その後新しい助手ができたことはないようだ。
それにしても、皆さんとても気持ちの良い先生だった。

文学部で「白衣」っていうのは、何でだろう?と思う。
白衣は、高校の時に化学の実験で着たことがあるけど、
現在、放送大学の実験では、自宅のエプロンを持っていく。
本を運ぶのには、エプロンで充分そうだけど、白衣のほうがかっこいい。
しかし、今ではお医者さんでも白衣を着なかったりする。

当時、宿題もやらないくせに、夜学に転入したいなどと考えていた。
実際には、成績が悪く、転入のことなど短大の先生はとても相談もできなかったな。

若いころの日記を読んで、ちょっと元気がでた。
この時、2学期からは新しい日記帳になっている。
夏休みまでは、普通の大学ノートで、それも途中のページで中断していて、
9月からは、ビニールの表紙のついた立派なノートになっているのだ。
心機一転しようとしたようだ。


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印象の危険

2012-09-09 01:28:12 | 日記
今、自動車保険の会社を変えようかと迷っているところなのだが、どの会社がよいかを決める判断材料として、事故対応時の顧客の満足度っていうのがある。
それを見ると、例えば、「90%以上の人が満足しています。」等という結果が出ている。
9割の人が満足していたら、それは、良いのだろうか悪いのだろうか?
一見、良いと思うわけだが、まてよ、10%弱の人が、あんまり満足ではなかったということか?もし、自分がその10%に入ったらどうなるのだろう?統計というのはなかなか難しいものだ。

そういえば、統計ではないのだが、私はごくまれに手持ちの仕事が全くなくなることがある。その時には、「手が空いているので、何か仕事がありませんか?」等というメールを関係する人々に送ったりする。そうすると、すぐにいろんな人が仕事を依頼してきて、かなり忙しくなる。
ところが、そのメールを見た人の中では、私の仕事がいつもヒマなんだろうと思っている節があるのだ。それは大きな誤解だ。今年度になって、私は、仕事募集のメールを2回出しているが、その2回以外には、全く仕事は途切れたことがなく、むしろ時間内に終わらせきれないような状況が多い。しかし、たった2回、「今手持ちの仕事がありません」と伝えただけで、1年中遊んでいると思われてはたまらないのである。

これも、事実とは違う印象を与えてしまう例である。仕事がないときだけ連絡をするとそういうことになる。その他の日に、毎日「仕事がいっぱいあって死にそうです」というメールを出し続ければ、やっと事実を理解してくれるのであろう。

そんなわけで、世の中には、印象だけでは事実がわからないということが結構ありそうである。

まあ、保険に関しては、100%の人が満足するなんてことはあり得ないだろうから、90%でよしとするべきかもしれない。



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