「人望」とは辞書によると「他人から寄せられる信頼・崇拝・期待の念」という意味になっている。
では、「人望の厚い人」というのはどうやって生まれるのであろうか?言い換えれば「人望の厚い人」はどうやって育つものであろうか?
人は甘やかされた環境ではろくなものにならないが、かといって厳しい環境のもとで育てば立派に成長するというものでもない。その人の生まれながらに持った能力や性格も無視できないが、周りの環境がどうだったら人から信頼されるような均整の取れた健全な精神の持ち主になれるのだろうと思う。
というのも、私の場合、とても人望が厚いとは言えず逆であり、その原因は、どちらかというと虐げられて育っているために、自信がなく、隅の方に隠れて目立たないようにすごすというような子供時代を送ってきたからだと思えるのである。
子どもの頃から虐げられて何も期待されなかったということは、能力がなさそうに見えた(あるいは本当になかった)から期待をする価値もないと判断されたのであり、親のそのような態度にあわせてそれなりに控えめに生きて、その挙句責任を負って何かをするのも苦手になってしまったのが自分である。
こんなことを急に書く気になったのは、先日姉と子どもの頃の思い出を話したことがきっかけだ。
私にとっては、姉は私と違って人望が厚いと思っていた。確かにそれは事実であるのだが、その姉でもかなり精神が屈折していたんだなと思う事を聞かされた。親戚の中では人望が厚そうだった姉なのに、どこかひがみ根性が私と共通しているのは同じ家庭に育ったからだろうと思った。
私の2学年下に、従妹がいるのであるが、この従妹は国立大学を出て現在教員をしており、子どもも3人いて、仕事と家庭を両立させており、充実した人生を送っている。従妹は性格も良いために親戚中でも評判がよい。子供のときから優秀で親の期待や信頼も強かったようだ。この従妹は客観的に見て、人望が厚い人といえるだろう。
この従妹であるが、小さいときに東京から毎年のように海水浴場が近くにある私の実家に家族で泊まりに来ていた。この従妹の家族が来ると、近隣の従兄妹家族もやってきて子どもたちがたくさん我が家に集まることになった。
ある年の夏の午後、私の母が仕事でいないときに、従妹弟と叔父叔母たちで海水浴に行ってきて、我が家の風呂を沸かし、順番に浴びて、そして軽食などを取っていたときがあった。
そのときのことは私も今でも覚えているのであるが、お客さんである従妹弟たちが3家族ほど次々に風呂に入り、また海に入らなかった人たちが楽しく物などを食べているときに、私は廊下の隅や裏口や階段の途中などに時々場所を変えながらずっとずっと水着を着たまま腹を空かせて風呂が空くのを待っていたのだった。
従姉妹たちは風呂にゆっくりつかり髪の毛を洗ったり、叔母がそこでついでに水着を洗ったりしているために非常に時間がかかった。居間には叔父たちがくつろいでおり、私はどこにも身を置く場所がなく、こんな時間が限りなく続いていくのだろうかと思った。
そのときのことなのだが、姉の話によると、濡れた水着のまま台所で一人の叔母と一緒にラーメンを作り、叔父たちや風呂から上がった子どもたちに食事の用意を延延としていたのだという。父からはせかされ、叔母からはラーメンの作り方で怒られたりし、それがとても辛かった記憶が残っているのだそうだ。
姉が言うには、飛鳥は小学生だったから何もしなくて良かったが、自分は中学か高校生で母親代わりに家事をしなくてはならず、親戚はみんなお客さん気分で、こっちは使用人のようでとても惨めな気持ちだったとのことである。
「でも、おねえちゃんはすることがあったからいいけど、私はいる場所もなかった」などと話し、2人して相手をうらやましく思いながら辛い思いをしていたことに気付いた。
こんなときに、私たちは、従妹弟たちの役に立っているのだから嬉しいことだと思うことができない不健康な精神状況になっていて、そういう心持ではとても人望が得られるような人格には成長できないわけだと思った。
まずは、自分が犠牲になることにも価値観が見出せないとダメであろう。そんなときに大人からのねぎらいの一言でもあったら心が晴れたんだろうなと思った。
私は姉が従妹弟の中で一番年上でいつも優しく親切に接し、どの従妹弟からもとても慕われていたので、姉自身も満足していると思っていた。
その2学年下の東京の従妹は、実際には1年とちょっとの年齢差であり、体は私よりも大きく、プールで競争をしても私が負け、ピアノも私より進んでいるという状況で、私などは眼中になく、私の姉ばかりを慕っていた。
その母親である叔母も姉ばかりに話しかけ、その従妹の勉強やピアノについては姉にアドバイスを得るように仕向けていたと言える。私が自分を屑だと思うのは毎夏のそういう経験も要因になっている。
ところで、先日姉からびっくりするような事実を聞かされた。
子どもの頃、この従妹が姉を慕って手をつないできたときに、姉がこの子の手を振り払い、思いっきりつねってやったことがあると言うのである。姉にとってはそんなにもこの従妹がうっとうしく迷惑な気持ちだったのだそうだ。
へえ、と驚いた。私は従妹が来ている間中、姉は従妹弟たちを最高にかわいがっており、私は自分が姉からそのようにかわいがられたことがなかったので、かなり嫉妬していたのである。しかし、私は姉に手をつねられるほどのしうちをされたことがない。
そのときの従妹であるが、手が真っ赤になってその後べそをかいていたのだそうである。そのようすを見て不審に思った叔母がどうしたの?と従妹に聞いていたのだそうである。しかし、従妹は姉につねられたとは叔母に言わなかったそうだ。
姉は「やっぱりあの子は小さいときから賢い子だった」と言っていた。
従妹はきっと瞬時に自分の行動に対する姉の気持ちを悟ったのであろう。
従妹は長女であったので、めずらしく7歳も年上の姉に接して甘えることができ有頂天になっていた自分に気付いたのだろう。ふだんは本人がしっかりしたお姉さんであるわけだった。
その弟は従妹に比べると頼りなく成績ももうひとつという感じが、叔母の言動を通してよくみえた。頭がよく体も丈夫な長女である従妹は、体が弱く頼りない性格の弟の面倒をよく見るしっかりものの姉であり、いつも中心的な存在であった。
そして、叔母の期待に答えて順調な道を歩んで行った。
叔母のフィルターを通して見る従弟は従妹に比べて見劣りし、実際に大人となっての学歴や仕事、結婚後の家庭状況を見ても、その通りと言えるが、私からは自分を見るような気持ちにもなり、頑張ってもらいたいと思う。
人望の厚い人とは、まずは自分自身に能力があって自信があり、その上に他人をも尊重できる人なんだろうが、そういう健全な人はなかなかいない。
どう考えても、人望の厚い人よりも、虐げられた不健康な精神構造をもつ人の割合が多いように思うし、また、人から見て人望が厚い人でも、当人の心の中には劣等感や傷があったりするのかもしれない。
では、「人望の厚い人」というのはどうやって生まれるのであろうか?言い換えれば「人望の厚い人」はどうやって育つものであろうか?
人は甘やかされた環境ではろくなものにならないが、かといって厳しい環境のもとで育てば立派に成長するというものでもない。その人の生まれながらに持った能力や性格も無視できないが、周りの環境がどうだったら人から信頼されるような均整の取れた健全な精神の持ち主になれるのだろうと思う。
というのも、私の場合、とても人望が厚いとは言えず逆であり、その原因は、どちらかというと虐げられて育っているために、自信がなく、隅の方に隠れて目立たないようにすごすというような子供時代を送ってきたからだと思えるのである。
子どもの頃から虐げられて何も期待されなかったということは、能力がなさそうに見えた(あるいは本当になかった)から期待をする価値もないと判断されたのであり、親のそのような態度にあわせてそれなりに控えめに生きて、その挙句責任を負って何かをするのも苦手になってしまったのが自分である。
こんなことを急に書く気になったのは、先日姉と子どもの頃の思い出を話したことがきっかけだ。
私にとっては、姉は私と違って人望が厚いと思っていた。確かにそれは事実であるのだが、その姉でもかなり精神が屈折していたんだなと思う事を聞かされた。親戚の中では人望が厚そうだった姉なのに、どこかひがみ根性が私と共通しているのは同じ家庭に育ったからだろうと思った。
私の2学年下に、従妹がいるのであるが、この従妹は国立大学を出て現在教員をしており、子どもも3人いて、仕事と家庭を両立させており、充実した人生を送っている。従妹は性格も良いために親戚中でも評判がよい。子供のときから優秀で親の期待や信頼も強かったようだ。この従妹は客観的に見て、人望が厚い人といえるだろう。
この従妹であるが、小さいときに東京から毎年のように海水浴場が近くにある私の実家に家族で泊まりに来ていた。この従妹の家族が来ると、近隣の従兄妹家族もやってきて子どもたちがたくさん我が家に集まることになった。
ある年の夏の午後、私の母が仕事でいないときに、従妹弟と叔父叔母たちで海水浴に行ってきて、我が家の風呂を沸かし、順番に浴びて、そして軽食などを取っていたときがあった。
そのときのことは私も今でも覚えているのであるが、お客さんである従妹弟たちが3家族ほど次々に風呂に入り、また海に入らなかった人たちが楽しく物などを食べているときに、私は廊下の隅や裏口や階段の途中などに時々場所を変えながらずっとずっと水着を着たまま腹を空かせて風呂が空くのを待っていたのだった。
従姉妹たちは風呂にゆっくりつかり髪の毛を洗ったり、叔母がそこでついでに水着を洗ったりしているために非常に時間がかかった。居間には叔父たちがくつろいでおり、私はどこにも身を置く場所がなく、こんな時間が限りなく続いていくのだろうかと思った。
そのときのことなのだが、姉の話によると、濡れた水着のまま台所で一人の叔母と一緒にラーメンを作り、叔父たちや風呂から上がった子どもたちに食事の用意を延延としていたのだという。父からはせかされ、叔母からはラーメンの作り方で怒られたりし、それがとても辛かった記憶が残っているのだそうだ。
姉が言うには、飛鳥は小学生だったから何もしなくて良かったが、自分は中学か高校生で母親代わりに家事をしなくてはならず、親戚はみんなお客さん気分で、こっちは使用人のようでとても惨めな気持ちだったとのことである。
「でも、おねえちゃんはすることがあったからいいけど、私はいる場所もなかった」などと話し、2人して相手をうらやましく思いながら辛い思いをしていたことに気付いた。
こんなときに、私たちは、従妹弟たちの役に立っているのだから嬉しいことだと思うことができない不健康な精神状況になっていて、そういう心持ではとても人望が得られるような人格には成長できないわけだと思った。
まずは、自分が犠牲になることにも価値観が見出せないとダメであろう。そんなときに大人からのねぎらいの一言でもあったら心が晴れたんだろうなと思った。
私は姉が従妹弟の中で一番年上でいつも優しく親切に接し、どの従妹弟からもとても慕われていたので、姉自身も満足していると思っていた。
その2学年下の東京の従妹は、実際には1年とちょっとの年齢差であり、体は私よりも大きく、プールで競争をしても私が負け、ピアノも私より進んでいるという状況で、私などは眼中になく、私の姉ばかりを慕っていた。
その母親である叔母も姉ばかりに話しかけ、その従妹の勉強やピアノについては姉にアドバイスを得るように仕向けていたと言える。私が自分を屑だと思うのは毎夏のそういう経験も要因になっている。
ところで、先日姉からびっくりするような事実を聞かされた。
子どもの頃、この従妹が姉を慕って手をつないできたときに、姉がこの子の手を振り払い、思いっきりつねってやったことがあると言うのである。姉にとってはそんなにもこの従妹がうっとうしく迷惑な気持ちだったのだそうだ。
へえ、と驚いた。私は従妹が来ている間中、姉は従妹弟たちを最高にかわいがっており、私は自分が姉からそのようにかわいがられたことがなかったので、かなり嫉妬していたのである。しかし、私は姉に手をつねられるほどのしうちをされたことがない。
そのときの従妹であるが、手が真っ赤になってその後べそをかいていたのだそうである。そのようすを見て不審に思った叔母がどうしたの?と従妹に聞いていたのだそうである。しかし、従妹は姉につねられたとは叔母に言わなかったそうだ。
姉は「やっぱりあの子は小さいときから賢い子だった」と言っていた。
従妹はきっと瞬時に自分の行動に対する姉の気持ちを悟ったのであろう。
従妹は長女であったので、めずらしく7歳も年上の姉に接して甘えることができ有頂天になっていた自分に気付いたのだろう。ふだんは本人がしっかりしたお姉さんであるわけだった。
その弟は従妹に比べると頼りなく成績ももうひとつという感じが、叔母の言動を通してよくみえた。頭がよく体も丈夫な長女である従妹は、体が弱く頼りない性格の弟の面倒をよく見るしっかりものの姉であり、いつも中心的な存在であった。
そして、叔母の期待に答えて順調な道を歩んで行った。
叔母のフィルターを通して見る従弟は従妹に比べて見劣りし、実際に大人となっての学歴や仕事、結婚後の家庭状況を見ても、その通りと言えるが、私からは自分を見るような気持ちにもなり、頑張ってもらいたいと思う。
人望の厚い人とは、まずは自分自身に能力があって自信があり、その上に他人をも尊重できる人なんだろうが、そういう健全な人はなかなかいない。
どう考えても、人望の厚い人よりも、虐げられた不健康な精神構造をもつ人の割合が多いように思うし、また、人から見て人望が厚い人でも、当人の心の中には劣等感や傷があったりするのかもしれない。