山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

卒業アルバム2

2006-03-02 09:38:26 | 未分類過去
私自身の卒業アルバムは、高校と短大のものがある。
高校のは、そのまま生活の基点となる東京に持ってきたから、ときどき見ている。
しかし、クラスの個人写真は非常に写りが悪く、すごくいやである。
実物が悪いからどうにもならないのかもしれないが、学校内の白壁の前で次々に写していった写真だった。
あまりにも変に写ってしまった人はあとで自分で自費で取り直したものと取り替えてもいいと言うことだったので、同じ担当の写真館に撮りに行ったのだが、なぜか、これでいいじゃないですかと追い返されて、諦めてしまった。
実物が悪いんだからこれ以上にはとれないということなんだろうか?
出来上がったアルバムを見ると、友人の多くが撮り直したものと差し替えてあり、そのひとたちは枠内の顔の比率などが他の人とちがっていたのでわかった。
なぜ、他の人は撮りなおしてくれたのに、私にはしてくれなかったのかなあ。他の人はいったん断られても、食い下がって粘ったんだろうか。撮りなおしにいった人が多すぎたのかもしれない。しかし、一生のこる写真だから、やっぱりきれいに写っていたほうがよかった。みんなの記憶にこんなブスなひとだったんだなと写真の像が残ってしまうだろう。
私の写真は大きな顔の中にめだたない目が二つ、まるで埴輪であった。

短大のときの卒業アルバム。それは卒業後に配送されるということで、実家に送ることに手配したので、知らないうちに実家に届き、母がどこかにしまってあるが、私はずっと東京で暮しているために、たまに帰省したときでなければ見る機会はない。しかし、そのアルバムがあるという意識が少ないために、ほとんど見たことがない。
同級生はすごく美人が多かったので、その人たちは当然きれいに写っている。私自身はあまりよくはないのは当然ながら、高校のとは違って実物相応だろうと思う。

短大の他の科の同級生に、芸能人となっている人がいて、学生時代は知らなかったのだが、同級生だと聞いて、後になってアルバムで探したことがあった。そんなときしか開いたことがない。
その人は、テレビではピアノを弾きながらいろいろなことをしたり、物まねなどをする人で、コマーシャルにも出ている。さすがに芸能人だけあってインパクトのある面白い人であるが、学生時代もそうだったのかなあなどと思う。
少なくとも、同じ校舎を使って、一般科目などを受講する中では、その人の存在が目立っていたと言うことはなかったようで、学校内で有名人だったわけではないが、やはり周囲の中では目立っていたんじゃないかなと思う。
短大では栄養科か家政科だったと思うのだが、ピアノの腕なども大したもので、音大にもいけたんじゃないかと思うほどだ。学校の専攻とはまったく関係ない分野で才能を発揮しているところが非常に不思議であり、器が大きいなあと思う。

短大の時は途中で演劇部をやめてしまったので、クラス写真以外には何も映っていなかったようだ。

卒業アルバム

2006-03-02 02:17:42 | 未分類過去
私は一昨年まで日本語教師をしていたのだが、最後に勤めていた専門学校の日本語科で、初めて教師として学生の卒業アルバムに顔写真と一言を載せることとなった。
といっても、その出来上がった実物は一回きりしか見ていないような気がする。写真のうつりはあまりよくなかった。写真をとることも知らされていなくて突然撮られた写真だったので、なんか髪の毛がはねていて、へんなおばさんくさいぱっとしない顔に写っていた。
非常勤講師だったこともあり、アルバムは自分では持ってない。まあ、教師が毎年アルバムを買っていたらすごい量になってしまうから、常勤の先生の分もないのかもしれない。そして、その学校を辞めたら見る機会もない。自分の顔なんかはどうでもいいが、学生の写真はなつかしいと思う。
この学校の学生は質がよかったなあとつくづく思う。

今日、民主党の会合で、民主党の議員たちの多くが寝ている様子をテレビで放送していた。それも前原代表だか誰だかが前に立って話し始めたとたんに、すでに居眠りをしているとのことで、その寝ている人たちの姿が写されていたのだが、なんだか以前に短期間勤めた日本語学校を思い出してしまった。20人クラスで10数人の出席者で、ひどいときは4~5人くらいしかおきていないということもあった。
民主党の議員たちが寝ているのは、ヤル気がないとか不真面目だとかいうよりも、民主党内でありながら偽物メールのごたごたにはうんざりしていて、そんなくだらないことに付き合っていられないし、そんな話なんか聞きたくもない、というような意思を表しているのではないかとコメンテーターが言っていたが、確かにそうだろうと思った。
日本語学校の寝ている学生は授業がつまらなくてしょうがなかったようだ。そのクラスは上級クラスなのに、初級の文法もわかっていないような学生の集まりで、もう日本語の勉強は投げ出しているし、夜中のバイトで疲れ果てているため、まったく授業を受けようという気がない学生が多かった。とにかく、出席率だけを達成して入管から在留許可をもらいたいという者ばかりである。
それに加えて、私の授業も人をひきつけるようなすばらしい授業ではなかったと思う。

しかし、同じ人間が授業をしても、最後に勤めた専門学校では、寝る学生はひとりもいなかったし、出席率もよかったから、やはり学生の質が全然違うなあと思わざるを得ない。質のいい学生に教えるのは難しいことではない。教え方がすばらしくなくても学生はやるべきことをやって伸びていく。しかし、学生の質のよさに甘えてはいけない。

私が日本語教師をしていたという写真入の証拠になる記録は、その専門学校の卒業生がもっているアルバムくらいだろう。学費も普通の日本語学校と比べると高く、裕福な学生も多かったから、それでちゃんとしたアルバムも作れるのだろう。普通の日本語学校ではアルバムは作らないところも多い。

よく、ある人間が事件を起こしたり巻き込まれたりして、その人間がどういう人だったかをテレビで検証するときに、卒業アルバムや文集などが取上げられたりすることがある。もし私がそういうことになったとしたら、「この人は本当に日本語教師だったんですか?」などというときに、「確かにここに写真が載っていて、学校で教えていたこともあったようです。学生に人生の夢を達成するように頑張ってくださいなんて書いていますよ。しかし、この学校も1年でやめていますから、やはり教師には向かなかったんでしょうね」などとコメントされそうである。

あの卒業アルバムは、日本語教師をしたこともあったという今では関係ない過去の幻の記録だ。