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三丁目の飛行機屋

飛行機マニアのオヤジが
撮影遠征記やマル秘コレクションの公開などをしていきます。

家族の反応に一喜一憂

2020年06月08日 | おいしい話
男料理にハマってからだいぶ経ちますが

春先に新潟で仕入れ、刺身で食べたスミイカの残物である「墨袋」
冷凍保存してあったが、そろそろ消費せねばとつくったイカ墨パスタ

麺にのるのは近くのスーパーで仕入れた小スルメイカ
美味しくできたのですが、潰した後の墨袋もそのまま料理してしまい~
コレって、食べられないのね(笑



これは近くのスーパーで仕入れた 30cm位のウマズラハギ
長野県内のスーパーでは刺身用が売っていないので
(鮮度もだがアニサキスの関係が大)

刺身包丁の練習用にと、値段に負けて購入

 初めてカワハギを捌いたが、思ったよりも解体?は楽
 皮も簡単に剥げるのには驚いた
 

 
 皮の下にある薄皮や、エンガワだと思っていた部位も確認でき
 これからは自前で捌くことに決定!
 残念ながら今回は刺身用の商品ではなかったので酒蒸しで
  せっかくの大きな肝も食べられずボツに トホホ・・・



家族に評判の良かった料理は~


 鶏から揚げ ちらし寿司

 
 カレー粉を混ぜた 酢飯し の美味さには家族中が驚き
  ルーではなくカレー粉ね
 



冷やし中華 には、マヨネーズをタップリかけて食べる自分ですが
 (知り合いの中京出身料理人さんから教えてもらった)
家族に出す時は、それを野菜タップリのラーメンサラダとして出していた

そろそろ気温も上がってきたということで
今回は中華麺だけ買ってきて、札幌のラーメンサラダ発祥店 レシピに従い
ドレッシングを自作してみたが、これがまた美味い!



今まで家族は食べてくれなかったアヒージョ
自分的には冬場の酒の肴 の定番でしたが

大量にいただいた椎茸 や シメジ
さらには岡山県産のオリーブオイルもいただけたので「茸アヒージョ」に
これが夕飯の「おかず」としても食べてもらえ大好評
 でもそれはそれで酒の肴にまわる分がなくなってしまったけど・・・



そろそろ時期なんだが~ 、先日 近くの農産直店を覗いてみると アッタ!
 オカヒジキ、大きな袋でも 100円です


 
 硬い部分を丁寧に切り取る手間はかかりますが
 料理は単純に 1~2分茹でるだけ と簡単

昨年は家族に「そんな葉っぱ、絶対に食べない!」と拒否されてたのですが
小皿で黙ってだしたらペロリと、「おいしいけどコレ何?」

シンプルなシャキシャキ感だけの 草? ですが後引きなんだよ
今日も仕入れてきたから、下処理しなきゃ


先日いただいた、大きなウドの最終レシピは教えていただいたキンピラで

大き目の拍子切りでしたが、豚肉も入れたら美味くてね
おかげさまで大木のようなウドも完食できました


でも、家族に不評だった料理もあります


ルーロー飯
台湾に行ったことないので本場の味は知りませんが
市販のシーズニングを使って試してみたけど
八角あたりの香辛料がダメだったようで、自分だけが満足して終わり


もう一品は 横浜 梅蘭風 かた焼きそば

飛行機仲間のブログを見て美味そうだったので我が家でもと
麺の下餡を 八宝菜 や マーボ豆腐 など、品を代えたりしてみても
家族にはあまり評判よくなく
自分的には明日の晩も食べたいくらいなんだが・・・


 こうやって男料理を色々やっていると
 主婦の気持ちがよくわかります

 食べてくれないと私的に満足でも、気持ちは落ちますわ
 残り物は自分の肴に代わるので、酒の量が増えちゃうし(笑

 そうそう5月の連休後に体重が増えてきて喜んでいたら
 最近はまた元に戻ってしまい
 前職時代に比べると、マイナス10kg と変わらないや
 
 体調や定期健診の結果は良好なんですが
 「歳取ったら、老けるからぜったい痩せちゃイカン!」と以前 同僚に言われたが
  太りたくてもね、太らないのも辛いもんです
コメント (2)
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初めて幽霊(Phantom)と対面

2020年06月02日 | ノスタルジック航空写真館
古い話しがつづきますが、ご勘弁を
今回は 1975年(昭和50年)10月10日
 
常磐線の石岡駅から関東鉄道というローカル 列車に乗り換え
降り立ったのは小川駅
さらにここからシャトルバスに乗り換える

この日は航空自衛隊 百里基地航空祭
渋滞で動かないバスから降り、歩き出す人の列につづいてしまった自分
まさか基地まで、こんなに遠いとは・・・


1972年から毎年出かけることとなった入間基地航空祭と航空宇宙ショーだったが
当時の第1線 戦闘機のF-104(マルヨン)や 新鋭 F-4 (ファントム)は
入間の滑走路は短く降りられず、上空通過の編隊を眺めるだけ
目の前に展示された マルヨン や ファントム を見たくなるのが人情というもの

航空雑誌と時刻表を調べ、初めてやってきたけど
基地にたどりつく前に、汗と土埃にまみれてしまうとは想像もしなかった

やっと見えた百里フィールド

パッと見、今とそれほど変わらない基地の風景
半世紀近く過ぎた今でも「陸の孤島」という代名詞にピッタリなのは変わらないよね

 これは保存してあった、当日のパンフレット
 
  B5程度の紙に片面印刷されたモノ

 当時はまだカメラを持っておらず
 友人から借りた一眼は50mmの標準レンズのみ
 フィルムも2本のみ持参とは
 なんとも世間知らずの遠征だったこと(笑


でもエプロンに入れば、気持ちはたちまち MAXに
先程までの歩き疲れも吹っ飛んでしまっていた

 F-104J マルヨン は思ったよりも背が低く小さく感じた


 F-4 ファントム(幽霊)とついにご対面
  昭和46年から百里に配備が始まったファントムだが
  この時にもまだ部隊マーク、ケロヨンが描かれていない真新しい機体

 中学時代には我が家上空を、毎日飛んでいた横田基地のベトナム迷彩 F-4Dファントム
 入間基地で見上げた編隊航過飛行の空自 新鋭ファントム
 そんな大好きなファントムにやっと間近で対面することができた


 RF-4E 偵察ファントムも当時の米海軍機に似た
 上面ガルグレイに下面ホワイト、凄みはないがこれはこれでイイ感じ

 更に、入間基地で見慣れた 引退間近の RF-86F 偵察機も一緒に展示されていた

 後方は救難展示のバートル V107 だが
 この時のバートルも新鋭救難ヘリだったはず
 

当日の米軍機は、岩国海兵隊のハリアーが2機飛来

当然だが、初期の AV-8A
1機が空中停止を含めたデモ飛行を実施してくれるとは


格納庫の裏側にも機体と共に武装装備を展示



ファントムの武装も、今では考えられないような品々
旧式だけど貴重な画像、左端に見える空対空ミサイル「ファルコン」なんて
ファントムの制空ミサイルの代表だったけど即消えていったね





マルヨンの 鳴くようなエンジン音 と ハリアーのデモフライト
その大爆音を体中で浴びることができたが



フライト画像はあまりに小さく証拠のみ程度だった

その時はまったく気にならなかったけど
使いやすかった友人の一眼に憧れ
翌年にはバイトして望遠レンズを含め手に入れることになる


最後に航空祭といえば、今も昔もブルーインパルス
配られた昭和50年(1975年)10月付けのパンフを見ると
 

 編隊長は長野県 諏訪出身の小口雄二郎1尉とあるので
 この時も小口1尉がリードと思われる





航空祭が終われば、再び 乗り換え のりかえで都内にやっと帰れたが
初ファントム、初マルヨン 初ハリアーの3連発に打ちのめされ
アパートに帰宅したあとも、気持ちも体も火照ったままだった
コメント (6)
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