ぶらぶら人生

心の呟き

睦月の満月

2012-01-10 | 身辺雑記
      

 夜空に月影のない、曇り日や雨の日が続いた。
 が、昨晩は、満月に巡りあえた。

 流れの速い雲に、慌しく見え隠れする睦月の満月であった。
 寒風さえ心地よく、庭に暫く立って、月との対話を楽しんだ。
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蕾は硬く

2012-01-06 | 身辺雑記
 今日は「寒の入り」とか。
 お正月以来、ほどほどのお天気が続いて、寒さに震えることもなかった。
 しかし、立春のころまでは、しばらく不規則な寒さが続くだろう。
 
 ぐるりと庭を巡ってみると、木々は、確実に開花の準備を始めている。
 蕾が目立ってきた。だが、その蕾は、まだまだ硬い。
 ゆっくり眠って英気を養っているのか、着々と開花の準備に余念がないのか?

 日々の変化が楽しみである。
   

   
          臘梅                       シデコブシ

   
          白椿                       紅椿
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今年こそは…

2012-01-02 | 身辺雑記
 昨年の暮れ、引き出しの片づけをしていたところ、捨てるに偲びずと残していた、余白のある紙類の中に混じって、新聞の切り抜きが出てきた。

 <執着捨てる仏教の心>  <「断捨離」人生を快適に>
 の見出しで、釈 徹宗さん(宗教学者・僧侶)と、やましたひでこさん(クラター・コンサルタント)の対談が、読売新聞(2011・9・18)に掲載された、その切抜きである。

 この記事を読んだことも、その考え方に賛同し実践者になろうと考えたことも、覚えている。
 多分、当時のブログにも書いたのだろうけれど、その内容は思い出せない。

 考えて見ると、その後も、身辺にモノは増え続けるばかりだ。
 そして、あふれるモノに、ふりまわされている。

 身辺から不要物を取り去ったら、どんなにさっぱりすることだろう。
 今年こそは、「断捨離」の実践者になろう!
 毎日、とにかく捨てること!
 それを実践し続ければ、多少は身辺が清浄になるだろうし、モノ探しをすることも減ってくるだろう。
 決断を鈍らせないように、よく見えるところに張り紙をした。(下の写真)

 書初めとして、久々に筆をとってみようかと考えたが、ろくな字は書けないだろうと諦め、パソコンで作成した。

 2枚の便箋に印刷したのは、次の言葉である。

  断 捨 離

        モノを断ち
        ガラクタを捨てれば
        執着も離れていく

                提唱者 やました ひでこ

  少 欲 知 足

        欲を少なくして
        足ることを知る

                仏教の教え

     
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365日のスタート

2012-01-01 | 身辺雑記
 私の人生にとっては、79回目のお正月である。
 表題に「365日のスタート」と書いたけれど、私にその日数(ひかず)が確約されているわけではない。
 誕生日が来れば、79歳。

 老少不定は、世の定めとか。
 それでも少年少女には、(昨年のような不測の大災害などがない限り)ほぼ確実に365日が保証されている。が、老いの身にとっては、365日の確実性は、次第に乏しくなる。

 ただ今年も、一日一日、したい事を気の向くままにして、ささやかな喜びの中で、365日を無事に重ねられたら、それで十分幸せなことだと考えている。
 
 
 元日の今日は、しとしとと雨が降り、終日、黄昏の中にいるような趣だった。
 (夜になって、しきりに雷の鳴る音がし始めた。雪起こしとならなければいいけれど…)

 120通ばかりの賀状と新聞2紙を読み、数人と電話で語り合って、元日が暮れた。
 
 うっかりして(これも年のせいか?)、例年のように、お正月用の花の鉢を求めなかったし、花壇に、新春の花も植えなかった。
 そこで、このブログには、玄関に置いている、福寿草の<こけし>を添えてみた。(写真) 

             

                
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