私の人生にとっては、79回目のお正月である。
表題に「365日のスタート」と書いたけれど、私にその日数(ひかず)が確約されているわけではない。
誕生日が来れば、79歳。
老少不定は、世の定めとか。
それでも少年少女には、(昨年のような不測の大災害などがない限り)ほぼ確実に365日が保証されている。が、老いの身にとっては、365日の確実性は、次第に乏しくなる。
ただ今年も、一日一日、したい事を気の向くままにして、ささやかな喜びの中で、365日を無事に重ねられたら、それで十分幸せなことだと考えている。
元日の今日は、しとしとと雨が降り、終日、黄昏の中にいるような趣だった。
(夜になって、しきりに雷の鳴る音がし始めた。雪起こしとならなければいいけれど…)
120通ばかりの賀状と新聞2紙を読み、数人と電話で語り合って、元日が暮れた。
うっかりして(これも年のせいか?)、例年のように、お正月用の花の鉢を求めなかったし、花壇に、新春の花も植えなかった。
そこで、このブログには、玄関に置いている、福寿草の<こけし>を添えてみた。(写真)
表題に「365日のスタート」と書いたけれど、私にその日数(ひかず)が確約されているわけではない。
誕生日が来れば、79歳。
老少不定は、世の定めとか。
それでも少年少女には、(昨年のような不測の大災害などがない限り)ほぼ確実に365日が保証されている。が、老いの身にとっては、365日の確実性は、次第に乏しくなる。
ただ今年も、一日一日、したい事を気の向くままにして、ささやかな喜びの中で、365日を無事に重ねられたら、それで十分幸せなことだと考えている。
元日の今日は、しとしとと雨が降り、終日、黄昏の中にいるような趣だった。
(夜になって、しきりに雷の鳴る音がし始めた。雪起こしとならなければいいけれど…)
120通ばかりの賀状と新聞2紙を読み、数人と電話で語り合って、元日が暮れた。
うっかりして(これも年のせいか?)、例年のように、お正月用の花の鉢を求めなかったし、花壇に、新春の花も植えなかった。
そこで、このブログには、玄関に置いている、福寿草の<こけし>を添えてみた。(写真)