ぶらぶら人生

心の呟き

10月の最後

2017-10-31 | 身辺雑記
10月31日 火曜日
台風の襲来もあり、
天候に恵まれない10月であったが、
今日は、晴れ晴れとした秋日和となった。

朝陽も夕陽も美しく、
気分も晴れやかに、
10月を終えることができた。

日の出(部屋の窓から)








落日(散歩の途次にて)






河口の部屋では、
太陽の位置で、一年の巡りを
如実に感じることができる。
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『遠い山なみの光』

2017-10-31 | 身辺雑記
10月31日 火曜日

数独の解答を得ようと、
無味乾燥な数字を眺め暮らすのも
結構楽しい。
しかし、連日、それを続けると、
ちょっと虚しい気もしてくる。

今日は、読書の日とした。
カズオ・イシグロ著『遠い山なみの光』を読了。
(ハヤカワ文庫・2001年9月15日発行 2017年10月18日 13刷)



私の求めた本は、今年発行の13刷目。
ノーベル賞受賞後に発行されたものである。

作者が長崎生まれという経歴が、
カズオ・イシグロさんの本を読むきっかけとなった。

一気に読ませる作品であった。
人間の複雑な内面が、よく描けている。
主人公の女性だけでなく、登場人物の全てに、
存在感がある。
特に、友達の子どもの<万里子>や主人公の娘<ニキ>等など。
会話の多い小説だが、
その会話の一言一句が吟味されている。
心理描写も、人物の会話や動作で、うまく描けている。

小野寺健(翻訳者)の表現のうまさもあるのだろう。
翻訳文を読んでいるとき、
ときに感じるぎこちなさがない。
諸国の言葉で訳されても、
この作品であれば、普遍的な輝きを放つ作品であろうと感じた。


<確かにそういうものだなあ>と思いつつメモした表現。
その1)
どんなに恐ろしい心の傷でも、肉体の傷と同じようにつきあえるようになるものだ。

その2)
記憶というのは、たしかに当てにならないものだ。思い出す時の事情次第でひどく彩りが変わってしまうことはめずらしくなくて、わたしが語ってきた思い出の中にもそいうとこがあるにちがいない。
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光る影

2017-10-31 | 散歩道
10月31 火曜日

夕方、散歩に出かけ、
色々な光るものと出会った。


空港に到着間近の飛行機。


細い飛行機雲を伴う機影。


5、60羽の鳥の群れ。
雀ほどの大きさに見えたが、
雀が、見事な球体ととなって飛ぶことがあるだろうか?
(写真は、その見事さを捉えていない。)


白い静かな輝き。


高島と穏やかな白波。
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空と海と

2017-10-31 | 散歩道
10月30日 月曜日

4時半過ぎ、外気に触れて散歩を楽しむ。
空には白い半月。
海には厚みのある白い波。


海辺に出るとき、振り返って眺めた月。


帰途、正面に眺めた月。




高島と海面に盛り上がる白浪。

以下、高津川の夕景。



ねぐらに帰る鴉の群。
水面近くを飛翔。
カメラを向けたときには、
大方が、空に向かって飛び去っていた。


繋留された船。

以下落日の景。









今日も、無事に生きられた。
自分の意思だけでは生きられない。
目に見えない力で、生かされているのだろう。
若い時と違って、
老いの身には、絶対に明日があるという確実性が乏しい。

今回、河口の部屋に戻ってみると、
配膳車に、赤い字で<欠食>と書かれた札があるのに気づいた。
夫婦部屋にお住まいの、N夫妻の奥様が入院なさったという。
脚と耳が弱っておられたが、素敵な笑顔の方だったのに……。
詳細なことは分からないが、早く退院なさることを願うばかり。
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